国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
高千穂神社本殿
ふりがな
:
たかちほじんじゃほんでん
棟名
:
棟名ふりがな
:
高千穂神社本殿
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
江戸後期
年代
:
安永7
西暦
:
1778
構造及び形式等
:
五間社流造、銅板葺、稲荷社を含む
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02453
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2004.07.06(平成16.07.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
宮崎県
所在地
:
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井
保管施設の名称
:
所有者名
:
高千穂神社
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
高千穂神社本殿
解説文:
詳細解説
高千穂神社は宮崎県北西部にある。創建は定かでないが,古来より高千穂郷八十八社の総社として崇拝されてきた。
現在の本殿は,延岡藩主内藤政脩を大檀那として安永7年(1778)に完成したもので,造営には大分城下鶴崎の大工等が携わった。形式は五間社流造で,通常,脇障子となる縁西面には,稲荷社を設けている。装飾細部は躍動感のある大胆な構図とし,立体的につくられている。
高千穂神社本殿は,欅材を用いた丁寧なつくりで装飾細部も充実し,意匠的な完成度も高く,九州地方南部を代表する大規模な本殿建築である。また,縁に小規模な社殿を附属した独特の形式や,当地方の伝説や祭礼に関連した彫物など,地方色も顕著に有しており,高い価値がある。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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高千穂神社本殿
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高千穂神社本殿
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解説文
高千穂神社は宮崎県北西部にある。創建は定かでないが,古来より高千穂郷八十八社の総社として崇拝されてきた。 現在の本殿は,延岡藩主内藤政脩を大檀那として安永7年(1778)に完成したもので,造営には大分城下鶴崎の大工等が携わった。形式は五間社流造で,通常,脇障子となる縁西面には,稲荷社を設けている。装飾細部は躍動感のある大胆な構図とし,立体的につくられている。 高千穂神社本殿は,欅材を用いた丁寧なつくりで装飾細部も充実し,意匠的な完成度も高く,九州地方南部を代表する大規模な本殿建築である。また,縁に小規模な社殿を附属した独特の形式や,当地方の伝説や祭礼に関連した彫物など,地方色も顕著に有しており,高い価値がある。
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詳細解説
高千穂神社本殿 一棟 高千穂神社は宮崎県の北西、九州山地ほぼ中央部の高千穂町に所在する。高千穂神社は高千穂皇神、十社大明神、合祀神を祭神とし、明治四年に鎮座地名をとって三田井神社と改め、さらに明治二八年に高千穂神社と改められた。 創建は垂仁天皇の時代といわれ、平安時代初期の日向国高智保神が当社と思われるが定かでない。鎌倉時代には十社大明神と称し、高千穂郷八十八社の総社として崇拝されたが、古代から中世の沿革はほとんど不明である。 近世に入り、本殿は慶長年間に延岡藩主有馬直純が再興したが、寛文一二年(一六七二)焼失、延宝四年(一六七六)には有馬康純が再建、そして明和六年(一七六九)に再び焼失した。現在の本殿は、延岡藩主内藤政脩を大檀那として安永五年(一七七六)より造営が着手され、同七年一〇月八日に正遷宮されたもので、大工は大分城下鶴崎の牧義右衛門等であった。 建立時の棟札は確認されていないが、安永五年の御神体造営の銘札(附指定)がある。高千穂町内の荒立神社宮司の興梠家に造営文書が所蔵されている。安永六年(一七七七)六月一八日の『御再興御入用諸職人面附控帳』には「靏崎大工、牧義右衛門、林杢右衛門、長右衛門、三次郎、音七、軍吉、治三郎、伊右衛門、利三郎、新平、太平、〆拾壱人。(後略)」とある。また、同文書を納めた箱の蓋裏書には「十社御宮之義安永六丁酉年/三月吉日、材木元伐始リ同六月十八日/靏崎大工小屋入仕候/安永七年戊戌年十月八日/御殿拝殿神楽殿不残成就/仕右同日御遷宮首尾能/相済申候」とある。 以後、棟札(附指定)より寛政二年(一七九〇)、文化一二年(一八一五)、天保二年(一八三一)、嘉永三年(一八五〇)、嘉永五年(一八五二)の修復が知られる。明治三九年には亜鉛板葺に変更し、近年銅板葺への変更や正面の階等の改造があるが、軸部から小屋組まで当初材がよく残っている。正面の逆蓮擬宝珠の柱や高欄の架木、平桁、地覆などの当初材は、本殿床下に保管されている。軒の飛檐垂木、野垂木などは取り替えられているが、小屋内には上棟式用と思われる槌や弓などが残っている。 本殿は、五間社流造で、切石積基壇を構え、ほぼ南東に面して建つ。平成二年三月一四日に高千穂町有形文化財として指定されている。 平面は、身舎が桁行五間、梁間二間で、内部中央の柱列を境として、前を外陣、奥を一段高い内陣とする。内陣は背面側に壇を構え、特に中央一間には円柱二本を立て、正面に板扉を設け、左右を板壁で囲い、正面に軒をつけ、宮殿風とする。柱間装置は正面五間に半蔀を建て込み、東側前一間に幣軸両開き板戸、他は横板壁とする。天井は内陣・外陣とも同高の格天井とする。身舎の前と左右には刎高欄付の切目縁を廻し、正面中央に階五級を設ける。縁東面には脇障子、西面には稲荷社を置く。 軸部は、八角形に柱座を造り出した礎石上に柱を立て、身舎の円柱を縁長押、内法長押、頭貫で結び、拳鼻付の出組を組み、中備には彫刻蟇股を配する。正面の庇は、中央三間の柱二本を省略し、面取角柱を虹梁型頭貫で結び、身舎とは海老虹梁で繋ぐ。組物は三斗で、桁・手挟を受け、中央三間の中備には長大な龍の彫物を入れる。軒廻りは支輪をつけ、正面背面とも二軒繁垂木とする。妻飾は二重虹梁大瓶束で、東を鳳凰、西を藤棚に猿という彫物で飾り、上の大瓶束には雲文笈形をつける。彩色はなく、欅材を用いた素木造になる。 中備蟇股、妻飾、脇障子などの装飾細部は、特色のひとつで、躍動感のある大胆な構図とし、立体的につくられている。西妻面の中備蟇股は、奥に鉄砲を構える猟師、手前に藪にいる猪という珍しい構成で、東面北端の脇障子は、三毛入野命の伝説を題材とする。虹梁の絵様は渦と若葉を基調とし、溝の彫りが深く、頭貫木鼻や拳鼻は渦文を刳り抜くなど、独特である。 稲荷社は、桁行一間、梁間一間、切妻造、こけら葺、平入で、二手先腰組で刎高欄付の縁を受け、角柱を立てて三斗を組み、中備に彫物を配する。軒は前後とも二軒繁垂木である。 このように縁の一端に小社殿を置く類例は、宮崎県では高千穂町の隣にある五ヶ瀬町の三ヶ所神社本殿(文政元年)、同町の祇園神社本殿(天保一五年)がある。大分県では犬飼町の天神社本殿(一八世紀初期)、大野町の浅草八幡社本殿(宝暦一四年)、臼杵市の八坂神社本殿(安永五年)、大分市の柞原八幡宮本殿(安政二年)がある。現時点では、宮崎県北部と大分県南部という範囲で、しかも江戸中期以降の遺構に限られている。 高千穂神社本殿は、欅材を用いた丁寧なつくりで装飾細部も充実し、意匠的な完成度も高く、九州地方南部を代表する大規模な五間社本殿建築といえる。また、縁に小規模な社殿を附属した独特の形式や、当地方の伝説や祭礼に関連した彫物など、地方色も顕著に有しており、高い価値がある。 【参考文献】 『宮崎県の近世社寺建築 近世社寺建築緊急調査報告書』(宮崎県教育委員会 一九八一年) 『宮崎県史 史料編 中世1』(宮崎県 一九九〇年) 『高千穂町史 郷土資料編』(高千穂町 二〇〇二年)
関連情報
附指定
銘札(安永5年6月)
棟札(寛政2年9月、文化12年6月、天保2年6月、嘉永3年6月、嘉永5年6月)
関連情報
附指定
附名称
:
銘札(安永5年6月)
附員数
:
1枚
関連情報
附指定
附名称
:
棟札(寛政2年9月、文化12年6月、天保2年6月、嘉永3年6月、嘉永5年6月)
附員数
:
5枚