国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧小野田セメント製造株式会社竪窯
ふりがな
:
きゅうおのだせめんとせいぞうかぶしきがいしゃたてがま
棟名
:
棟名ふりがな
:
旧小野田セメント製造株式会社竪窯
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員数
:
1棟
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
明治
年代
:
明治16
西暦
:
1883
構造及び形式等
:
煉瓦造竪窯、正面6.7m、側面6.6m、総高17.8m
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02461
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2004.12.10(平成16.12.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
山口県
所在地
:
山口県山陽小野田市大字小野田6276番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
太平洋セメント株式会社
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧小野田セメント製造株式会社竪窯
解説文:
詳細解説
旧小野田セメント製造株式会社竪窯は,小野田港に面する太平洋セメント小野田工場敷地の南東隅に位置する。明治16年に建設されたセメント焼成用の竪窯の一つで,明治30年頃に焼成容量増加を目的として,一部改造された。
焼成部分と煙突部分からなる煉瓦構造物で,高さは焚き口底部より約18mである。
旧小野田セメント製造株式会社竪窯は,わが国に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として,近代窯業史上,高い価値がある。
また,西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の中心的施設として重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧小野田セメント製造株式会社竪窯
旧小野田セメント製造株式会社竪窯
旧小野田セメント製造株式会社竪窯 内部
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旧小野田セメント製造株式会社竪窯
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旧小野田セメント製造株式会社竪窯
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旧小野田セメント製造株式会社竪窯 内部
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解説文
旧小野田セメント製造株式会社竪窯は,小野田港に面する太平洋セメント小野田工場敷地の南東隅に位置する。明治16年に建設されたセメント焼成用の竪窯の一つで,明治30年頃に焼成容量増加を目的として,一部改造された。 焼成部分と煙突部分からなる煉瓦構造物で,高さは焚き口底部より約18mである。 旧小野田セメント製造株式会社竪窯は,わが国に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として,近代窯業史上,高い価値がある。 また,西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の中心的施設として重要である。
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詳細解説
旧小野田セメント製造株式会社竪窯 一基 旧小野田セメント製造株式会社竪窯は、小野田港に面する太平洋セメント小野田工場敷地の南東隅に位置する。 明治一四年に設立された、わが国で最初の民間セメント会社であるセメント製造会社は、同一六年にセメント焼成用の竪窯四基を建設し、同年より操業を開始した(明治一六年九月九日付「創立以来ノ履歴書」(小野田セメント製造株式会社時代の写し、太平洋セメント株式会社所蔵)による)。その後、セメント需要の増加に対応するために工場施設の拡充、改良等が図られ、明治三〇年頃には、既存の窯四基の焼成容量増加を目的とした工事が実施された。この工事の正確な年代を示す資料は見つかっていないが、太平洋セメント株式会社所蔵の古写真より、明治二六年から明治三三年の間に実施されていることがわかる。竪窯は明治期を通じて使用されたが、ディーチェ窯等の新設に伴い、次第にその重要性を失い、大正二年には機能を停止し、当初建設された四基のうち西端の一基を残してすべて撤去された。その後、煉瓦目地の補修、煙突部の鉄製バンド取替え等の工事が数度実施されているが、全体的に残存状況は良好である。 旧小野田セメント製造株式会社竪窯は、煉瓦造で、焼成部分と煙突部分からなる。高さは焚き口底部より一七・八メートルで、窯内部の縦断面形状は徳利形とする。 焼成部分は、正面六・七メートル、側面六・六メートル、高さ六・七メートルの立方体に近い形をとる。北面に穿たれた焚き口は、上部を煉瓦三枚厚の半円アーチとし、焚き口奥部には、鉄製の火床梁を東西方向に三本架す。また、西、南及び北面の下部にフランス積壁面、西面上部及び東面に長手を多く見せた煉瓦壁面、その他の側面にはオランダ積壁面を表す。笠井順八が厚狭郡長に宛てた、明治二四年八月八日付『証明願』(三井文庫所蔵)添付の工事前竪窯断面図の内径と焼成部分高さは、現在の窯の内径とフランス積部分までの高さとほぼ一致し、積み方の変化する高さ五・四メートル部分までは、基本的に工事前の当初部分で、上部一・三メートル及び煙突部分は、明治三〇年頃の新築と判断できる。 煙突部分は、高さ一一・一メートルで、頂部に近い部分を円柱形、その下部を円錐形とする。一枚半厚の小口積とし、構造躯体の内側全面には一枚厚のライニングを施す。北東下部には、原料及び燃料の搬入に用いられた半円アーチ形開口部を設ける。また、計一三本の鉄製バンドで煉瓦躯体を締めつけ、煙突中段には煉瓦突出部を帯状に廻らし、水切りとする。 旧小野田セメント製造株式会社竪窯は、西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の代表的遺構として重要である。また、わが国に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として、近代窯業史上、価値が高い。 【参考文献】 『創業五十年史』(小野田セメント製造株式会社 一九三一年) 『山口県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』(山口県教育委員会 一九九八年) 『山口県史跡「小野田セメント徳利窯」保存 修理事業報告書』(太平洋セメント株式会社 徳利窯保存調査委員会 二〇〇三年)