国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧千葉家住宅(岩手県遠野市綾織町)
ふりがな
:
ちばけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
千葉家住宅
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸末期
年代
:
江戸末期
西暦
:
1830-1867
構造及び形式等
:
桁行26.0m、梁間11.7m、寄棟造、茅葺、馬屋 桁行14.9m、梁間10.7m、正面入母屋造、茅葺、東面庇付
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02512
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2007.12.04(平成19.12.04)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
2022.09.20(令和4.09.20)
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
岩手県
所在地
:
岩手県遠野市綾織町上綾織一地割14番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
遠野市
所有者種別
:
市区町村
管理団体・管理責任者名
:
千葉家住宅
解説文:
詳細解説
千葉家は、遠野市西寄りの山麓に小城のような屋敷を構えている。天保年間に主屋が建設され、大正末期頃までに現在のような屋敷構えが整った。主屋は、馬屋を前面に張り出してL形平面とする、いわゆる南部の曲り屋形式の民家で、主屋の座敷では面皮材の棹縁を使用するなど、瀟洒な意匠を見せている。
千葉家住宅は、南部曲り屋の分布域南縁に位置するとともに、遠野地方に典型的な平面をもち、洗練された座敷意匠を採用するなど、江戸末期の大型曲り屋民家として高い価値がある。また主屋の周囲には、江戸末期から大正期にかけて建設された附属建物が残り、その特異な敷地構成とともに豪農の屋敷構えをよく保っている。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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千葉家住宅
千葉家住宅 主屋
千葉家住宅 主屋(内部)
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千葉家住宅
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千葉家住宅 主屋
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千葉家住宅 主屋(内部)
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解説文
千葉家は、遠野市西寄りの山麓に小城のような屋敷を構えている。天保年間に主屋が建設され、大正末期頃までに現在のような屋敷構えが整った。主屋は、馬屋を前面に張り出してL形平面とする、いわゆる南部の曲り屋形式の民家で、主屋の座敷では面皮材の棹縁を使用するなど、瀟洒な意匠を見せている。 千葉家住宅は、南部曲り屋の分布域南縁に位置するとともに、遠野地方に典型的な平面をもち、洗練された座敷意匠を採用するなど、江戸末期の大型曲り屋民家として高い価値がある。また主屋の周囲には、江戸末期から大正期にかけて建設された附属建物が残り、その特異な敷地構成とともに豪農の屋敷構えをよく保っている。
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詳細解説
千葉家住宅 五棟 主屋、土蔵、石蔵、稲荷社、大工小屋、土地 千葉家は遠野市西郊の山麓に所在し、南斜面を造成して築いた石垣上に小城のような屋敷を構える。 千葉家の由緒は詳らかでないが、江戸中期には農業を営んでいたとみられ、江戸末期に士分格を得、天保の飢饉の際に、四代喜右衛門が救済普請として主屋などを建設したと伝える。 宅地の前面に長大な石垣を野面に積み、中央に主屋を南面して構える。大工小屋とハセ小屋も主屋と同じ頃に建てられたとみられ、その後、嘉永二年(一八四九)に稲荷社が建てられ、明治四五年に土蔵、大正末期に石蔵が建てられて屋敷構えが整い、さらに昭和四二年に納屋が改築された。 主屋は曲り屋形式で、桁行二五・九メートル、梁間一一・七メートルの本屋の正面西側に、桁行一四・七メートル、梁間一〇・五メートルの馬屋を突出させる。本屋の馬屋接続部に玄関を設け、馬屋側には大戸口を開く。また馬屋東面に桟瓦葺の庇を付け、玄関への通路とする。 床上部は二列構成で、中廊下の表側をチャノマとナカマ、奥側をジョイとウラザシキに分ける。東側にイリザシキとオクザシキの続き座敷を配し、東南面には縁を廻らす。オクザシキには床・棚を設け、イリザシキとオクザシキの天井は面皮の棹縁を用いて折上げ、瀟洒につくる。またチャノマとナカマの二階に二室を設ける。室内は障子や襖などで間仕切り、外周には雨戸をたてる。 土間は、後方に間仕切を設けてダイドコロなどとし、前方は内部を改装して展示室や便所等とする。 屋根は茅葺で、本屋は寄棟造とし、正面中央部分を兜屋根状に切り上げる。馬屋正面は入母屋造で、木格子の妻飾を見せる。 土蔵は、土蔵造二階建、一部三階建、桁行一七・一メートル、梁間五・八メートル、切妻造、桟瓦葺である。一・二階は内部を二室に間仕切り、一階周囲を海鼠壁とする。 石蔵は、石造、二階建、桁行四・九メートル、梁間三・九メートル、切妻造、桟瓦葺である。躯体は江戸切仕上の石積で、一階を土間とし、味噌蔵としている。 稲荷社は、桁行三・八メートル、梁間三・七メートル、入母屋造、正面一間向拝付、鉄板葺で、下方の参道に鳥居が建つ。 大工小屋は主屋背後の石垣上に建ち、桁行一一・五メートル、梁間五・七メートル、寄棟造、茅葺である。南面各間に採光窓を開け、残る三面は出入口を除き土壁とする。 ハセ小屋は、桁行一五・三メートル、梁間五・七メートル、寄棟造、茅葺である。内部は土間で、周囲吹き放しとし、農作業用の丸太などを収納した。 千葉家住宅主屋は、南部曲り屋の分布域南縁に位置するとともに、遠野地方に典型的な平面をもち、洗練された座敷意匠を採用するなど、江戸末期の大型曲り屋民家として価値が高い。 また主屋周囲には、江戸末期から大正期にかけて建設された附属建物が残り、その特異な敷地構成とともに豪農の屋敷構えをよく保持しており、宅地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『千葉家住宅調査報告書』(遠野市教育委員会 二〇〇六年)
関連情報
附指定
ハセ小屋
関連情報
附指定
附名称
:
ハセ小屋
附員数
:
1棟