国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧八百津発電所施設
ふりがな
:
きゅうやおつはつでんしょしせつ
棟名
:
水槽
棟名ふりがな
:
すいそう
旧八百津発電所施設 水槽
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員数
:
1所
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
明治
年代
:
明治44
西暦
:
1911
構造及び形式等
:
煉瓦造及びコンクリート造、長さ73m、幅36m
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02346
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2005.07.22(平成17.07.22)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
岐阜県
所在地
:
岐阜県加茂郡八百津町八百津
保管施設の名称
:
所有者名
:
八百津町
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧八百津発電所施設 水槽
解説文:
詳細解説
旧八百津発電所施設は,木曽川中流域の右岸に位置する。
発電所本館は,八百津水力発電工事の一環として明治44年に竣工し,大正6年には放水口発電所が本館の北西に建設された。これらは,木曽川水系に最初に設けられた,わが国最初期の大規模発電所の施設として,重要文化財に指定されている。
明治期に建設された関連遺構としては,水槽と余水路が現存する。
水槽は,煉瓦造及びコンクリート造で高台に位置し,これより石造及びコンクリート造の余水路が木曽川に至る。
水槽及び余水路は,発電所本館とともに,わが国で最初期の大規模水路式発電所施設の構成を今に伝える貴重な遺構である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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旧八百津発電所施設 水槽
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旧八百津発電所施設 水槽
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旧八百津発電所施設 水槽
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解説文
旧八百津発電所施設は,木曽川中流域の右岸に位置する。 発電所本館は,八百津水力発電工事の一環として明治44年に竣工し,大正6年には放水口発電所が本館の北西に建設された。これらは,木曽川水系に最初に設けられた,わが国最初期の大規模発電所の施設として,重要文化財に指定されている。 明治期に建設された関連遺構としては,水槽と余水路が現存する。 水槽は,煉瓦造及びコンクリート造で高台に位置し,これより石造及びコンクリート造の余水路が木曽川に至る。 水槽及び余水路は,発電所本館とともに,わが国で最初期の大規模水路式発電所施設の構成を今に伝える貴重な遺構である。
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詳細解説
旧八百津発電所施設 二所 水槽、余水路、雑種地 旧八百津発電所施設は、木曽川中流域の右岸に位置する。 施設の中で、木曽川に面する敷地に建つ発電所本館は、八百津水力発電工事の一環として、名古屋電力株式会社技師長鹽屋益次郎を中心として建設が進められたもので、「水利使用許可台帳」(東邦電力株式会社、大正一三年、国立公文書館所蔵)によると、明治四〇年に起工、同四四年に竣工した。また、大正六年には、放水の落差を利用して発電を行う放水口発電所が、本館の北西に建設されている。竣工年は、『名古屋電燈株式会社史』(東邦電力株式会社、昭和二年)による。 発電所本館及び放水口発電所は、木曽川水系に最初に設けられ、都市部への大容量、高圧送電を担った、わが国で最初期の発電施設であり、周辺の土地とともに平成一〇年五月一日に重要文化財に指定されている。 明治期に建設された関連遺構としては、本館の他に、流下水量の調節を行うために、導水路の末端部分に設けられた水槽と、余水を水槽から木曽川に流すために設けられた余水路が現存する。 水槽は、本館から約二〇〇メートル東方の高台に位置する。長さ七三メートル、幅員三六メートルの煉瓦造及びコンクリート造構造物で、西側壁には鉄製門扉付の制水門六門、南側壁には排砂門二門を配す。また、制水門の西側下方の法面には、煉瓦造擁壁を築く。 余水路は、水槽南側壁に沿って設けられた溢流式余水吐から、斜面を弓状に湾曲しながら木曽川に至る長さ約二七〇メートルの石造及びコンクリート造構造物である。 水槽及び余水路は、発電所本館とともに八百津水力発電工事の一環として建設されたもので、わが国で最初期の大規模水路式発電所施設の構成を今に伝える貴重な遺構である。これら建造物と一体となり、歴史的風致を形成している土地とあわせて保存をはかる。 【参考文献】 『岐阜県近代化遺産(建造物等)総合調査報 告書』(岐阜県教育委員会 一九九六年) 『岐阜県重要文化財旧八百津発電所保存修理 事業報告書』(八百津町教育委員会、一九九八年)