国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
清白寺庫裏
ふりがな
:
せいはくじくり
棟名
:
棟名ふりがな
:
清白寺庫裏
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸中期
年代
:
元禄2~6
西暦
:
1689-1693
構造及び形式等
:
桁行17.5m、梁間12.2m、一重、切妻造、妻入、茅葺、北面庇付、鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02466
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2005.07.22(平成17.07.22)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
山梨県
所在地
:
山梨県山梨市三ヶ所
保管施設の名称
:
所有者名
:
清白寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
清白寺庫裏
解説文:
詳細解説
清白寺は甲府盆地東部にある臨済宗寺院で,正慶2年(1333)の創建と伝える。南から,総門,鐘楼門,仏殿,本堂が一線上に建ち,本堂東に庫裏がある。
天和2年(1682)の火災で,仏殿を残して堂塔が焼失した。現存する庫裏は,この火災後,元禄2~6年(1689~1693)の間に再建されたと考えられる。
南を正面とする切妻造,妻入,茅葺で,北面に下屋を設ける。平面は正面側に土間を設け,床上は棟通りで東西に二分し,西側が客室部,東側が居室部になる。
清白寺庫裏は,規模が大きく整然とした平面構成をもち,内部も瀟洒な座敷や豪放な架構を現した土間廻りなど見るべきところがあり,高い価値がある。
立面の意匠も優秀で,地方における江戸時代中期の禅宗寺院庫裏として,貴重な遺構といえる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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清白寺庫裏
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清白寺庫裏
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解説文
清白寺は甲府盆地東部にある臨済宗寺院で,正慶2年(1333)の創建と伝える。南から,総門,鐘楼門,仏殿,本堂が一線上に建ち,本堂東に庫裏がある。 天和2年(1682)の火災で,仏殿を残して堂塔が焼失した。現存する庫裏は,この火災後,元禄2~6年(1689~1693)の間に再建されたと考えられる。 南を正面とする切妻造,妻入,茅葺で,北面に下屋を設ける。平面は正面側に土間を設け,床上は棟通りで東西に二分し,西側が客室部,東側が居室部になる。 清白寺庫裏は,規模が大きく整然とした平面構成をもち,内部も瀟洒な座敷や豪放な架構を現した土間廻りなど見るべきところがあり,高い価値がある。 立面の意匠も優秀で,地方における江戸時代中期の禅宗寺院庫裏として,貴重な遺構といえる。
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詳細解説
清白寺庫裏 一棟 清白寺は甲府盆地東部にある臨済宗寺院で、周囲に畑地が広がる平坦地に伽藍を構えている。南から、総門、鐘楼門、仏殿、本堂が直線上に建ち、本堂の東に庫裏がある。 寺伝によると、足利尊氏を開基、夢窓疎石を開山として、正慶二年(一三三三)に創建されたという。最初に仏殿が建てられたとされるが、創建期の状況や中世の沿革については詳かではない。仏殿は、入母屋造、檜皮葺のいわゆる方三間もこし付形式で、応永二二年(一四一五)の建立と判明しており、建築年代の明確な中世禅宗様仏殿として、昭和三〇年六月二二日に国宝に指定されている。 近世に入ると、寛永一八年(一六四一)、正保二年(一六四五)に仏殿の修理があったことが知られる。しかし、天和二年(一六八二)一二月の火災で、本尊と仏殿を残して、堂塔が焼失し、現存する庫裏はこの火災後に再建された。寺蔵の『開山齋料施入記』には、庫裏は当寺三世の玄竺による再建とあり、玄竺が住職を務めた元禄二~六年(一六八九~一六九三)の再建と考えられる。 庫裏は、正面一二・二メートル(六間半)、側面一七・五メートル(九間半)の規模をもつ。南を正面とする切妻造、妻入、茅葺で、北面に下屋庇を設け、西面南寄りには玄関付の廊下が接続して本堂東面と繋がれている。 平面は、正面側に土間を設け、西を大路地、東を台所とする。床上は、棟通りで東西に二分し、西側が客室部、東側が居室部になる。土間に接した板間は西を玄関の間、東を典座寮(てんぞりょう)と常住の間とする。奥は中央に納戸を配し、その東西に八畳間二室を南北に並べ、西に入側縁、東と北に内縁を廻す。北西隅が床・付書院のある書院で、南を茶頭寮(ちゃじゅうりょう)、東側は北を住職居間、南を知客寮(しかりょう)とする。 軸部は礎石の上に角柱を立て、長押、貫、差物(さしもの)、繋梁で(つなぎばり )固める。柱は床上部に栂、土間廻りには栗を用い、土間境の棟通りにはひとまわり太い柱を用い、頂部を三重の梁まで延ばす。天井は書院、茶頭寮、入側が棹縁天井、住職居間、知客寮、納戸が根太天井で、南半の土間及び板間は梁組をあらわす。小屋組は三重に梁を架け、束(つか)を貫で固め、叉首(さす)を併用した和小屋とする。 正面の立面は、禅宗寺院庫裏の通例に倣い、虹梁(こうりょう)状の梁を三重に重ね、その間を大瓶束(たいへいづか)・蟇股(かえるまた)で支え、要所に花肘木(はなひじき)風の組物を用いるなど、特に意匠を凝らしている。 近辺の類例には、臨済宗寺院の雲峰寺庫裏(塩山市、江戸前期)と真言宗寺院の慈眼寺庫裏(一宮町、慶安三年頃)があり、両者とも建築年代が清白寺庫裏より古い(ともに重要文化財)。清白寺庫裏は、規模的には慈眼寺庫裏より大きく、雲峰寺庫裏とほぼ同じである。平面的には、雲峰寺庫裏や慈眼寺庫裏が過渡的な様相をみせるのに比べ、清白寺庫裏は整然とした構成になっており、近世的な発展を窺うことができる。同様なことは、小屋組を含めた架構にも認められる。 清白寺庫裏は、大規模で整然とした平面構成をもち、内部も瀟洒な座敷や豪放な架構をあらわした土間廻りなど見るべきところがあり、立面の意匠も優秀で、価値が高い。地方における江戸時代中期の禅宗寺院庫裏として発達した平面や構造を有しており、貴重な遺構といえる。 【参考文献】 『山梨県の近世社寺建築』(山梨県教育委員会 一九八三年) 『山梨県指定有形文化財 清白寺庫裏修理工事 報告書』(山梨県教育委員会 一九八九年)