国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧片山家住宅(岡山県高梁市成羽町)
ふりがな
:
かたやまけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
旧片山家住宅(岡山県高梁市成羽町) 主屋
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸後期
年代
:
江戸後期
西暦
:
1751-1829
構造及び形式等
:
主体部、仏間部、座敷部からなる
主体部 桁行11.4m、梁間15.0m、二階建、一部三階建、切妻造段違、平入、四面庇付、桟瓦葺及び鉄板葺
仏間部 桁行6.3m、梁間8.8m、二階建、切妻造、東面主体部に接続、北面及び南面庇付、桟瓦葺及び鉄板葺
座敷部 桁行9.0m、梁間5.9m、二階建入母屋造、北面仏間部に接続、東面及び南面庇付、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02497
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2006.12.19(平成18.12.19)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
岡山県
所在地
:
岡山県高梁市成羽町吹屋367番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
高梁市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧片山家住宅(岡山県高梁市成羽町) 主屋
解説文:
詳細解説
片山家は,江戸時代後期から鉱山町吹屋において,弁柄の製造及び販売を手掛け,当地を代表する商家となり,庄屋を務めた家柄である。
平面は,通りに面して主屋と宝蔵が並び建ち,主屋後方に米蔵などを連ねている。主屋は切妻造の平入で,正面外壁を海鼠壁とし,開口部に出格子を設けている。主屋主体部は18世紀末期に建てられ,文政13年(1830)までの増築を経て現在の屋敷構成となっている。
旧片山家住宅は,主屋及び附属建物による屋敷構成を良く保持し,江戸時代後期の商家として高い価値がある。また,弁柄の製造及び販売により繁栄した高梁市吹屋
重要伝統的建造物群保存地区における中核施設として,重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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旧片山家住宅(岡山県高梁市成羽町) 主屋
旧片山家住宅(岡山県高梁市成羽町) 主屋 内観
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旧片山家住宅(岡山県高梁市成羽町) 主屋
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旧片山家住宅(岡山県高梁市成羽町) 主屋 内観
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解説文
片山家は,江戸時代後期から鉱山町吹屋において,弁柄の製造及び販売を手掛け,当地を代表する商家となり,庄屋を務めた家柄である。 平面は,通りに面して主屋と宝蔵が並び建ち,主屋後方に米蔵などを連ねている。主屋は切妻造の平入で,正面外壁を海鼠壁とし,開口部に出格子を設けている。主屋主体部は18世紀末期に建てられ,文政13年(1830)までの増築を経て現在の屋敷構成となっている。 旧片山家住宅は,主屋及び附属建物による屋敷構成を良く保持し,江戸時代後期の商家として高い価値がある。また,弁柄の製造及び販売により繁栄した高梁市吹屋 重要伝統的建造物群保存地区における中核施設として,重要である。
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詳細解説
旧片山家住宅 五棟 主屋、宝蔵、米蔵、弁柄蔵、仕事場及び部屋 旧片山家住宅は、岡山県中西部の標高約六〇〇メートルの吉備高原にあって、銅山と弁柄で繁栄した鉱山町吹屋に所在する。敷地は、吹屋の中町西端、通りに北面して構えている。 高梁市吹屋(旧成羽町吹屋)は、銅山と弁柄製造の産業を背景に栄えた山間部の町並みで、昭和五二年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。下谷と旧道によって結ばれる下町・中町・千枚に至る約一・二キロメートル、面積約六・四ヘクタールの範囲が保存地区である。 片山家は、一八世紀中期には当地に居住していたと思われ、初代の浅治郎は宝暦九年(一七五九)から弁柄の製造を始め、安永元年(一七七二)には近隣に弁柄工場を建てたとされている。屋号は胡屋と称し、弁柄の株仲間に加わって、吹屋を代表する商家としての地位を築くとともに、度々庄屋や年寄などを務めた。片山家は当主が代々浅治郎を襲名し、江戸末期から明治期にかけて、弁柄の製造と販売で繁栄した。しかし、昭和初期以降、吹屋の弁柄の需要が衰退し、片山家も九代浅治郎の昭和四六年に廃業した。近年、片山家住宅は成羽町の所有となり、現在に至っている。 旧片山家住宅は、南北に長い敷地を有し、通り沿いには主屋とその西側に宝蔵が建ち並び、主屋の後方には東に米蔵、弁柄蔵、西に仕事場及び部屋がある。裏門を出た南側には玄米蔵、弁柄箱、道具蔵、これらの東に南蔵がある。 主屋の建築年代は、主体部が一八世紀末期頃で、文政一三年(一八三〇)までに南側や仏間部を増築し、明治八年には座敷部を新築した。宝蔵は主屋増築期の文政一三年以前、米蔵、弁柄蔵、並びに仕事場及び部屋は安政二年(一八五五)以前と判断される。 旧片山家には文政一三年(一八三〇)、安政二年(一八五五)、安政七年(一八六〇)などの家相図が残っている。文政一三年家相図によると、弁柄蔵のあたりは他の屋敷地で、仕事場及び部屋のあたりに弁柄製法所や物置等があった。安政二年家相図では、ほぼ現在する建造物が整い、敷地を南側に拡張して材木等の納屋が建てられていた。 主屋は、主体部、仏間部、及び座敷部からなる。屋根は桟瓦葺で、大棟に煙出の越屋根を設け、庇の一部を鉄板葺とし、小屋組は和小屋を組む。正面は、外壁を大壁として要所に海鼠壁を廻し、開口部には出格子を設ける。 主体部は、桁行一一・四メートル、梁間一五・〇メートル、切妻造段違、平入、二階建、一部三階建で、北面して建ち、西に仏間部が続く。平面は、東側に通り土間を設け、これに沿って北より一〇畳のミセノマ、六畳のタマゴベヤ、四畳半のショクジベヤ及び板間、ジョチュウイマ及び板間の四室が並び、ミセノマの西に六畳のナカノマ、その南に六畳のチャノマが続く。当初は、通り土間が小さく、土間に面して三室、その西に二室という規模と推定される。二階は吹き抜けとなる通り土間の後方とナカノマ上部を除き、計七室を配する。天井は、土間上や土間に沿った部屋を根太天井、奥のナカノマやチャノマを棹縁天井とし、二階も北側の部屋に棹縁天井を張る。 仏間部は、桁行六・三メートル、梁間八・八メートル、切妻造、二階建で、西に宝蔵が接して建ち、南には座敷部が続く。一階は、北が縁付で床の間を備えた六畳のミセオク、南が一〇畳のブツマになり、二階も同様に北を六畳間、南を一〇畳間とする。天井は、各室とも棹縁天井とする。 座敷部は、桁行九・〇メートル、梁間五・九メートル、南面入母屋造、二階建で、東面と南面に庇を設ける。一階は、南が床・違い棚・付書院を構えた八畳のオクザシキ、北が床を備えた八畳のシュフイマになり、これらの南から東にかけて鈎形に縁を廻す。両室とも棹縁天井とし、オクザシキ・シュフイマ境とシュフイマ・ブツマ境には瀟洒な板欄間を入れる。二階はオクザシキ上部が板間、シュフイマ上部が押入付の六畳とし、ともに棹縁天井を張る。 宝蔵は、土蔵造二階建、桁行三・〇メートル、梁間四・九メートル、東西棟の切妻造、桟瓦葺である。外壁は漆喰塗で、腰を縦板で覆い、その上部や隅部に海鼠壁を廻し、水切瓦も付ける。開口部は東面北端に扉口、北面に扉付の窓を二箇所それぞれ設ける。小屋は和小屋を組む。 米蔵は、土蔵造二階建、桁行六・〇メートル、梁間九・〇メートルで、主屋との取り合いになる東面北端に門及び塀を附属する。屋根は南北棟の切妻造、北及び西面に庇を付け、桟瓦葺とし、弁柄蔵と連続する。外壁は一階が土壁で腰を縦板で覆い、二階が漆喰塗で海鼠壁を廻す。一階の扉口は北面に三箇所、窓は二階北面に二箇所設ける。一階は東より風呂場、土間の物置、板床の米蔵の三室に分かれ、二階は広い一室で壁際に棚等を設ける。小屋は和小屋を組む。 弁柄蔵は、土蔵造二階建、桁行一七・三メートル、梁間七・九メートル、南北棟の切妻造で、西面に庇を付け、桟瓦葺とする。西面南端には土蔵造二階建、桟瓦葺の納屋を附属する。外壁は西面が土壁で、東面と南面は一階を縦板で覆い、二階を漆喰塗とする。一階西面には扉口三箇所を設ける。内部は一・二階とも南と北の二室に分かれる。小屋は桁行に牛梁を通し登梁を架ける。 仕事場及び部屋は、二階建で、L字形の一連の桟瓦葺屋根とし、北面と東面に方杖で支えた鉄板葺の庇をつける。平面は西側が仕事場で一・二階とも一室とする。南側は職人の部屋で、一階が西を一室、東を門構えとし、二階は二室に分かれる。小屋は桁行に牛梁を通して弓状の登梁を架ける。 旧片山家住宅は、江戸後期の主屋をはじめとして、幕末までに整えられた屋敷構成をよく保持しており、中国地方の山間部における代表的な江戸後期の商家として、価値が高い。また、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている高梁市吹屋を特色づける弁柄の製造と販売を手がけた代表的な商家であり、保存地区の核としても重要である。 【参考文献】 『旧片山家住宅調査報告書』(成羽町教育委員会 二〇〇四年)
関連情報
附指定
家相図
関連情報
附指定
附名称
:
家相図
附員数
:
3枚