国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧津島家住宅
ふりがな
:
つしまけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
旧津島家住宅
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
明治
年代
:
明治40
西暦
:
1907
構造及び形式等
:
木造、建築面積723.09平方メートル、一部2階建、鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02454
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2004.12.10(平成16.12.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
青森県
所在地
:
青森県五所川原市金木町字朝日山412番地1
保管施設の名称
:
所有者名
:
五所川原市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧津島家住宅
解説文:
詳細解説
旧津島家住宅は,津軽地方有数の大地主であった津島家の本邸である。南北に走る表通りに西面して主屋があり,主屋北東に文庫蔵,東背後に中の蔵,米蔵が建ち並び,宅地正面及び両側面西半に煉瓦塀を廻らしている。
主屋は明治40年,文庫蔵は明治38年の建築で,堀江佐吉の四男斉藤伊三郎が大工棟梁を務めた。中の蔵,米蔵,煉瓦塀も同時期のものである。
旧津島家住宅は,津軽地方の伝統的町家の形式を踏襲しつつ,創意に富んだ構成や洋風の意匠を導入し,新しい時代の邸宅の姿を造り上げている。
良材を用い,巧緻な技術が駆使された大規模な近代の住宅建築として価値が高いとともに,土蔵や煉瓦塀などがよく残り,往時の屋敷構えをよく伝えている点も貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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旧津島家住宅
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旧津島家住宅
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解説文
旧津島家住宅は,津軽地方有数の大地主であった津島家の本邸である。南北に走る表通りに西面して主屋があり,主屋北東に文庫蔵,東背後に中の蔵,米蔵が建ち並び,宅地正面及び両側面西半に煉瓦塀を廻らしている。 主屋は明治40年,文庫蔵は明治38年の建築で,堀江佐吉の四男斉藤伊三郎が大工棟梁を務めた。中の蔵,米蔵,煉瓦塀も同時期のものである。 旧津島家住宅は,津軽地方の伝統的町家の形式を踏襲しつつ,創意に富んだ構成や洋風の意匠を導入し,新しい時代の邸宅の姿を造り上げている。 良材を用い,巧緻な技術が駆使された大規模な近代の住宅建築として価値が高いとともに,土蔵や煉瓦塀などがよく残り,往時の屋敷構えをよく伝えている点も貴重である。
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詳細解説
旧津島家住宅 六棟 主屋、文庫蔵、中の蔵、米蔵、煉瓦塀、宅地 津島家は、金貸業や各種の商いによって明治初期以降急速に財を蓄え、これをもとに津軽地方有数の大地主となった家である。住宅は、青森県北西、津軽平野北部に位置する金木町のほぼ中心にあり、県議会議員だった津島家第六代の源右衛門が自邸として建設したものである。昭和二三年他家に譲渡され、同二五年からは旅館として使用されるようになった。その後平成元年には金木町指定となり、平成八年金木町が取得し、平成八、九年の修理工事において復原整備され、平成一〇年青森県指定文化財となった。現在太宰治記念館「斜陽館」として公開されている。ちなみに、作家太宰治(津島修治)は、源右衛門の第一〇子、六男として明治四二年六月一九日この家で誕生し、幼年期をここで過ごした。『思ひ出』、『帰去来』、『故郷』、『津軽』といった作品に生家について触れられている。 主屋は、南北に走る表通りに西面して建つ。正面に入母屋造の妻面を見せたたちの高い建物で、主屋北東に文庫蔵、東背後に中の蔵、米蔵があり、宅地西正面及び両側面西半に煉瓦塀を廻らす。主屋は明治四〇年六月二一日上棟、文庫蔵は明治三八年一一月一八日上棟で、建設は堀江佐吉に依頼され、大工棟梁は佐吉四男の斉藤伊三郎であった。中の蔵、米蔵、煉瓦塀も同時期の建設とみられる。主屋なお、主屋の棟札と文庫蔵の棟札は附指定とする。 主屋は、木造、一部二階建、建築面積六一四・六四平方メートルで、周囲に庇を廻らし、正面南端に入母屋造の玄関を開き、南側面西端に事務所、東端に炊事場(もと女中部屋)を突出する。 主屋一階は、玄関を入ると左手に店、右手に事務室を配し、その先に幅広の通り土間が奥まで続く。床上部は通り土間に沿って前後二列に六部屋の座敷を並べ、最奥には広い板の間を配す。板の間は平屋で、トラス組の小屋組を見せ、中央に大きな明かり採りを設ける。板の間東は下屋として、奥の土蔵に繋げる。 二階は、表側の踊場付き階段を上がるとホールに面して広い洋間の応接室を構え、その他は和室七部屋を配し縁や中廊下で連絡する。全体に和風を基調としつつ、店、二階応接室及び表側階段室は蛇腹を回し中心飾りのある紙貼りあるいは漆喰天井とし、縦長の上げ下げ窓とするなど、洋風意匠でまとめる。柱、長押など化粧材はヒバの良材を用い、座敷の床、棚や天井に銘木を用い、欄間には透かし彫りや精緻な組子の建具を入れて飾る。二階軒廻りは四周とも出桁を持ち出して深い軒を造り、小屋組はキングポストトラスとする。 文庫蔵は、主屋一階板の間北の蔵前を介して建つ。桁行六間、梁間四間、土蔵造、二階建で、一、二階とも板床を張り、東面に物入を造り付ける。中央に一、二階通しの太い円柱を立て、肘木を入れて棟木を受け、太い垂木を架ける。大型の土蔵で、煉瓦イギリス積の腰張を廻らし、階段手摺の意匠など洋風の要素を加味する。 中の蔵は、主屋北東隅に接し、軸をやや北にずらして建つ。桁行三間半、梁間三間、土蔵造、二階建で、主屋東面下屋と鉤の手に続く南の庇を蔵前とする。一、二階とも間仕切を設けず、二階は低く棟木を通して太い垂木を架ける。外部は煉瓦長手積の腰張を廻らす。 米蔵は、中の蔵の東方に並んで建つ。桁行六間、梁間四間、土蔵造、平屋建で、南面は中の蔵前と一連の庇を葺き降ろして蔵前とし、その他三面をサヤで囲う。板床を張り、間仕切を設けず、中央に太い角柱を立て、肘木で棟木を受け垂木を架ける。独立柱頂部には梁行前後に斜材を架け、振れ止めとする。 煉瓦塀は、主屋玄関の両脇から、北方は折れ曲がり延長六一・九メートル、南方は同四二・六メートル築かれる。主屋正面部分は約二・一メートル間隔に、その他は約三・三メートル間隔に煉瓦柱を立て、壁面は正面フランス積、両側面イギリス積とし、頂部はデンティル、蛇腹を廻し、屋根型につくる。主屋正面は煉瓦積みを腰までとし、その上に鉄柵を入れる。 宅地は、北東部及び南東部が後世縮小されているが、主要部分はよく旧態をとどめ、主屋北に池を穿ち石組、灯籠を配した築庭がある。また、正面煉瓦塀外には当初の石敷舗装、車留が残る。 旧津島家住宅は、津軽地方の伝統的町家の形式を踏襲しつつ、表側の店、階段室、応接室など創意に富んだ構成になり、たちの高い重厚な外観や、洋風の意匠、構法を導入し、新しい時代の邸宅の形式を造り上げている。大規模で、良材をふんだんに用い、巧緻な技術が駆使された近代の住宅建築として価値が高いとともに、土蔵や煉瓦塀など附属施設が残り、往時の屋敷構えをよく伝えている点も貴重である。 【参考文献】 『青森県近代和風建築総合調査報告書』(青森県教育委員会 二〇〇四年)
関連情報
附指定
棟札(明治40年6月21日)
関連情報
附指定
附名称
:
棟札(明治40年6月21日)
附員数
:
1枚