国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
鈴木家住宅(静岡県浜松市北区引佐町)
ふりがな
:
すずきけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
鈴木家住宅 主屋
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸後期
年代
:
江戸後期
西暦
:
1751-1829
構造及び形式等
:
桁行8.2m、梁間7.4m、寄棟造、茅葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02504
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2007.06.18(平成19.06.18)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
静岡県
所在地
:
静岡県浜松市北区引佐町的場742番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
鈴木家住宅 主屋
解説文:
詳細解説
鈴木家住宅は,主屋の隣に釜屋を隣接して建てて内部を一体的空間とする,釜屋建と呼ばれる形式の民家である。
主屋は,寄棟造,茅葺で,釜屋は,同じく寄棟造,茅葺であるが,棟方向を主屋と直交させている。釜屋は文政4年(1821)頃の建築であり、主屋も同じ頃に建てられたと考えられる。
鈴木家住宅は,静岡県西部から愛知県東部にかけて分布していた釜屋建形式の数少ない遺構であり,わが国における分棟型民家の展開を示す民家の一つとして重要である。また,建築年代がほぼ明らかであることから,釜屋建民家の発展過程を理解する上で,高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
鈴木家住宅 主屋
鈴木家住宅 主屋(内部)
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鈴木家住宅 主屋
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鈴木家住宅 主屋(内部)
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解説文
鈴木家住宅は,主屋の隣に釜屋を隣接して建てて内部を一体的空間とする,釜屋建と呼ばれる形式の民家である。 主屋は,寄棟造,茅葺で,釜屋は,同じく寄棟造,茅葺であるが,棟方向を主屋と直交させている。釜屋は文政4年(1821)頃の建築であり、主屋も同じ頃に建てられたと考えられる。 鈴木家住宅は,静岡県西部から愛知県東部にかけて分布していた釜屋建形式の数少ない遺構であり,わが国における分棟型民家の展開を示す民家の一つとして重要である。また,建築年代がほぼ明らかであることから,釜屋建民家の発展過程を理解する上で,高い価値が認められる。
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詳細解説
鈴木家住宅 二棟 主屋、釜屋 鈴木家住宅は、浜名湖の北側、愛知県との県境に近い山間部の的場集落に所在する。 鈴木家の由緒は詳らかでないが、伝承によれば、伊勢より当地に移り住んだとされ、かつては「伊勢松」の屋号で呼ばれていた。代々農業を生業としており、幕末頃には庄屋格であったとみられる。また副業として、江戸末期から大正期にかけて当地の主産業であった製紙を手がけ、その後は養蚕を行っていた。 鈴木家住宅は、主屋の隣に釜屋が軒を接して建つ、釜屋建形式の民家である。釜屋建民家は、静岡県西部の天竜川流域から愛知県東部の豊川流域にかけて分布していた分棟型民家の一種で、成立は一八世紀半ば頃と推定されている。釜屋建民家は、棟が丁字型となる屋根形状から「撞木造」などとも呼ばれ、昭和三〇年代には数百棟の存在が確認されたが、現在はほとんど残っていない。 主屋は、桁行八・二メートル、梁間七・四メートル、寄棟造、平入、茅葺で、南面して建つ。釜屋は、桁行六・七メートル、梁間五・五メートル、寄棟造、妻入、茅葺で、主屋の東隣に建つ。主屋と釜屋の間は、幅二・一メートルの土間とし、正面に桟瓦葺の下屋を張り出す。釜屋は、文政四年(一八二一)頃の建築になり、主屋も同じ頃に建てられたとみられる。 主屋の床上部は、前広間型平面で、正面三間×奥行二間半の「広間」の後方に、西から「オクデイ」「ヘヤ」「ダイドコ」の三室を並べる。建築後の天保一〇年(一八三九)に、当時すでに広まっていた四間取型平面に改造され、その後は、天保改造時の軸組を踏襲しつつ居室の増設などが行われていたが、平成一三年度に完了した保存修理において、現在のような当初形式に復原されている。 出入口は主屋の正面東端間に設け、板戸片引とする。軸部は杉材の柱を貫や差物で固め、「広間」では、内法高に縦横に梁を架けて柱に鼻栓差しとし、さらに柱天では、矩形断面の上屋梁と桁を京呂に組む。天井は、「広間」の西側二間と「オクデイ」を棹縁天井とし、他は簀天井とする。「広間」南面は雨戸のみを建て、「広間」と「オクデイ」の西面に開口を開くほかは板壁とし、小屋は扠首組である。総体に古式で堅牢なつくりとする。 釜屋は、土間で、西半部の正背面に出入口と背戸口を開き、東半部は、南より「カミヤ」「ウマヤ」「物置」を配し、背戸口脇にカマドを築く。「物置」のみ床張とし、「カミヤ」と「物置」には棹縁天井を張る。柱間は、「カミヤ」前面を格子窓として採光をとるほかは板壁とする。小屋は扠首組である。 主屋と釜屋の取り合い部は、正面の下屋に風呂場を設け、後方を流しとする。また、上部は主屋と釜屋双方の屋根の谷部分となるため、ここに木樋をかけて雨水を受け、後方に排水する。 鈴木家住宅は、静岡県西部から愛知県東部にかけて分布していた釜屋建形式の、数少ない民家建築であり、我が国における分棟型民家の分布と発展を示す遺構として重要である。また、建築年代がほぼ明らかであるとともに、主屋平面が前広間型から四間取型へと推移した経緯も判明しており、当地における民家平面の発展過程を理解する上で、価値が高い。 【参考文献】 『静岡県の民家』静岡県教育委員会、一九七三年 『静岡県指定有形文化財鈴木家住宅修理工事報告書』鈴木廣利、二〇〇一年