国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
布引水源地水道施設
ふりがな
:
ぬのびきすいげんちすいどうしせつ
棟名
:
分水堰堤
棟名ふりがな
:
ぶんすいえんてい
分水堰堤
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員数
:
1所
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
明治
年代
:
明治40
西暦
:
1907
構造及び形式等
:
アーチ式コンクリート造堰堤、堤長14.0m、堤高4.3m、取水井附属
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02488
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2006.07.05(平成18.07.05)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(二)技術的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
兵庫県
所在地
:
兵庫県神戸市中央区葺合町
保管施設の名称
:
所有者名
:
神戸市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
分水堰堤
解説文:
詳細解説
布引水源地水道施設は、神戸港に注ぐ生田川の中流域に位置する上水道施設である。神戸水道事務所の吉村長策及び佐野藤次郎を中心として建設が進められた。五本松堰堤、雌滝取水堰堤及び布引水路橋は、明治33年の竣工である。同40年に分水施設、翌41年に締切堰堤及び放水路隧道が増設された。全体計画や施設配置には、土砂流入防止を意図した貯水・取水機能に分水・放水機能を付加するなど特色がある。
布引水源地水道施設は、神戸の創設水道施設で、建設当時、最大規模を誇り、明治期を代表する水源地水道施設の一つとして重要である。中でも、五本松堰堤は、我が国における重力式コンクリート造堰堤の嚆矢で、近代堰堤の一つの規範を示す構造物として、土木技術史上、高い価値がある。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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分水堰堤
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分水堰堤
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解説文
布引水源地水道施設は、神戸港に注ぐ生田川の中流域に位置する上水道施設である。神戸水道事務所の吉村長策及び佐野藤次郎を中心として建設が進められた。五本松堰堤、雌滝取水堰堤及び布引水路橋は、明治33年の竣工である。同40年に分水施設、翌41年に締切堰堤及び放水路隧道が増設された。全体計画や施設配置には、土砂流入防止を意図した貯水・取水機能に分水・放水機能を付加するなど特色がある。 布引水源地水道施設は、神戸の創設水道施設で、建設当時、最大規模を誇り、明治期を代表する水源地水道施設の一つとして重要である。中でも、五本松堰堤は、我が国における重力式コンクリート造堰堤の嚆矢で、近代堰堤の一つの規範を示す構造物として、土木技術史上、高い価値がある。
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詳細解説
布引水源地水道施設 六所、三基 分水堰堤、分水堰堤附属橋、分水隧道、締切堰堤、放水路隧道、五本松堰堤、谷川橋、雌(めん)滝(だき)取水堰堤、布引水路橋(砂子(いさご)橋)、土地 布引水源地水道施設は、六甲山地を水源とし、神戸港に注ぐ生田川の中流域に位置する上水道施設である。 布引水源地水道施設は、市街地及び船舶に供給する飲料水の確保と、公衆衛生の向上を主な目的として、内務省雇バルトンの基本計画に基づき、神戸水道事務所工事部吉村長策及び佐野藤次郎を中心として建設が進められた。明治三三年に、貯水、取水及び送水に係る五本松堰堤、雌滝取水堰堤及び布引水路橋が竣工して通水が開始され、その後貯水池への土砂流入を防ぐために、同四〇年に分水施設、その翌年に締切堰堤及び放水路隧道が増設された。建設後、主に漏水防止を目的とした堰堤の補修が数度行われ、平成一三年から一七年にかけて五本松堰堤の耐震補強工事が実施されているが、全体として保存状況は良好である。 布引水源地水道施設は、上流から分水施設、締切堰堤、五本松堰堤、谷川橋、雌滝取水堰堤、布引水路橋の順に配され、五本松堰堤の北側には貯水池とほぼ平行して放水路隧道が穿たれる。堰堤の基礎地盤はいずれも布引花崗閃緑岩で、コンクリート構造物には大阪セメント会社、中央セメント会社、又は日本セメント会社の製品を用いる。 分水施設は、施設の最上流で川を横断する分水堰堤、分水堰堤の約六メートル下流に架かる分水堰堤附属橋、分水堰堤から締切堰堤の間を短絡して結ぶ分水隧道からなる。 分水堰堤は、越流式のアーチ式コンクリート造堰堤で、堤長一四・〇メートル、堤高四・三メートルとし、表面を花崗岩布積とする。右岸には、壁面及び天端隅を石張とした取水井を設ける。半径一八・六メートルの単心円アーチで、壁面は直立、水通部の長さは一二・一メートルとする。 分水堰堤附属橋は、開腹式の鉄筋コンクリート造単アーチ橋で、橋長一一・五メートル、幅員一・二メートルとする。アーチスラブと鉛直材が床版を支え、外装をモルタル塗仕上げとする。アーチスラブ及び床版に、網状の鉄筋を上下に二層配する。高欄欠損部分から露出する鉄筋は、四角形断面である。 分水隧道は、取水井より川と直交して穿たれた、延長二四・九メートルの直線状の構造物で、南西端には石造坑門を構える。取水井より二・三メートル及び西端より六・六メートルの部分を総切石張とし、それ以外を素掘とする。 締切堰堤は、分水施設より導かれた水の逆流と、川から水路への土砂流入防止を目的として築かれた、越流式のアーチ式コンクリート造堰堤で、堤長三一・九メートル、堤高七・六メートル、表面花崗岩谷積とし、両袖部は直線状に築く。半径一二・一メートルの単心円アーチで、壁面は直立、水通部の長さは二〇・一メートルとする。 五本松堰堤は、貯水池の東端に位置する重力式コンクリート造堰堤で、堤長一一〇・三メートル、堤高三三・三メートル、表面花崗岩布積とし、上流側のほぼ中央に半円形平面の取水塔を設け、堤体下流面に石造坑門を現す煉瓦造取水隧道を堤体軸と直交して穿つ。堤体は上流側でほぼ直立、下流側は上部で直立、下部で法勾配六・七分とし、堤体の屈曲する箇所に歯飾を施す。止水性と経済性を考慮して、配合の異なるコンクリートを使い分け、浸透圧を緩和するために小孔の穿たれた鉄管を縦横三・〇メートル間隔で堤体に差し込む。越流式余水吐の堤頂には、古レールを構造材に用いた鋼製五連トラス橋を架ける。橋長五一・〇メートル、幅員一・二メートル、ワーレントラス形式で、当初は鋼製七連トラス橋だったが、昭和一三年の水害の後に、左岸側二連が撤去され、平成の工事で主構の外側に張り出す対傾構等を付加している。 放水路隧道は、貯水池への土砂流入を回避するために、分水堰堤より約八〇メートル下流の地点と五本松堰堤余水路の間に直線状に穿たれた構造物で、延長二六四・三メートルとする。両端に切石積のアーチ形石造坑門を構え、上流側端部には四角形断面の開口部を有する石造の水門を隧道坑門と連続して築く。 谷川橋は、五本松堰堤より約二五〇メートル下流に架かる、開腹式の鉄筋コンクリート造単アーチ橋で、橋長六・一メートル、幅員二・〇メートルとする。二本のアーチリヴとこれと直交するアーチ形の鉛直材で床版を支え、外装はモルタル塗仕上げとする。 雌滝取水堰堤は、古代より景勝地として知られる布引の滝の風景に配慮して、貯水池より一旦川に戻された水を、五本松堰堤より約七〇〇メートル下流の雌滝の滝壺より取水するために築かれた、越流式のアーチ式コンクリート造堰堤で、堤長一九・三メートル、堤高七・七メートルとする。表面は花崗岩布積とし、下流に同形式の保護堰堤、左岸にはドーム形屋根を戴く石造上屋付の取水井を配す。布引の滝は、雄滝、夫婦滝、鼓ヶ滝、雌滝を総称したもので、古くは万葉集にうたわれる。堰堤は、半径二二・一メートルの単心円アーチで、壁面は直立、水通部の長さは一六・六メートルとし、堤体左岸寄りに維持流量の調節を行う円形水抜穴を三箇所穿ち、堤体最下部には排砂門を設ける。 布引水路橋は、雌滝取水堰堤の約一五〇メートル下流に位置し、生田川に架かる三連アーチ橋で、橋長一九・二メートル、幅員三・三メートルとする。端部を石積とした煉瓦積アーチの上部に送水管を収め、側面は石積の柱形を除き煉瓦で築く。 布引水源地水道施設は、近代神戸の創設水道施設であるばかりでなく、建設当時、最大規模を誇った明治期を代表する水源地水道施設の一つとして重要である。中でも、五本松堰堤は、わが国における重力式コンクリート造堰堤の嚆矢で、堰堤建設の技術的発展に大きく貢献した吉村長策及び佐野藤次郎の精到な設計に基づき建設された、近代堰堤の一つの規範を示す構造物として、土木技術史上、価値が高い。土砂流入防止を意図して貯水、取水機能に分水、放水機能を付加した全体計画や施設配置も優れており、水源涵養と治山を目的として植林された貯水池周辺の土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『日本の近代土木遺産』(土木学会 二〇〇 一年)