国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
宇部市渡辺翁記念会館
ふりがな
:
うべしわたなべおうきねんかん
棟名
:
棟名ふりがな
:
宇部市渡辺翁記念会館
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員数
:
1棟
種別
:
近代/文化施設
時代
:
昭和
年代
:
昭和12
西暦
:
1937
構造及び形式等
:
鉄筋コンクリート造及び鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積2,581.67平方メートル、3階建、地下1階、東面テラス附属
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02477
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2005.12.27(平成17.12.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
山口県
所在地
:
山口県宇部市朝日町8番1号
保管施設の名称
:
所有者名
:
宇部市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
宇部市渡辺翁記念会館
解説文:
詳細解説
宇部市渡辺翁記念会館は,宇部の発展に貢献した渡辺祐策素行翁を顕彰するため,昭和12年に建てられた。設計は村野藤吾である。
鉄筋コンクリート造(会堂部は鉄骨鉄筋コンクリート造),一部地下室付の地上三階建である。会館前面には広大なテラスを設け,記念碑と記念柱を立てる。
平面は,ホール部・会堂部・舞台部から成る,いわゆる「飛行機型」である。外観正面は曲率を変えた三つの壁面によりダイナミックに構成されている。
宇部市渡辺翁記念会館は,建築家村野藤吾の戦前における集大成作品といえ,高い価値がある。
表現派の系譜をひくモダニズム建築の代表作であるとともに,日本近代建築のひとつの到達点を示す作品として重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
宇部市渡辺翁記念会館
宇部市渡辺翁記念会館 内部
宇部市渡辺翁記念会館 内部
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宇部市渡辺翁記念会館
写真一覧
宇部市渡辺翁記念会館 内部
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宇部市渡辺翁記念会館 内部
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解説文
宇部市渡辺翁記念会館は,宇部の発展に貢献した渡辺祐策素行翁を顕彰するため,昭和12年に建てられた。設計は村野藤吾である。 鉄筋コンクリート造(会堂部は鉄骨鉄筋コンクリート造),一部地下室付の地上三階建である。会館前面には広大なテラスを設け,記念碑と記念柱を立てる。 平面は,ホール部・会堂部・舞台部から成る,いわゆる「飛行機型」である。外観正面は曲率を変えた三つの壁面によりダイナミックに構成されている。 宇部市渡辺翁記念会館は,建築家村野藤吾の戦前における集大成作品といえ,高い価値がある。 表現派の系譜をひくモダニズム建築の代表作であるとともに,日本近代建築のひとつの到達点を示す作品として重要である。
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詳細解説
宇部市渡辺翁記念会館 一棟 宇部市渡辺翁記念会館は、JR宇部線宇部新川駅東北方に所在する宇部市渡辺翁記念公園の西寄りに東を正面にして建つ。宇部の発展に貢献した渡辺祐策素行翁(一八六四~一九三四)を顕彰するため沖ノ山炭坑会社外六社が建設し、公園とともに宇部市に寄付したもので、昭和一○年一○月着工、昭和一二年七月竣工している。設計は、村野藤吾である。 ちなみに、渡辺祐策は宇部出身の実業家で、宇部沖ノ山炭鉱ほか、宇部電気鉄道、宇部鉄工所、宇部セメント、宇部銀行などの会社を興し、昭和九年七月に死去した。村野藤吾(一八九一~一九八四 本名藤吉)は、大正七年早稲田大学建築学科を卒業、渡辺節の主宰する建築事務所に入所し、昭和四年独立して村野建築事務所を開設、昭和二四年村野・森建築事務所とした。昭和四二年には文化勲章を受章、昭和五五年に日本芸術院会員となった。 宇部市渡辺翁記念会館は、鉄筋コンクリート造(会堂部は鉄骨鉄筋コンクリート造)一部地下室付地上三階建、建築面積は二、四六三平方メートルで、会館前面には広大なテラスを設け、テラス階段の中央には直方体形の記念碑を置き、階段に沿って両翼に三本づつのコンクリート記念柱を立てる。記念碑と記念柱は、渡辺翁記念会館を建設し、宇部市に寄付した七社(沖ノ山炭鉱株式会社・宇部セメント製造株式会社・宇部窒素工業株式会社・株式会社宇部鉄工所・宇部電気鉄道株式会社・宇部紡績株式会社・新沖山炭鉱組合)を象徴している。 会館平面は、ホール部・会堂部・舞台部から成る「所謂飛行機型」で、正面中央に黒花崗石磨仕上げの十字柱が支持する玄関庇を突きだし、玄関左右の脇壁は坑夫をモチーフとした人造石レリーフ彫刻で飾る。 会館正面は曲率を変えた三つの壁面によりダナミックに構成され、会堂部の側面は鉄骨鉄筋コンクリート造による柱形を外部に現す。外部は、三寸×六寸の褐黒色タイル張とし、縦張の層を挿入して変化をもたせ、所々に半桝状のタイルを突出させて張るなどして陰影をつける。また、壁面の額縁などには人造石ブロックや打ち放しコンクリートを用い、要所の開口部にはガラスブロックを積むなど新建材を多用する。 内部は、ホール部一階広間の独立円柱には白雲模様の大理石を張り、フラットスラブの柱頭廻りにはグラデーション彩色を施す。二階広間の独立円柱は長州オニックス張りで、会堂部寄りの柱列は会堂二階席床梁の端部を支持し、階段室寄りの柱列との間に高い吹き抜け空間をつくる。会堂部は扇形平面で、創建時は北面及び南面の壁が外部に接し開口部が設けられていたが、現在は、両側に側廊が増設され、天井の構成等を保持したまま空調設備等の導入や更新が図られてきている。舞台部も、背面側に機械室や楽屋等が増築されているが、舞台規模に変化はなく、大臣柱廻り等当初の仕様をよく残す。なお、創建時の客席数は二、○○○とされる。平成四~六年改修後の客席数は、一階八四五、二階五一六、計一、三六一となっている。 宇部市渡辺翁記念会館は、建築家村野藤吾の戦前における集大成作品であり、表現派の系譜をひくモダニズム建築の代表的作品であるとともに、日本近代建築のひとつの到達点を示す作品として重要である。 【参考文献】 『山口県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』(山口県教育委員会 一九九八年)