国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
世界平和記念聖堂
ふりがな
:
せかいへいわきねんせいどう
棟名
:
棟名ふりがな
:
世界平和記念聖堂
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員数
:
1棟
種別
:
近代/宗教
時代
:
昭和
年代
:
昭和29
西暦
:
1954
構造及び形式等
:
三廊式教会堂、鉄筋コンクリート造、建築面積1,227.67平方メートル、三階建、地下一階、鐘楼付、銅板葺
附・正門 1基
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02490
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2006.07.05(平成18.07.05)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
広島県
所在地
:
広島県広島市中区幟町4番29号
保管施設の名称
:
所有者名
:
カトリック広島司教区
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
世界平和記念聖堂
解説文:
詳細解説
世界平和記念聖堂は,広島市中区幟町に所在し,昭和20年8月6日の原爆犠牲者を弔い,世界平和の実現を祈念する場として企図された教会堂である。設計は村野藤吾で,昭和29年の原爆記念日に献堂された。
全長57メートルで,東端に花弁形平面のドラムを建ち上げ,北側西寄りに鐘塔を建てる。平面は東方を内陣とした三廊式バシリカ会堂である。
世界平和記念聖堂は,被爆都市広島における世界平和の実現を祈念する戦後復興建築の先駆的建築で,堂や塔などの全体構成や量的比例が優れている。
日本的性格と記念建築の荘厳さを備えつつ,新しい時代に適応した宗教建築を実現したことで高く評価され,戦後村野藤吾の原点となる作品として重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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世界平和記念聖堂
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世界平和記念聖堂
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解説文
世界平和記念聖堂は,広島市中区幟町に所在し,昭和20年8月6日の原爆犠牲者を弔い,世界平和の実現を祈念する場として企図された教会堂である。設計は村野藤吾で,昭和29年の原爆記念日に献堂された。 全長57メートルで,東端に花弁形平面のドラムを建ち上げ,北側西寄りに鐘塔を建てる。平面は東方を内陣とした三廊式バシリカ会堂である。 世界平和記念聖堂は,被爆都市広島における世界平和の実現を祈念する戦後復興建築の先駆的建築で,堂や塔などの全体構成や量的比例が優れている。 日本的性格と記念建築の荘厳さを備えつつ,新しい時代に適応した宗教建築を実現したことで高く評価され,戦後村野藤吾の原点となる作品として重要である。
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詳細解説
世界平和記念聖堂 一棟 世界平和記念聖堂は、広島城の東南東方、京橋川右岸近くに位置し、四方を道路に囲まれた、東西約一三○メートル、南北約一○○メートルの敷地のほぼ中央に西面して建つ。正門は敷地西辺の中央部に置かれ、正面玄関の手前には凹形の浅い池を穿つ。被爆した「幟町天主公教会」の復興にとどまらず、昭和二○年八月六日の原爆犠牲者を弔い、世界平和の実現を祈念する場として企図された教会堂で、同二三年「広島平和記念カトリック聖堂建築競技設計」が募集されたが、一等案がなく、改めて競技設計審査員のひとりであった村野藤吾が設計を引き受け、同二五年八月六日定礎、同二九年八月六日に献堂された。聖堂正面北方の小玄関脇に据えられた定礎石には、「AD一九五○ 世界平和紀念聖堂昭和二十五年八月六日」とある。献堂日については、鐘塔二階の東面と西面に嵌め込まれた「聖堂記」による(東面はラテン語、正面側の西面は和文)。 世界平和記念聖堂は、正面二○メートル、東西方向の全長五七メートル、軒高二○・五メートルとし、東端に花弁形平面のドラムを建ち上げ、北側西寄りに高さ四五メートルの鐘塔を建てる。平面は東方を内陣とした三廊式バシリカ会堂で、鐘塔基部の東西両面に楕円花弁形平面の小聖堂を配し、鐘塔に対応した位置の南面には同様の楕円花弁形平面の洗礼室を突き出す。内陣と外陣との境付近には南北両面に脇玄関が設けられ、聖堂の平面形状をラテン十字形に見せる。玄関ポーチ部は吹き放ちととした構えをとる。 内部は、玄関広間の二階を聖歌隊席とし、パイプオルガンを備える。身廊部は、天井高一八メートルで、アーチ列・洲浜形の窓層・高窓層の三層構成とし、内陣部にはドラム内にドームをつくる。側廊部は、洲浜形の窓層に通路をとり、高窓層の外部にはフライングバットレス風の構造躯体を露出する。内陣部の地階は地下聖堂とし、東面中央に出入口を設ける。鐘塔は一○層の床をもち、北面には二方向からの長い外階段がやや斜めに取り付く。九層目の床からはドイツから送られた四つの平和の鐘が吊され、北面の上部には大きな十字架をかざしている。 構造は、鉄筋コンクリート造で、内部は鉄筋コンクリート壁体を蛭石入りモルタル掻き落とし仕上げ・色モルタル吹付けとして壁面の多いロマネスク風聖堂空間をつくりあげる。外部は、柱梁の鉄筋コンクリート骨組を見せて日本的階調を醸し出すとともに、骨組内のセメントモルタル煉瓦の変化をつけた積み方やラフな目地仕上げにより微妙な陰影を外観に付与している。小屋組は鉄骨トラスで、銅板葺の寄棟屋根を架け、内陣ドラムや小聖堂等は花弁状の鉄筋コンクリート造シェルの屋根を載せ銅板で葺く。内陣ドラム屋根の頂部には地球に載った鳳凰を置く(昭和六○年再設置)。開口部枠等はスチールサッシュ打ち込みのプレキャストコンクリートとする。 正門は、鉄筋コンクリート造、間口二・八メートル、高さ五・六メートルで門形に造る。これを附指定とする。 世界平和記念聖堂は、被爆都市広島における、世界平和の実現を祈念する戦後復興建築の先駆的建築である。堂、塔、内陣ドラム、小聖堂等の構成や量的比例も優れており、鉄筋コンクリートの柱梁フレームにセメントモルタル煉瓦を充填する新しい手法により、日本的性格と記念建築の荘厳さをもたせつつ、戦後の新しい時代に適応した宗教建築を実現したことで評価される。また、戦後村野藤吾の宗教的空間や公共的建築の原点となる作品としても重要である。 【参考文献】 『世界平和記念聖堂 広島にみる村野藤吾の 建築』(石丸紀興 一九八八年)