国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
専称寺
ふりがな
:
せんしょうじ
棟名
:
本堂
棟名ふりがな
:
ほんどう
専称寺 本堂
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸中期
年代
:
寛文11
西暦
:
1671
構造及び形式等
:
桁行22.2m、梁間17.9m、一重、入母屋造、正面向拝一間、鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02445
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2004.07.06(平成16.07.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
福島県
所在地
:
福島県いわき市平山崎字梅福山
保管施設の名称
:
所有者名
:
専称寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
専称寺 本堂
解説文:
詳細解説
専称寺はいわき市東部にあり,応永2年(1395)に開創された浄土宗寺院である。東面して総門を構え,その奥の小高い山の頂上付近に主要伽藍を配する。
寛文8年(1668)に伽藍の大半を焼失したが,漸次伽藍を復興した。本堂は桁行11間,梁間9間の規模を有し,寛文11年(1671)の再建と伝える。茅葺の庫裏は元禄3年(1690)の再建,総門は近世前期の細部意匠がみられる。
専称寺は東北地方における浄土宗の中心で,有数の檀林となった寺院であり,本堂や庫裏の規模はその格の高さを示している。
本堂は広く開放的な外陣や閉鎖的な内陣,その両脇に説戒堂などの部屋をもつ特徴的な空間構成になるとともに,華美に陥らない落ち着いた意匠をもつ。庫裏や総門など主要建物が残る点も重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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専称寺 本堂
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専称寺 本堂
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解説文
専称寺はいわき市東部にあり,応永2年(1395)に開創された浄土宗寺院である。東面して総門を構え,その奥の小高い山の頂上付近に主要伽藍を配する。 寛文8年(1668)に伽藍の大半を焼失したが,漸次伽藍を復興した。本堂は桁行11間,梁間9間の規模を有し,寛文11年(1671)の再建と伝える。茅葺の庫裏は元禄3年(1690)の再建,総門は近世前期の細部意匠がみられる。 専称寺は東北地方における浄土宗の中心で,有数の檀林となった寺院であり,本堂や庫裏の規模はその格の高さを示している。 本堂は広く開放的な外陣や閉鎖的な内陣,その両脇に説戒堂などの部屋をもつ特徴的な空間構成になるとともに,華美に陥らない落ち着いた意匠をもつ。庫裏や総門など主要建物が残る点も重要である。
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詳細解説
専称寺 三棟 本堂、庫裏、総門 専称寺はいわき市の東部、夏井川南岸に所在する浄土宗寺院である。東面して総門を構え、その奥、石段を登った小高い山の頂上付近に主要伽藍を配する。本堂を東面して建て、その東南に開山堂や歴代上人の墓所、東北に庫裏や書院、正面に山門を配し、山門前の石段脇に鐘楼堂を設ける。本堂は平成三年三月二二日に福島県指定重要文化財、庫裏が平成元年三月二五日、鐘楼堂が昭和五九年一月二四日にいわき市指定有形文化財、境内地が昭和六二年三月二七日に福島県指定史跡及び名勝となっている。 応永二年(一三九五)に良就十聲が開創した寺院で、東北地方に教線を伸ばした浄土宗名越派の檀林として発展し、六世良大の時には勅願所となったという。近世には名越派の伝法を行う二檀林の一つで、名越四本山のなかで最多の末寺をもち、東北地方における浄土宗の総本山的な寺院となった。ちなみに、名越派は浄土宗鎮西流のなかの一派である。 寛文八年(一六六八)に伽藍の大半を焼失したが、泉藩主内藤家の援助を得るとともに、奥州各地の末寺に勧進して、漸次伽藍を復興し、本堂や方丈・庫裏、衆寮、薬師堂、経蔵、千仏堂、十王堂、地蔵堂、庚申堂、鐘楼堂、山門、総門のほか、隠寮や学頭寮など多くの寮舎が建ち並んでいた。 本堂は、「専称寺書上」(専称寺所蔵、『浄土宗名越派檀林 専称寺史』に所載)によると「本堂拾壱間・横九間 寛文十一年當寺十六代大祖再建之」とあり、寛文八年焼失後、同一一年に再建されたと伝える。桁行一一間、梁間九間の規模で、一七世紀中期の細部意匠をもち、屋根は入母屋造で、瓦形に作り出した鉄板葺とし、正面に一間向拝をつける。側廻りは平三斗組で二軒疎垂木の軒を支持し、入側には出組を組み、中備に蓑束を入れる。 堂内は前後二列に大きく分かれ、その周囲に一間の入側縁が廻り、正面にはさらに一間幅の落縁がつく。前列は広い一室の外陣であり、後列は中央方三間の内陣とその両脇の部屋に分かれる。内陣は床を一段高く張り、中央に禅宗様須弥壇を設け、厨子をのせ、来迎壁背後へ突出して本尊阿弥陀三尊像を安置する。両脇背面に接して脇壇を設け、法然上人像と善導大師像を安置する。内陣の南北脇室は外陣と同じ床高で、南脇室には仏壇を背面に接して設け、北脇室には「説戒堂」の板札を掲げる。建具を欠失するところもあるが、当初は内陣と外陣境および脇室境前寄り二間には中敷居を設け、引違戸をたてて、内陣を厳格に間仕切る。脇室は外陣境に引違戸と欄間、入側縁境に引違戸をたてるが、外陣と入側縁境は結界を置く程度の開放的な室境である。天井は入側通りが化粧屋根裏天井で、内陣が須弥壇上を折り上げる格天井とする。他は竿縁天井で、外陣では内陣・脇室境柱筋に梁を架し、天井を三分する。また、柱は比較的面の大きい方柱であるが、外陣と内陣、脇室を間仕切る柱筋のみ円柱とする。 後世に内陣の床をさらに高くし、須弥壇廻りを改造、南脇室に仏壇を設置、柱間装置や屋根を変更したが、良く当初の形態を伝えている。 庫裏は、東西棟とする茅葺の建物で、元禄三年(一六九〇)に再建された。桁行一八・二メートル、梁間一〇・三メートルの規模をもち、北面に一間半幅、西面に半間の下屋を設け、南面に唐破風造の玄関、東面に庇を付設する。中央に方三間の一八畳を設け、その西に六畳二室を南北に並べ、その南側に一間幅の廊下を通す。北六畳には床の間を張り出し、西側に榑縁をつける。一八畳の北に長九畳があり、東には畳廊下を挟んで、南北に板敷と一〇畳、その東に一間通りの土間を設け、板敷とその東の土間上に二階をつくる。一八畳と西二室、南・東廊下は竿縁天井、北・西下屋は化粧屋根裏である。土間の北半部とその西の一〇畳は天井を張らず架構を見せ、南の土間と板敷は根太天井とする。二階は畳敷で竿縁天井とし、東・南面には窓を設け、一尺ほどの張出を設け高欄をまわす。 総門は桁行一間、梁間一間で、屋根切妻造、桟瓦葺とする。建立時期は詳かでないが、細部に近世前期の意匠がみられる。前柱を円柱、後柱を面取方柱とし、柱上に台輪を廻し、三斗を組み、中備に平三斗を配し、竿縁天井を張る。妻は虹梁中央に蟇股を置き、三斗を介して棟を支持する。平面は薬医門と同じであるが、台輪を四周に廻し、棟を前後柱の中央に置くなど特異な形態となっている。 専称寺は東北地方における浄土宗の中心で、有数の檀林となった有力な寺院であり、本堂や庫裏の規模はその格の高さを示している。本堂は広く開放的な外陣や閉鎖的な内陣、その両脇に説戒堂などの部屋をもつ特徴的な空間構成になるとともに、華美に陥らない落ち着いた意匠は檀林という機能に一致したものである。庫裏および総門とあわせて伽藍の保存をはかる。 【参考文献】 『専称寺の建築(福島県近世社寺建築緊急調査報告書・補遺)』(福島県教育委員会 二〇〇三年) 『浄土宗名越派檀林 専称寺史』(佐藤孝徳編 一九九五年)