国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
四日市旧港港湾施設
ふりがな
:
よっかいちきゅうこうこうわんしせつ
棟名
:
顕彰碑
棟名ふりがな
:
けんしょうひ
四日市旧港港湾施設
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員数
:
1棟
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
明治
年代
:
明治37
西暦
:
1904
構造及び形式等
:
石造防波堤、延長199m
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02329
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1996.12.10(平成8.12.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(二)技術的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
三重県
所在地
:
三重県四日市市稲葉町地先、三重県四日市市高砂町地先
保管施設の名称
:
所有者名
:
四日市市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
四日市旧港港湾施設
解説文:
詳細解説
総延長199mの湾曲した防波堤、総延長77mの直線状の西防波堤、等からなる。明治27年の建設で、防波堤は高低差のある2つの堤を平行に並べ、内側の高い堤に5角形の水抜き穴をつくる特異な構造をもつ。その特異な構造から「潮吹き防波堤」の名で知られている。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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四日市旧港港湾施設
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四日市旧港港湾施設
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解説文
総延長199mの湾曲した防波堤、総延長77mの直線状の西防波堤、等からなる。明治27年の建設で、防波堤は高低差のある2つの堤を平行に並べ、内側の高い堤に5角形の水抜き穴をつくる特異な構造をもつ。その特異な構造から「潮吹き防波堤」の名で知られている。
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詳細解説
古くから良港として知られた四日市湊が、近代港湾としての形を整えたのは明治十五年(一八八二)のことである地元の廻船問屋稲葉三右衛門が私財を投じて開始した改修工事は、途中三重県への移管を経て三右衛門自身の手にょり完成し、このとき現在旧港とよぱれる港湾施設のおおよその形が整えられた。その後明治二十一年の暴風雨と翌年の台風によって防波堤が破損したため、同二十六年から公営による改修工事が着手され、翌年に竣工している。 四日市旧港港湾施設は、防波堤と西防波堤からなり、西防波堤の側の陸地に顕彰碑、同じくその付け根に「明治廿七年五月建立」の銘をもつ記念碑がある。 防波堤は、総延長一九九メートルで、旧港湾内を包み込むように湾曲して延びる。埋立て高四・七メートル(以下大堤という)と三・七メートル(以下小堤という)の防波堤が平行する二列構造をとり、大堤には五角形の水抜穴が四九か所設けられている。この特徴的な防波堤の構造は明治二十七年の改修時に設けられた。この改修工事を請け負ったのは服部長七であり、彼が発明したとされる人造石工法がこの防波堤にも用いられている。港外側の小堤を越えた海水が両堤の間にある溝にたまり、水抜穴から港内に流れ出すようになっており、波の力を直接受けて防波堤が破損することを防いでいる。水抜穴から海水が流れ出す様子から「潮吹防波堤」の名で親しまれている。この特徴的な形態の考案者は、服部長七ともオランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケとも伝えられるがいずれも確証はない。 昭和十六年(一九四一)から二十一年にかけて防波堤の付け根の直線部分を東に延長した線上より北側が埋め立てられ、さらに同二十七年から三十年にかけて防波堤の先端と先の埋立て地を結んだ地域まで埋立てが進んだ。また、昭和三十七年には伊勢湾台風後の高潮対策として大堤の上部にコンクリートによるかさ上げが行われ、水抜穴も埋められているが、先端部約一四・七メートルはかさ上げと水抜穴の封鎖がなされなかったために、旧状を残している。 西防波堤は、石積みで総延長七七メートルであり、直線状に延びている。防波堤と同じく、上部にコンクリートによるかさ上げが行われている。 顕彰碑は、私財を投じて四日市港築港に貢献した稲葉三右衛門の功績をたたえるため、明治三十七年に建てられた(本体には「明治三十六年六月建」の銘がある)もので、石積基壇の上にフルーティングのある西洋古典様式風の柱身が載る。 四日市旧港港湾施設は、明治期に建設された港湾施設の姿を良く残しており、わが国の築港技術の近代化の過程を示すものとして貴重である。とくに防波堤は、他に類例を見ない水抜穴を持つ二列構造をとっており、技術的に見てきわめて価値が高い。