国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
石清水八幡宮
ふりがな
:
いわしみずはちまんぐう
棟名
:
摂社若宮社本殿
棟名ふりがな
:
せっしゃわかみやしゃほんでん
石清水八幡宮 摂社若宮社本殿
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
江戸前期
年代
:
寛永年間頃
西暦
:
1624-1643頃
構造及び形式等
:
桁行五間、梁間四間、日吉造、向拝一間、檜皮葺、左右瑞垣附属、銅板葺、東面玉垣附属
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00020
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2008.12.02(平成20.12.02)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府八幡市八幡、同橋本狩尾
保管施設の名称
:
所有者名
:
石清水八幡宮
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
石清水八幡宮 摂社若宮社本殿
解説文:
詳細解説
石清水八幡宮は、寛永11年(1634)建築の本殿などを含めた中心社殿が、すでに重要文化財に指定されている。周囲の摂社若宮社、若宮殿社、水若宮社、住吉社の各本殿や、東総門、西総門、北総門も、中心社殿と同時期の建築であり、飛地境内に所在する摂社狩尾社本殿は、慶長6年(1601)に建てられた、境内最古の社殿である。
摂社若宮社、若宮殿社、狩尾社の各本殿は、石清水八幡宮の社殿形式の展開を知る上で重要な社殿である。同時期に建立された摂社水若宮社、住吉社本殿、東総門、西総門、北総門も、これらとともに近世初頭の境内構成を伝えており、価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
石清水八幡宮 摂社若宮社本殿
石清水八幡宮 摂社若宮社本殿(左)摂社若宮殿社本殿(右)
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石清水八幡宮 摂社若宮社本殿
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石清水八幡宮 摂社若宮社本殿(左)摂社若宮殿社本殿(右)
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解説文
石清水八幡宮は、寛永11年(1634)建築の本殿などを含めた中心社殿が、すでに重要文化財に指定されている。周囲の摂社若宮社、若宮殿社、水若宮社、住吉社の各本殿や、東総門、西総門、北総門も、中心社殿と同時期の建築であり、飛地境内に所在する摂社狩尾社本殿は、慶長6年(1601)に建てられた、境内最古の社殿である。 摂社若宮社、若宮殿社、狩尾社の各本殿は、石清水八幡宮の社殿形式の展開を知る上で重要な社殿である。同時期に建立された摂社水若宮社、住吉社本殿、東総門、西総門、北総門も、これらとともに近世初頭の境内構成を伝えており、価値が高い。
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詳細解説
石清水八幡宮 八棟 摂社若宮社本殿、摂社若宮殿社本殿、摂社水若宮社本殿、摂社住吉社本殿、東総門、西総門、北総門、摂社狩尾社本殿 石清水八幡宮は、桂川、宇治川、木津川の三川の合流点を望む男山に境内を構える。貞観二年(八六〇)の石清水寺における八幡神勧請をもって八幡宮の創建とされる。また平安末期以降は、源家が八幡神を祖神としたことなどにより、武家の崇敬も集めた。 創建後は、保延六年(一一四〇)、延元三年(一三三八)、永正五年(一五〇八)の火災などで炎上したがその都度再興し、天正八年(一五八〇)の織田信長による社殿修復に続き、慶長四年(一五九九)に豊臣秀頼により若宮殿が造替された。さらに同六年に狩尾社の造替、同一一年に宝殿、幣殿、舞殿、武内社の修造が行われた。 その後、寛永八年(一六三一)に『石清水八幡宮神社仏閣破損目録』を幕府に注進したのちに造替を始め、同一一年八月に正遷宮が成り、その後も境内社などの造替が続けられたとみられる。摂社若宮社、若宮殿社、水若宮社、住吉社の各本殿および東、西、北面の各総門は、この一連の寛永度造替による建築とみられ、以後、寛文六年(一六六六)、元禄六年(一六九三)、延享元年(一七四四)、安永七年(一七七八)など、定期的な修理および正遷宮の記録が残る。 山上の本社境内は南面し、正面に南総門を構え、東西両翼に廻廊を折曲りに延ばし、さらに廻廊の北端から築地塀を築いて境内外郭を画す。中央の本殿は、四方を廻廊で囲み、南面に楼門を建てる。本殿北廻廊の後方に、東より、摂社水若宮社本殿、末社気比社本殿、摂社若宮殿社本殿、摂社若宮社本殿、末社一童社本殿、摂社住吉社本殿、宝蔵、末社広田生田長田社本殿が並び建つ。また築地塀の東、西、北面に各総門を構える。 男山北麓には、頓宮殿などを透塀で囲繞した頓宮を構え、頓宮から本社に登る参道沿いに石清水社などの摂社を配し、かつては一帯に護国寺や宿坊が軒を連ねていた。また本社西方の飛地境内に、摂社狩尾社が鎮座している。 摂社若宮社本殿は本社本殿の遷殿で、桁行五間、梁間四間、日吉造、檜皮葺で、正面に三間幅の向拝を付け、正側面に刎高欄付切目縁を廻らし、正面と西側面に木階を付ける。また向拝前面に結界を設け、結界の両側には瑞垣を廻らし、並び建つ若宮殿社本殿との間を板玉垣で画す。 内部は、三間に二間の内陣に前側一間通の庇を含めて身舎とし、その正側面三方を外陣とする構成になる。床は拭板敷で内陣前に棚と木階三級を設け、棚の両側に脇障子を建てる。内陣は正面に三口の板扉を開き、他は土壁とし、腰下などを板壁とする。天井は化粧屋根裏で、軒は二軒繁垂木、妻飾は豕叉首である。 軸部は、組土台に円柱を立てて長押で固め、舟肘木で桁を受ける。向拝は角柱で、柱上に三斗を組み、中備蟇股で、桁と身舎柱を海老虹梁で繋ぐ。柱間装置は、蔀戸、板扉を配し、外壁は土壁とする。木部は内外とも丹塗とし、蟇股などを極彩色塗とする。 摂社若宮殿社本殿は、桁行三間、梁間二間、入母屋造、檜皮葺で、正面に向拝三間を付け、正側面に刎高欄付切目縁を廻らし、正面に木階三級を付ける。また向拝柱間に結界を設け、結界両側に瑞垣を延ばし、東側面に板玉垣を廻す。 内部は、中央間後方の方一間を内陣とし、内部を板扉で前後に分ける。内陣の正側面三方を拭板敷の外陣として小組格天井を張る。軒は二軒繁垂木、妻飾は豕叉首である。 軸部は、組土台上に、内陣廻りでは円柱を、側廻りは角柱を立てて長押で固め、舟肘木で桁を受ける。向拝は角柱で、柱上に三斗を組み、中備蟇股で、桁と身舎柱を虹梁で繋ぐ。柱間装置は、蔀戸、板扉を配し、壁は土壁とする。木部は内部が素木で外部を丹塗とし、蟇股などを極彩色塗とする。 摂社水若宮社本殿は、一間社流造、檜皮葺で、正側面に刎高欄付の縁を廻らし、脇障子を建て、正面に木階五級と浜床をつくる。 内部は、片蓋柱と無目敷居で前後に区切り、そのやや前方の板扉で内外陣を区画する。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁大瓶束である。 軸部は、組土台上に、身舎は円柱、庇は角柱を立てて、貫、長押で固める。組物は三斗、中備蟇股で、桁と身舎柱を海老虹梁で繋ぐ。柱間装置は、身舎正面に格子を嵌める他は板壁とする。木部は丹塗で、蟇股などを極彩色塗とする。 摂社住吉社本殿は、一間社流造、檜皮葺で、正側面に刎高欄付の縁を廻らし、脇障子を建て、正面に木階七級と浜床をつくる。 内部は、板扉で内外陣に区画する。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁大瓶束である。 軸部は、組土台上に、身舎は円柱、庇は角柱を立てて、貫、長押で固める。組物は三斗、中備蟇股で、桁と身舎柱を海老虹梁で繋ぐ。柱間装置は、身舎正面に格子を嵌める他は板壁とする。木部は丹塗で、蟇股などを極彩色塗とする。 東総門は、四脚門、切妻造、本瓦葺である⑿。本柱は円柱で、柱頂部に冠木を落し込み、大斗を載せ、妻虹梁を架ける。側柱は角柱で腰長押と頭貫で固める。組物は、側通が大斗肘木で、中備間斗束、棟通は、妻虹梁上の板蟇股に大斗肘木を組み、棟木を受け、冠木中央に撥束を立てる。軒は二軒繁垂木で、懸魚は梅鉢懸魚とする。側面の腰長押より上を土壁とし、棟通は冠木と唐居敷の間に板唐戸を開く。 西総門は、四脚門、切妻造、本瓦葺である。本柱は円柱で、本柱を棟通より西にずらし、柱頂部に冠木を落し込み、男梁と女梁で冠木を挟む。側柱は角柱で、男梁のやや外側に立ち、男梁の鼻先と桁を受ける。棟通は、男梁上の板蟇股に大斗肘木を組み、棟木を受ける。軒は二軒繁垂木である。棟通は冠木と唐居敷の間に板唐戸を開く。 北総門は、四脚門、切妻造、本瓦葺で、東総門と同形式であるが、若干規模が小さく、側面を吹放しとし、懸魚は鏑懸魚とする。 摂社狩尾社本殿は、三間社流造、檜皮葺で、慶長六年の建立になる。庇に浜床を張り、棚を設ける。また向拝柱間に結界を設け、側背面に板玉垣を廻らせる。 内部は柱を立てず、中央やや後方に設けた間仕切で内外陣を画し、天井は内外陣全体に小組格天井を張る。軒は二軒繁垂木、妻飾は豕叉首である。 正面を切石積、他を野面石積とする基壇に建ち、軸部は、身舎では組土台上に円柱を立て、貫、長押で固め、舟肘木で桁を受ける。向拝は角柱を基壇葛石に立て、柱上に三斗を組み、中備蟇股で、桁と身舎柱を虹梁で繋ぐ。柱間装置は、身舎正面各間を幣軸両開板扉とし、側背面の内法より下を土壁、妻壁と正面小壁は板壁とし、内部間仕切は両開板扉を三口設ける。木部は、内部は素木で外部を丹塗とし、蟇股などを極彩色塗とする。 石清水八幡宮の摂社若宮社、若宮殿社、狩尾社の各本殿は、近世初頭における当社独特の社殿形式の展開を窺い知る上で重要な社殿である。また摂社水若宮社本殿、住吉社本殿、東総門、西総門、北総門とともに、本社を含む中心社殿と一体的に寛永度造替時の社頭構成を伝えており、高い歴史的価値がある。 【参考文献】 『石清水八幡宮諸建造物群調査報告書』(八幡市教育委員会・石清水八幡宮 二〇〇七年)