国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
吉香神社
ふりがな
:
きっこうじんじゃ
棟名
:
本殿
棟名ふりがな
:
ほんでん
吉香神社 本殿
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
江戸中期
年代
:
享保13
西暦
:
1728
構造及び形式等
:
三間社流造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02460
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2004.12.10(平成16.12.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
山口県
所在地
:
山口県岩国市横山
保管施設の名称
:
所有者名
:
吉香神社
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
吉香神社 本殿
解説文:
詳細解説
吉香神社は,岩国城址の南麓にあり,岩国藩主吉川氏歴代の神霊を祀る。享保13年(1728)の建築で,現在地へは明治18年に曳家されたが,軸部から小屋組まで当初形式をよく保持している。
本殿は,三間社流造,千鳥破風,軒唐破風付,檜皮葺である。拝殿は,身舎が
桁行三間,梁間三間,妻入で,両側面に庇を設け,背面に幣殿を接続する。
吉香神社の建築群は,いずれも充実した細部を備えた丁寧なつくりになる。とくに,本殿と拝殿及び幣殿は独特な形式で,複雑な架構と屋根構成を巧みに纏めており,独自性が認められる。
全国的にも数少ない神霊を祀る神社建築で,岩国藩大工の高い技量が窺え,地方における江戸中期の優品として,高い価値がある。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
吉香神社 本殿
写真一覧
吉香神社 本殿
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
吉香神社は,岩国城址の南麓にあり,岩国藩主吉川氏歴代の神霊を祀る。享保13年(1728)の建築で,現在地へは明治18年に曳家されたが,軸部から小屋組まで当初形式をよく保持している。 本殿は,三間社流造,千鳥破風,軒唐破風付,檜皮葺である。拝殿は,身舎が 桁行三間,梁間三間,妻入で,両側面に庇を設け,背面に幣殿を接続する。 吉香神社の建築群は,いずれも充実した細部を備えた丁寧なつくりになる。とくに,本殿と拝殿及び幣殿は独特な形式で,複雑な架構と屋根構成を巧みに纏めており,独自性が認められる。 全国的にも数少ない神霊を祀る神社建築で,岩国藩大工の高い技量が窺え,地方における江戸中期の優品として,高い価値がある。
詳細解説▶
詳細解説
吉香神社 三棟 本殿、拝殿及び幣殿、神門、鳥居一基 吉香神社は、岩国市を流れる錦川の下流、その屈曲点の横山に築かれた岩国城址の南麓にあり、岩国藩主吉川氏歴代の神霊を祀っている。この地は吉川家の居館跡で、これよりやや下流、対岸の城下町に向けて錦帯橋が架かっている。 創建は元亀四年(一五七三)で、吉川元春が安芸国山県郡新庄の駿河八幡宮境内に祠を建てたことに始まる。関ヶ原の戦後、吉川氏は岩国に移ったが、鋒垂明神と改号していた祠を岩国に遷宮したのは正徳二年(一七一二)で、享保一三年(一七二八)には岩国城址の麓の白山宮境内に遷された。明治七年には、吉川氏歴代の神霊の合祀に伴って吉香神社となり、明治一八年には白山神社境内から約一〇〇メートル離れた現在地に移され、現在に至っている。 吉香神社は、鳥居、神門、拝殿及び幣殿、本殿が南から北に一直線に並んだ構成である。拝殿及び幣殿の東には神楽殿、西には神饌所があり、外周の前半を透塀、後半を築地塀で囲っているが、これらは明治一八年の新築である。 近世の造営については、正徳二年(一七一二)と享保一三年(一七二八)の棟札がある(附指定とする)。また、『岩邑年代記』(岩国徴古館所蔵)には、享保一三年の造営経過が詳しく記されており、四月一三日に柱立、四月二三日に棟上、遷宮は九月二五日であった。九月二五日条には各建物の規模形式が次のように記されている。 一 本社三間社明神作リ組物一手先妻流破風 向千鳥唐破風二重繁垂木鏡天井梁行本間 九尺橋陰の間七尺二寸濱床惣土居一丈六 尺二寸桁行一丈七尺一寸惣高二丈八寸五 歩石口より棟瓦迄 一 玉垣長押作リ折廻し拾壱丈余上枌葺足 一 拝殿向作リ組物其外寸尺略之 一 四足門同略之 一 外繁三足立 一 棟札享保一三年戊申九月廿四日同略之 一 華表銘朝枝世美謹記月日其余略 一 鳥居額字宝鏡院姫宮の御筆也 これらより、建築年代は享保一三年と判明し、造営には岩国藩大工頭が携わった。近世の修理は不明であるが、明治一八年の移動は曳家と屋根葺替で、軸部から小屋組まで当初の形式をよく保持している。 本殿は、三間社流造で、正面と両側面に刎高欄付の切目縁を廻し、正面には中央階五級、浜床、浜縁を設け、基壇は切石積とする。 身舎は梁間二間で、後方一間を内陣、前方一間を外陣とする。身舎は礎石上に土台を据えて円柱を立て、縁長押・内法長押・頭貫で固め、尾垂木付二手先の組物とし、軒支輪を二段に組み、各間に中備蟇股を配する。屋根は正面千鳥破風、軒唐破風付の檜皮葺で、軒は二軒繁垂木、妻飾は二重虹梁・大瓶束笈形付で、猪目懸魚をつける。庇は面取角柱を立て、縁長押・頭貫で固め、内側は三斗に五斗、両端は連三斗に六斗を重ねた組物とする。身舎と庇の接続は両端が海老虹梁、その間は彫物手挟とする。柱間装置は内外陣境を幣軸双折両開板扉、正面三間を格子戸引違、他を板壁とする。内部は外陣が畳敷に鏡天井で、内陣は前半が畳敷で後半を一段高い棚とし、棹縁天井を張る。柱や長押などの軸組は弁柄塗、組物・蟇股・手挟・妻飾には彩色を施し、特に外陣は、東壁に竹、西壁に松、天井に雲龍を描く。 拝殿は、身舎が桁行三間、梁間三間で、両側面に一間の庇を設け、四周に縁を廻す。軸部は円柱を立てて縁長押・内法長押・頭貫で固めるが、身舎の両側は大虹梁を架けて柱を省略し、庇とは海老虹梁で繋ぐ。組物は正面と背面の外側が出組、他が三斗で、各面中央間に中備蟇股を配する。内部は床が板敷、身舎が折上小組格天井、両側の庇が化粧屋根裏になる。軒廻りは、正面と背面は二軒繁垂木で、菱格子を彫った板支輪をつけ、側面の庇は一軒繁垂木とする。屋根は檜皮葺で、入母屋造、妻入、両側は縋破風とし、千鳥破風を設け、正面及び両側面の軒先は一段切り上げる。妻飾は虹梁・大瓶束で、猪目懸魚をつける。柱間装置は、各面とも中央間が格子戸、その他が腰縦板壁で上に格子を入れる。朱漆塗が基本で、蟇股の彫物などには彩色を施す。 幣殿は桁行二間、梁間三間、切妻造、檜皮葺で、拝殿背面中央部に接続する。軸部は角柱をたて、縁長押・内法長押・頭貫で固める。組物は三斗で、背面中央間に中備蟇股を配する。内部は畳敷、棹縁天井である。軒廻りは一軒繁垂木で、妻飾は二重虹梁・大瓶束笈形付で、猪目懸魚をつける。柱間装置は、背面中央間が格子戸、両側面前側が板戸、その他が腰縦板壁で上に格子を入れる。 神門は、一間一戸四脚門で、左右に潜戸を設ける。軸部は円柱の親柱と面取角柱の控柱をたて、腰長押・頭貫で固め、親柱に冠木をのせ、組物は三斗実肘木、中備蟇股とする。中央には両開板扉を設け、左右の腰長押上には花狭間を入れる。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁大瓶束笈形付で、破風中央に猪目懸魚を飾る。屋根はすべて切妻造、檜皮葺である。 鳥居は、花崗岩製の明神鳥居で、東の柱に由緒来歴、西の柱に「享保十三年戊甲歳秋八月吉祥日」と建立年月日を陰刻する。規模は足元で柱間三・五メートル、柱径三八センチメートル、地盤面から笠木上端まで約四メートルである。 吉香神社の本殿、拝殿及び幣殿、神門は、いずれも充実した細部を備えた丁寧なつくりになり、拝殿は独特な妻入形式で複雑な架構と屋根構成を巧みに纏めており、形式にも独自性が認められる。全国的にも数少ない祖霊を祀る神社建築で、全体に岩国藩大工の質の高い技量が窺え、地方における江戸中期の優品として、高い価値が認められる。 【参考文献】 『山口県の近世社寺建築 近世社寺建築緊急 調査報告書』(山口県教育委員会 一九七九 年) 『吉香神社本殿・拝殿・神門保存修理工事報 告書』(吉香神社 一九九九年)
関連情報
附指定
棟札(正徳2年3月27日、享保13年9月25日)
関連情報
附指定
附名称
:
棟札(正徳2年3月27日、享保13年9月25日)
附員数
:
2枚