国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
西福寺
ふりがな
:
さいふくじ
棟名
:
御影堂
棟名ふりがな
:
みえいどう
西福寺 御影堂
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸後期
年代
:
文化5
西暦
:
1808
構造及び形式等
:
桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、向拝三間、北面御霊屋及び西面渡廊下附属、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02526
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2008.06.09(平成20.06.09)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(四)学術的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
福井県
所在地
:
福井県敦賀市原
保管施設の名称
:
所有者名
:
西福寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
西福寺 御影堂
解説文:
詳細解説
西福寺は敦賀市西郊に所在する浄土宗寺院で、阿弥陀堂は文禄2年(1593)の建立、御影堂は文化5年(1808)の上棟になる。また書院が天和3年(1683)に建てられるなど、近世を通じて伽藍が整えられた。
西福寺御影堂と阿弥陀堂は、ともに浄土宗本堂の典型的平面をもち、御影堂は寺格に相応しい宏壮華麗な堂で、阿弥陀堂は浄土宗寺院の阿弥陀堂として古例であり、静謐な空間をもつ。また、これらの仏堂と書院及び庫裏は、庭園と一体となって豊かな風致を創出しており、高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
西福寺 御影堂
西福寺 御影堂(内部)
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西福寺 御影堂
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西福寺 御影堂(内部)
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解説文
西福寺は敦賀市西郊に所在する浄土宗寺院で、阿弥陀堂は文禄2年(1593)の建立、御影堂は文化5年(1808)の上棟になる。また書院が天和3年(1683)に建てられるなど、近世を通じて伽藍が整えられた。 西福寺御影堂と阿弥陀堂は、ともに浄土宗本堂の典型的平面をもち、御影堂は寺格に相応しい宏壮華麗な堂で、阿弥陀堂は浄土宗寺院の阿弥陀堂として古例であり、静謐な空間をもつ。また、これらの仏堂と書院及び庫裏は、庭園と一体となって豊かな風致を創出しており、高い価値が認められる。
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詳細解説
西福寺 三棟 御影堂、阿弥陀堂、書院及び庫裏 西福寺は敦賀市西郊の山麓に所在する浄土宗寺院で、応安元年(一三六八)、京都の清浄華院四世敬法の弟子にあたる良如により創建された。後光厳天皇の勅願所となったが、元亀年間(一五七〇~一五七二)の兵乱により荒廃したと伝え、その後文禄二年(一五九三)に一五世道残により阿弥陀堂が建立され、さらに近世を通じて伽藍が整えられた。 境内は、総門、山門、御影堂が南北軸上に建ち、御影堂の斜向かいに阿弥陀堂が東面し、両者を繋ぐ渡廊下の後方に庭園を配する。阿弥陀堂の西側山裾に書院及び庫裏が建ち、東側の石垣上を、涅槃門、念仏堂、鐘楼よりなる一郭とする。これまで、阿弥陀堂と御影堂は福井県有形文化財(建造物)に、書院、庫裏、玄関、総門、庫裏門、鐘楼、念仏堂、渡廊下が敦賀市有形文化財に、それぞれ指定された。また庭園は、国指定名勝となっている。 御影堂は、「本堂」や「大殿」とも呼ばれ、棟札により文化五年(一八〇八)の上棟と判り、桁行七間、梁間六間、入母屋造、向拝三間、桟瓦葺で、軒は二軒繁垂木である。四方に高欄付切目縁を廻らし、背面に御霊屋を附属する。妻飾は二重虹梁大瓶束で、大瓶束を頭貫台輪で繋ぎ、台輪上組物を出組詰組にして二重虹梁を持ち出す。 軸部は総欅造で禅宗様を基調とし、粽付円柱を貫、絵様虹梁、台輪などで固め、内法長押も併用する。組物は出組である。 内部は、正面の梁間二間通りを外陣、奥寄り三間を内陣と両脇一間ずつの脇陣とし、内陣の正側面には低い結界を設ける。内陣後方に四天柱を立て、禅宗様須弥壇上の厨子に法然上人像を祀る。床は須弥壇の周囲三方を四半板敷とし、ほかは畳を敷く。 外陣は、梁行の絵様虹梁上に桁行の三間虹梁を架け、周囲を化粧屋根裏として、力感ある架構とし、蟇股などには豊かな彫刻を施し、また内陣は鏡天井を高く張り、須弥壇廻りの絵様虹梁などに技巧を凝らすなど、広闊で装飾豊かな空間をつくる。 御影堂西側には、御影堂と同時期とみられる渡廊下が庭園沿いに屈曲して延び、阿弥陀堂に接続する。渡廊下は、折曲り一四間、梁間一間、桟瓦葺である。 阿弥陀堂は、文禄二年、現在御影堂のある位置に、室町期の禅宗様三間仏堂の部材を再利用し、方三間裳階付仏堂として建てられ、伽藍の中核をなしていた。その後、寛永四年(一六二七)に須弥壇が造られ、延享四年(一七四七)に屋根こけら葺上に桟瓦を葺き、さらに文化年間の御影堂建立に先だち、現位置に向きを変えて曳家された。 阿弥陀堂は、方三間裳階付、向拝一間、入母屋造、桟瓦葺で、軒は身舎が二軒扇垂木、裳階は二軒半繁垂木である。正側面に切目縁を廻らし、妻飾は虹梁大瓶束とする。内部は、正面の裳階を外陣とし、身舎の中央方三間を内陣、内陣両脇の裳階を脇陣とし、内陣の正側面に低い結界を設ける。後方一間通りの左右には脇仏壇を四所設ける。また内陣後辺中央間を来迎壁として禅宗様須弥壇を設け、厨子に阿弥陀三尊を安置する。 軸部は、内陣では粽付円柱を貫、長押、台輪で固め、側柱は、脇外陣境柱を円柱とする他は角柱とし、貫と長押で固める。組物は、内陣は出組詰組として鏡天井を受け、裳階は大斗実肘木を載せ、棹縁天井を張る。長押より下は黒塗、上方は弁柄塗とする。 書院及び庫裏は、まず天和三年(一六八三)に書院が建てられ、江戸中期から後期にかけて南側の庫裏が建替えられ、さらに両者の間が居室に改造され、一体化された。書院は、桁行一二・三メートル、梁間一六・七メートル、切妻造、銅板葺で、庫裏は、桁行二二・〇メートル、梁間一五・三メートル、切妻造、桟瓦葺、軒はいずれも一軒疎垂木である。書院の北東寄りには、庭園に面して座敷三室を鍵型に配し、その外側に廊下を廻らす。座敷境には竹組子欄間などをいれ、廊下の室境は竹の節欄間とし、また一の間には床と書院を設えるなど、開放的で瀟洒な意匠をもち、庭園観賞を意識したつくりとなっている。庫裏は、南東隅に三間四方の大玄関を構え、南西側を台所とする。床上部は中廊下の東西に居間や僧室などを配し、坊舎として使用しているが、基本構造はよく保持している。 西福寺御影堂と阿弥陀堂は、ともに浄土宗本堂の典型的平面をもち、御影堂は寺格に相応しい宏壮華麗な堂で、また中世禅宗仏堂の名残をとどめる阿弥陀堂は、浄土宗阿弥陀堂として古例であり、静謐な空間をみせる。西福寺伽藍は、御影堂と阿弥陀堂を並立する正規の構えとし、また桃山期と江戸後期の中心的仏堂を残す点においても重要である。御影堂、阿弥陀堂と書院及び庫裏は、名勝庭園と一体となって豊かな風致を創出しており、浄土宗寺院伽藍の展開をみるうえで、価値が高い。 【参考文献】 『福井県指定文化財西福寺阿弥陀堂修理工事報告書及び西福寺境内建造物現況調査報告書』(西福寺 二〇〇六年) 『国指定名勝 西福寺書院庭園保存修理工事報告書(建造物編)』(西福寺 二〇〇六年)