国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
松城家住宅
ふりがな
:
まつしろけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
主屋
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
明治
年代
:
明治6
西暦
:
1873
構造及び形式等
:
木造、建築面積266.76平方メートル、二階建、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02485
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2006.07.05(平成18.07.05)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
静岡県
所在地
:
静岡県沼津市戸田72番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
沼津市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
主屋
解説文:
詳細解説
松城家住宅は、良港として知られる西伊豆の戸田にあり、江戸後期から主に廻船業を営んでいた松城家の居宅である。主屋は、棟札から明治6年の上棟である。ミセ、文庫蔵、東土蔵、北土蔵などの附属建物や、外周の石塀、石積の庭塀も、主屋と同時期に整えられたと考えられる。主屋は、2階建で、2階外壁は石積風に仕上げた白漆喰塗とし、壁の各所や天井のランプ釣元を、左官の入江長八とその一門の手になる漆喰鏝絵で飾る。
松城家住宅は,熟練した伝統的建築技術に基づいて洋風意匠を実現した明治初期の擬洋風住宅として、高い価値がある。また、芸術作品としても優秀な漆喰鏝絵など当時の高度な左官技術を示す遺構として、重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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主屋
松城家住宅
松城家住宅主屋内部
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主屋
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松城家住宅
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松城家住宅主屋内部
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解説文
松城家住宅は、良港として知られる西伊豆の戸田にあり、江戸後期から主に廻船業を営んでいた松城家の居宅である。主屋は、棟札から明治6年の上棟である。ミセ、文庫蔵、東土蔵、北土蔵などの附属建物や、外周の石塀、石積の庭塀も、主屋と同時期に整えられたと考えられる。主屋は、2階建で、2階外壁は石積風に仕上げた白漆喰塗とし、壁の各所や天井のランプ釣元を、左官の入江長八とその一門の手になる漆喰鏝絵で飾る。 松城家住宅は,熟練した伝統的建築技術に基づいて洋風意匠を実現した明治初期の擬洋風住宅として、高い価値がある。また、芸術作品としても優秀な漆喰鏝絵など当時の高度な左官技術を示す遺構として、重要である。
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詳細解説
松城家住宅 七棟 主屋、ミセ、文庫蔵、東土蔵、北土蔵、門及び塀、土地 松城家は、西伊豆の良港として栄えた戸田で文化年間から船を所有し、江戸や瀬戸内海方面の廻船を運行するなど、江戸後期から主に廻船業を営んで財をなし、戸田村の取締役も勤めた。嘉永七年(一八五四)のロシア船ディアナ号沈没事故の際、代船「ヘダ号」の造船御用掛(八名)を勤めるなど、造船も手がけた。明治五年までには、戸田大川右岸に現在の敷地を得ていた。松城家には明治五年に作成された原計画と思われる『家相図』が残っており、これを附指定とする。 松城家住宅は、宅地中央に南面して主屋が建ち、主屋東面南寄りにミセ、北面西端に文庫蔵を接続する。宅地の南東隅には東土蔵、北辺中央には北土蔵を配し、南面東寄りに門口を構え、南辺と西辺及び北辺の西側に石塀を廻し、北土蔵から東土蔵の間に石垣を築く。宅地の西側は旧菜園で、西北辺に低い石垣を築く。敷地の東辺と北辺には水路がある。敷地南面には、運河として利用されていた戸田大川に通じる水路があり、門の前には船着きの石階段が設けられていたが、昭和五〇年代に埋め立てられた。なお、平成一一年八月二三日に主屋、ミセ、文庫蔵、東土蔵、北土蔵、門柱及び塀、両袖塀付門の七件が登録有形文化財(建造物)に登録されている。 建築年代は、主屋が棟札から明治六年の上棟、大工は植田儀兵衛と判明する。ほかは年代を示す明確な資料を欠くが、主屋と同時期に整えられたと考えられる。 主屋は、桁行一七・七メートル、梁間一三・四メートルの二階建、寄棟造、桟瓦葺で、四周に下屋をつける。東面北寄りに釜屋、西面北寄りに便所が附属する。南面は、東端にドマ入口を設け、中央に切妻造、起り破風の庇を設け式台構えとする。外壁は、二階を目地を切って石積風に仕上げた白漆喰塗とする。二階の南面と北面に腰高窓を開き、額縁上角(うえかど)を円弧につくり、円柱の中柱を立てる。二階西面には、櫛形欄間付の窓を三箇所に飾る。 一階は、東端をドマとし、南側に一〇畳ヒロマ、八畳ホンゲンカン、八畳ザシキの表向きの三室が並び、北に折れて八畳ジョウダンノマと諸室が続く。北側は内向きで、東から一二畳半ナカノマとブツマ、一一畳マエナンド、六畳オクナンドが食い違いに並ぶ。ザシキとホンゲンカンは張付壁、棹縁天井、ジョウダンノマは床、棚、書院を飾り、金箔を散らした張付壁、張付天井とする。内向きの各室は漆喰塗壁で、マエナンドは天井も漆喰塗とする。 二階は、北側に階段室が食い込んだ変形八畳と一〇畳、南側に八畳二室を配し、南北に縁を設ける。階段室の東に六畳二室、一段低い踊り場を介した南東に六畳室を置く。西側の四室の中央には円柱が立ち、階段室を含めて輸入壁紙の張付天井とし、天井廻縁と内法長押に繰形を施す。南北室境の内法は建具でアーチ開口を現し、引戸を建て込む。南西室の西面には床と上げ下げ窓を見せる書院、北西室の西面には床と隠し仏をもつ棚を設ける。 壁の各所には、左官の入江長八とその一門の手になる漆喰鏝絵を飾る。土間入口外側天井にはランプ釣元飾り「牡丹」、マエナンド天井にはランプ釣元飾り「秋の実り」、二階南面縁の外壁内面には「雨中の虎」の漆喰鏝絵がある。「牡丹」には「天祐之章」、「雨中の虎」には「乾道」の落款があり、いずれも入江長八の号で、「雨中の虎」は画面左下の銘から明治九年の作品と判る。 ミセは、桁行五・五メートル、梁間五・八メートルの二階建、東西棟の切妻造、桟瓦葺で、南面に下屋をつける。外壁は大壁造白漆喰塗で、一階を押縁下見板張とする。正面は全面に格子を建て込み、潜戸を設け、内側に一本溝で雨戸を建てる。内部は下屋部分を土間、一階を六畳の二室、二階を八畳の一室とする。二階は、使用人室としていた。 文庫蔵は、桁行四・五メートル、梁間三・六メートル、土蔵造二階建、南北棟の切妻造、桟瓦葺である。外壁は白漆喰塗に海鼠壁とし、一階東面には蔵前をつけ、両開黒漆喰塗扉付の戸口を設け、二階南面には両開白漆喰塗扉付の窓を設け、小庇を付ける。一階の床板は、上げ蓋とする。二階はもと畳敷で、西面北端を四尺幅の床とし、西面と東面に押入を設け、天井は白漆喰塗とする。 東土蔵は、桁行七・三メートル、梁間五・五メートル、土蔵造二階建、南北棟の切妻造桟瓦葺とし、質蔵とも呼ばれた。西面中央は両開黒漆喰塗扉付の戸口を設け、庇をつける。南面二階には両開白漆喰塗扉付の窓を設け、小庇を付ける。外壁は白漆喰塗に海鼠壁とする。一階の床は北半を切石敷、南半を板敷とする。二階は北面を中棚付の戸棚とし、天井は戸棚内を含めて白漆喰塗とする。 北土蔵は、桁行九・一メートル、梁間三・五メートルの土蔵造二階建、東西棟の切妻造、桟瓦葺である。外壁は白漆喰塗に海鼠壁で、南面二箇所に石段と戸口を設け、南面二階は二箇所に小庇を付けた小窓を開く。内部は、中央で間仕切って東を味噌蔵、西を米蔵とし、一階の床は石敷とする。 外周の石塀は、整層切石積で谷切の目地とする。基礎石上に、南面は七段、西面南半は九段、西面中央と北面は八段を積んで笠石を載せ、高さ二・〇~二・七メートルとする。門柱は、各々高さ九尺の一本の伊豆石である。主屋の式台東と南面石塀を繋ぐ石積の庭塀には、アーチ門を開く。 松城家住宅は、熟練した伝統的建築技術にもとづいて洋風意匠を実現した建築年代の明確な明治初期の擬洋風住宅として、価値が高い。また、芸術作品としても優秀な漆喰鏝絵を要所に配するなど、当時の高度な左官技術を示す遺構としても重要である。蔵などの附属建物が残るとともに、敷地は建設当初の形状や外廻りの構えをよく保持しており、併せて保存を図る。 【参考文献】 『静岡県近代和風建築総合調査報告書』(静 岡県教育委員会 二〇〇二年) 建部恭宣『松城家住宅の建築について』(二 〇〇五年)
関連情報
附指定
家相図
関連情報
附指定
附名称
:
家相図
附員数
:
2枚