国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧野﨑家住宅(岡山県倉敷市児島味野)
ふりがな
:
のざきけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
旧野﨑家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 主屋
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸末期
年代
:
天保4頃
西暦
:
1832頃
構造及び形式等
:
居室部 桁行30.2m、梁間14.1m、二階建、入母屋造、四面庇付、本瓦葺・桟瓦葺及び鉄板葺、東面茶室・西面北台所・西面南便所及び湯殿・北面便所附属、東面北門及び塀付
座敷部 桁行11.1m、梁間7.0m、南面入母屋造、北面居室部に接続、東面・南面及び西面庇付、東面便所及び渡廊下附属、西面突出部 桁行8.0m、梁間4.9m、入母屋造、本瓦葺及び桟瓦葺、北面西端渡廊下附属
内玄関 桁行14.2m、梁間6.0m、一部二階建、入母屋造、西面主屋に接続、四面庇付、本瓦葺
玄関 桁行8.0m、梁間5.0m、南面入母屋造、北面内玄関に接続、東面及び西面庇付、本瓦葺、東面式台玄関附属
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02496
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2006.12.19(平成18.12.19)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
岡山県
所在地
:
岡山県倉敷市児島味野一丁目11番19号
保管施設の名称
:
所有者名
:
公益財団法人竜王会館
所有者種別
:
法人
管理団体・管理責任者名
:
旧野﨑家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 主屋
解説文:
詳細解説
野﨑家は,江戸時代末期頃より塩田開発と新田開発を手がけて財をなした。
邸内は,中央に主屋,その前方に玄関棟と表書院が建ち,正面に長屋門と御成門を構え,北に内蔵などの土蔵群が並び建つ。主屋座敷部や表書院は,床・棚・付書院を備えた座敷とし,上質の材を用い,質の高い空間としている。
建設年代は,主屋が天保4年(1833)頃,門が同9年,玄関棟と表書院が嘉永5年
(1852)で,土蔵群が江戸末期から明治中期にかけて順次建てられた。
旧野﨑家住宅は,独特な平面の主屋や意匠の優れた表書院など,雄大な規模を有する上層民家として,高い価値がある。また,屋敷全体の構成を良く留めており,江戸時代末期のこの地方を代表する民家のひとつとして,重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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旧野﨑家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 主屋
旧野﨑家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 主屋(左)内蔵(右)
旧野﨑家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 主屋 内観
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旧野﨑家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 主屋
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旧野﨑家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 主屋(左)内蔵(右)
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旧野﨑家住宅(岡山県倉敷市児島味野) 主屋 内観
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解説文
野﨑家は,江戸時代末期頃より塩田開発と新田開発を手がけて財をなした。 邸内は,中央に主屋,その前方に玄関棟と表書院が建ち,正面に長屋門と御成門を構え,北に内蔵などの土蔵群が並び建つ。主屋座敷部や表書院は,床・棚・付書院を備えた座敷とし,上質の材を用い,質の高い空間としている。 建設年代は,主屋が天保4年(1833)頃,門が同9年,玄関棟と表書院が嘉永5年 (1852)で,土蔵群が江戸末期から明治中期にかけて順次建てられた。 旧野﨑家住宅は,独特な平面の主屋や意匠の優れた表書院など,雄大な規模を有する上層民家として,高い価値がある。また,屋敷全体の構成を良く留めており,江戸時代末期のこの地方を代表する民家のひとつとして,重要である。
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詳細解説
旧野﨑家住宅 一二棟 主屋、玄関棟、表書院、長屋門、御成門、内蔵、夜具蔵、大蔵、書類蔵、新蔵、岡蔵、味 噌蔵 旧野﨑家住宅は、岡山県倉敷市の南端部、瀬戸内海に接した児島の市街地に所在している。旧野﨑家住宅の南方、JR児島駅の一帯には、かつては大塩田が広がっていた。 野﨑家は、もと多田姓や昆陽野姓を名乗り、一六世紀中頃に当地に居住したと伝えられている。一八世紀末期には一時衰微したが、一九世紀に入ると、野﨑武左衛門は文政一二年(一八二九)の野﨑浜塩田をはじめ大規模な塩田の開発に成功した。また新田開発にも力を注いで大地主となり、天保四年(一八三三)には大庄屋格となった。明治以降も塩田や土地の経営を行うとともに、慈善事業や教育事業等にも尽力し、孫の武吉郎は明治二三年に貴族院議員となった。 昭和九年に株式会社野﨑商店が設立され、塩田や土地の経営等の事業は法人経営となった。その後、野﨑家住宅は昭和四五年に財団法人竜王会館の所有となり、昭和五二年に岡山県史跡に指定され、平成七年には野﨑家塩業歴史館として博物館を開館し、現在に至っている。 旧野﨑家住宅は、西に竜王山を背負い、その麓に南北に細長い敷地を構える。敷地のほぼ中央に南北に長い主屋が東面して建ち、その南東方に玄関棟を介して表書院が連続する。敷地東辺の中央には長屋門と御成門を構え、主屋の北に内蔵等の土蔵群が整然と並び、その背後に味噌蔵や納屋等が配されている。主屋の南東に築かれた庭園には、容膝亭などの茶室が点在する。 主屋は天保四年頃の建築と考えられ、長屋門と御成門は記録から天保九年(一八三八)の建築とわかる。棟札等から、表書院と玄関棟は嘉永五年(一八五二)の建築、夜具蔵は江戸末期の建築で明治二二年の移築、書類蔵が明治二三年の建築、内蔵は明治三四年の建築と判明する。大蔵と新蔵及び岡蔵は明治中期、庭園内の茶室建築や、味噌蔵や納屋及び便所等の施設は江戸末期と考えられる。 主屋は、南北に細長い建物で、大半を占める北側桁行三〇・二メートルを二階建の居室部とし、その南側に桁行一一・一メートルの平屋建の座敷部を接続する。 居室部は、桁行のほぼ中央に設けられた玄関と通り土間を境に南北に分けられる。南側は土間寄付に二室を並べ、その奥に九室を配する。これらの東側は北に玄関棟が接続し、南には四畳半の茶室と部屋が突出する。通り土間の北は六間取になり、最奥の北東隅八畳間には床と棚を構える。通り土間の西には広い台所が配されている。居室部東面の北側には門塀を廻して内庭を囲っている。座敷部は、床・棚・付書院を備えた八畳の上ノ間と一〇畳の次ノ間からなる。西の突出部は、源氏ノ間と呼ばれる置床を備えた九畳と六畳間の二室からなる。 二階は、通り土間上部の東を板間、西を吹抜とする。この南側は鈎形の一五畳間や棚等で囲われた一四畳間及び五畳間等を配し、北側は七畳間を二列に並べ、北西隅は板敷のある六畳間とする。 屋根は入母屋造、本瓦葺で、四面に庇をつける。小屋組は登梁を架け、小屋束を立て、桁・棟木を渡して垂木を架け、二階の軒を出桁造とする。一階は二階下を根太天井、ほかを棹縁天井とし、二階は棹縁天井を張る。 玄関棟は、主屋に連絡する内玄関と表書院と連続する玄関からなる。 内玄関は桁行一四・二メートル、梁間六・〇メートル、東西棟の入母屋造で、四面に庇を廻し、本瓦葺とする。平面は、東側の北に土間の内玄関、南に六畳間を設け、西側を一室とし、南面に半間の畳廊下を設ける。二階は細長い一室とする。天井は内玄関が根太天井、ほかは棹縁天井である。奥の一室の間仕切は改造されているが、軸部から小屋組まで当初の形式を保持している。 玄関は桁行八・〇メートル、梁間五・〇メートル、南北棟で南が入母屋造、東面北側に切妻造で庇付の式台玄関を突出し、本瓦葺とする。平面は、式台奥に八畳間と四畳間が続き、表書院側は床・地袋棚を備えた座敷風の一〇畳半とし、これらの西面に半間の畳廊下を通す。天井は棹縁天井である。 表書院は桁行一六・二メートル、梁間一一・四メートルで、西南隅に湯殿及び便所、東面北端には東に伸びる門及び塀がそれぞれ附属し、北側は玄関と接続している。屋根は入母屋造、本瓦葺で、四面の庇を桟瓦葺とする。 平面は、南を床・棚・付書院を備えた一二畳半の座敷、北を床付の一五畳間とし、東から南に鈎形の畳廊下と縁を廻す。西側は南に三畳間を二室、北に茶室と水屋を配する。 軸部は角柱を立てて、長押で固め、小屋は和小屋を組み、天井は各間とも棹縁天井とする。南と東は深い軒をつくり、木舞打とする。柱や長押などの化粧材は良質の檜材を用い、座敷境には波を象った欄間を設ける。後世の改造がほとんどなく、軸部から小屋組まで当初の形式をよく保持している。 長屋門は、精緻に積んだ石垣上に東面して建つ。桁行二五・九メートル、梁間四・九メートル、南北棟の入母屋造で、北面と西面に庇を付け、本瓦葺とする。西面の南と北にはそれぞれ入母屋造、庇付の角屋を突出する。南寄りに門口を開き、南を二室、北を四室とし、角屋には玄関や部屋及び便所等を設ける。天井は棹縁天井とする。東面は、開口部に出格子をつけ、腰を押縁下見板張にする。 御成門は間口二メートルの一間一戸薬医門形式で、切妻造、本瓦葺、左右に屋根塀を延ばし、北方で長屋門に接する。軒は一軒疎垂木で、架構を現わし、棟木は実肘木付の束で受ける。 内蔵は、土蔵造二階建、桁行九・九メートル、梁間七・九メートルである。東西棟の切妻造、本瓦葺で、外壁には海鼠壁を廻す。一階の扉口は南面西寄りに設け、窓は一階の東面と北面、二階は東面と西面につける。内部は各階とも棟通りで南北に大きく二分し、壁際などに棚を設け、二階は棹縁天井を張り、北東部は一〇畳の部屋とする。小屋組は桁行に牛梁を渡し、登梁を架ける。 夜具蔵は、土蔵造二階建、桁行一一・七メートル、梁間四・九メートルである。南北棟の切妻造、本瓦葺で、外壁は腰を縦板で覆い、その上部や隅部に海鼠壁を廻す。一階の扉口は東面南端に設け、窓は一階の南面・西面と二階の南面・北面につける。内部は各階とも広い一室とし、壁際に棚を設ける。小屋は桁行に梁を渡し、登梁風の太い垂木を架けて屋根面をつくる。移築されているが、ほぼ当初の部材を用いている。 内蔵と夜具蔵の北には、南より大蔵、書類蔵、新蔵、岡蔵が整然と並び建つ。平面規模や軒高は異なるが、いずれも、土蔵造二階建、東西棟の切妻造、本瓦葺、一階東面に小庇付の扉口を設けた妻入で、小屋組は和小屋と登梁を併用する。外壁は一階を縦板で覆い、上部や隅部に海鼠壁を廻す。 大蔵は、桁行一六・三メートル、梁間七・九メートルと土蔵群の中では最大規模で、一階を東西に二分し、東面中央と西室南面に扉口を設ける。二階は広い一室とする。 書類蔵は、桁行九・九メートル、梁間四・九メートル、一階・二階とも一室で、整然と押入や棚を設ける。 新蔵は、桁行九・八メートル、梁間五・九メートル、一階・二階とも一室で、押入や棚を設け、二階には棹縁天井を張る。 岡蔵は、桁行九・五メートル、梁間三・八メートルで、南面に下屋を附属する。下屋は東側を消防器材庫、西側を倉庫とする。内部は、一階・二階とも細長い一室である。 味噌蔵は、桁行一一・一メートル、梁間四・九メートルの二階建、切妻造段違で、東面に下屋庇を設け、南面と北面に下屋を附属する。屋根は本瓦葺、外壁は漆喰塗で、腰や妻面を縦板で覆う。一階・二階とも一室とするが、一階北に約四メートル四方のムロを設け、南西隅には井戸がある。下屋はともに物置で、北の下屋は板床を設ける。小屋組は北側を和小屋、棟の一段低い南側に登梁を架ける。 屋敷は、正面を長屋門と御成門の南北に築地塀を延ばして要所に門を開き、背面となる西を樹林が繁る竜王山で区切り、全体として江戸末期以来の豪壮な構えをよく保持している。敷地の南東部を占める庭は、平庭部を海に見立てた枯山水庭園として、築山や石組及び露地を巧妙に配しており、保存状態も極めて良好である。 旧野﨑家住宅は、長大で独特な平面構成の主屋や上質なつくりで意匠も優れた表書院、重厚なつくりの長屋門や御成門など、雄大な規模を有する質の高い上層民家として、価値が高い。また、主屋や表書院をはじめ、土蔵群や味噌蔵等の施設、庭園の重要な要素である茶室など、屋敷全体の構成を良好に保持しており、江戸時代末期の瀬戸内地方を代表する民家の一つとして重要である。 【参考文献】 『野﨑家旧宅調査報告書』(財団法人竜王会館 二〇〇六年) 『備前児島 野﨑家の研究 ナイカイ塩業株式会社成立史』(山陽新聞社 一九八一年)
関連情報
附指定
納屋
便所
容膝亭
観曙亭
臨池亭
腰掛待合
雪隠
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附指定
附名称
:
納屋
附員数
:
1棟
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附名称
:
便所
附員数
:
1棟
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容膝亭
附員数
:
1棟
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附名称
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観曙亭
附員数
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1棟
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附名称
:
臨池亭
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
腰掛待合
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
雪隠
附員数
:
2棟