国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧富岡製糸場
ふりがな
:
とみおかせいしじょう
棟名
:
蒸気釜所
棟名ふりがな
:
じょうきがましょ
旧富岡製糸場 蒸気釜所
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員数
:
1棟
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
明治
年代
:
明治5
西暦
:
1872
構造及び形式等
:
木骨煉瓦造及び木造、建築面積346.14平方メートル、桟瓦葺及び鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02482
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2006.07.05(平成18.07.05)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
(四)学術的価値の高いもの
所在都道府県
:
群馬県
所在地
:
群馬県富岡市富岡1番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
富岡市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧富岡製糸場 蒸気釜所
解説文:
詳細解説
旧富岡製糸場は,明治政府の殖産興業政策に基づいて設立された官営の模範器械製糸工場である。
明治4年3月に起工,翌5年7月に繰糸所と東西の置繭所が落成,同年10月4日に開業した。繰糸所は平屋建,東西の置繭所は2階建で,ともに桁行100m以上の大規模な木骨煉瓦造である。
旧富岡製糸場の繰糸所,東西の置繭所等は,明治初期の官営製糸工場遺構で,開業時に近い時期の主要生産施設がほぼ完存しており,高い歴史的価値がある。
また,木骨煉瓦造を中心とした我が国最初期の西洋式建築の構造技術や建築技法を伝えており,学術的に高い価値がある。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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旧富岡製糸場 蒸気釜所
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旧富岡製糸場 蒸気釜所
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解説文
旧富岡製糸場は,明治政府の殖産興業政策に基づいて設立された官営の模範器械製糸工場である。 明治4年3月に起工,翌5年7月に繰糸所と東西の置繭所が落成,同年10月4日に開業した。繰糸所は平屋建,東西の置繭所は2階建で,ともに桁行100m以上の大規模な木骨煉瓦造である。 旧富岡製糸場の繰糸所,東西の置繭所等は,明治初期の官営製糸工場遺構で,開業時に近い時期の主要生産施設がほぼ完存しており,高い歴史的価値がある。 また,木骨煉瓦造を中心とした我が国最初期の西洋式建築の構造技術や建築技法を伝えており,学術的に高い価値がある。
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詳細解説
旧富岡製糸場 七棟、一基、一所 繰糸所、東置繭所、西置繭所、蒸気釜所、鉄水溜、下水竇及び外竇、首長館、女工館、検査人館 旧富岡製糸場は、明治新政府の殖産興業政策に基づき設立された官営の模範器械製糸工場で、群馬県富岡市を東西に流れる鏑川(かぶら )の左岸、河岸段丘上に、東西約二一〇メートル、南北約二五〇メートルの敷地を構える。フランス人ブリューナの企画指導により、当時横須賀製鉄所(横須賀造船所)に所属したフランス人お雇い建築技術者のバスチャンが設計、明治四年三月に起工し、同五年七月には繰糸所と東西の置繭所が落成し、同五年一○月四日に開業している。企画当初は民部省所管で、明治四年七月大蔵省の所管となる。明治七年内務省勧業寮(明治一〇年勧農局)に属し、明治一四年四月七日農商務省設置に伴い農商務省の所管となる。以降、明治二六年三井家に払い下げられるまで、農商務省の所管であった。なお、明治九年九月「富岡製糸所」と改称されている。 主施設の落成に前後して、蒸気釜所、下水竇及び外竇、首長館、女工館、検査人館が建設され、明治八年には鉄水溜が設置されている。その後、明治二六年に三井家に払い下げられ、同三五年からの原合名会社経営時代を経て、昭和一三年から片倉製糸紡績株式会社(のち片倉工業株式会社)が経営を引継ぎ、同六二年三月操業を停止した。平成一七年七月一四日付けで史跡に指定され、同年九月三〇日には敷地内の建造物が片倉工業株式会社から富岡市に無償譲渡された。 旧富岡製糸場の繰糸所、東西の置繭所、蒸気釜所、首長館、女工館、検査人館は、フランス人の指導により幕末から明治初頭にかけて建設された横須賀造船所の主要建築物と同様の木骨煉瓦造で、煉瓦は富岡近在で焼成された。平成一七年、甘楽郡甘楽町大字福島字金山地内で関連遺構とみられる達磨窯跡が発見された。 繰糸所は、敷地中央南寄りに位置し、桁行一四〇・四メートル、梁間一二・三メートル、東西棟、切妻造、桟瓦葺の平屋建で、桁行全長にわたり越屋根を上げる。軒高六・一メートル、棟高一二・一メートルである。柱は三〇センチメートル角で、礎石建の通柱として三・六メートル間隔に建て、柱礎石間を布石積、柱間は中央を鉄製サッシュ、両脇を煉瓦一枚積とし、貫上部には柱間の煉瓦壁中央に鉄製サッシュ二連の窓を建て込む。小屋組は木造キングポストトラスとする。 東置繭所は、繰糸所の東端部の北方に南北棟で建つ。桁行一〇四・四メートル、梁間一二・三メートル、切妻造、桟瓦葺の木骨煉瓦造二階建で、西面と南面に二階建のヴェランダを付ける。東面軒高九・七メートル、棟高一四・八メートルである。基礎及び柱は繰糸所と同様の礎石建、通柱で、柱間のフランス積煉瓦壁に一階では一段、二階では二段の窓を開けるのを基本とし、西面廊下側に主として出入口を設ける。窓は、外を両開板戸、内を両開ガラス戸を基本形とする。小屋組は、室内中央に建つ棟木まで達する通柱を組み込んだキングポストトラスのような形状とする。また、正門に面する北寄りには東西に抜ける通路を設け、通路入口アーチの要石に「明治五年」を刻む。 西置繭所は、繰糸所の西端部の北方に位置し、東置繭所と向かい合って建つ。桁行一〇四・四メートル、梁間一二・三メートル、切妻造、桟瓦葺の木骨煉瓦造二階建で、東面と南面に二階建のヴェランダを廻す。東西通路をもたないこと、一階窓の上部を煉瓦壁としないほかは東置繭所と同様のつくりである。 蒸気釜所は、繰糸所中央部の北に位置し、南北棟・木骨煉瓦造の当初蒸気釜所西端部と、越屋根付で東西棟の当初汽罐室(きかんしつ)二スパン分を残す。 鉄水溜は、蒸気釜所の西に位置し、一〇三箇所の独立した石積基礎の上に載る。直径一五メートル、深さ二・四メートルの桶状工作物で、厚五ミリメートル、幅一二二〇ミリメートル、長三〇三五ミリメートルと二四三五ミリメートルの二種類の鉄板をリベット接合で張り合わせ、上端の縁と、外壁と底面の接合部にアングル材を入れる。製作は、横須賀造船所分工場の横浜製作所である。 下水竇及び外竇は、繰糸所で使用された汚水の排除と、置繭所等の屋根からの雨水排除のための暗渠である。繰糸所の北側に並行して設けられ、敷地東側の道路に出て南へ矩折れ、鏑川に排出する。敷地内の下水竇は幅六〇センチメートル、延長一八六メートルで、側壁と天井ヴォールトを煉瓦で造り、敷地内に五箇所の人孔を設ける。外竇は、幅七六センチメートルで、側壁は玉石積、天井ヴォールトは煉瓦でつくっている。 首長館は、富岡製糸場首長ブリューナの住宅として建設されたもので、繰糸所の東南方に位置する。東西三三メートル、南北三二・五メートル、L字形平面をもつ寄棟造、桟瓦葺の木骨煉瓦造平屋建で、周囲にヴェランダを配し、煉瓦造地下室を中央部に設ける。ブリューナ帰国後は、寄宿舎・学校などに利用されたため内部は大きく改変されている。 女工館は、富岡製糸場開業時に雇入れられた四名のフランス人女性製糸教師のための宿舎として建設されたもので、東置繭所南端部の東に位置する。桁行二〇・一メートル、梁間一七・四メートル、東西棟、寄棟造、桟瓦葺の木骨煉瓦造二階建で、東・南・西の各面にヴェランダを廻す。大正期に食堂等に大きく改造されている。 検査人館は、富岡製糸場開業時に雇入れられた二名のフランス人生糸検査技師のための宿舎として建設されたもので、女工館の北方、正門から東置繭所東西通路に向かうアプローチの南側に位置する。桁行一八・八メートル、梁間一〇・九メートル、南北棟、寄棟造、桟瓦葺の木骨煉瓦造二階建で、東・南面にヴェランダを廻す。中央部を階段室とし、その北方は事務室等に改造されているが、南方は煖炉飾り等が現存し、フランス人官舎の面影をよく留める。 開業時の正門(大門)には候門所(こうもんしょ)が置かれていた。この候門所は、木造平屋建、桟瓦葺で、北方に曳家され、社宅群の西南部に現存しており、これを附指定とする。 旧富岡製糸場の繰糸所、東西の置繭所、蒸気釜所、鉄水溜、下水竇及び外竇、首長館、女工館、検査人館は、明治新政府の殖産興業政策を端的に物語る官営の模範的器械製糸工場遺構であり、開業時に近い時期の主要生産施設がほぼ完存しており、高い歴史的価値がある。また、木骨煉瓦造を中心とした我が国最初期の西洋式建築の構造技術や建築技法を伝えていることで学術的にも価値が高い。 【参考文献】 『群馬県近代化遺産総合調査報告書』(群馬 県教育委員会 一九九二年) 『旧富岡製糸場建造物群調査報告書』(富岡 市教育委員会 二○○六年)