国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧吉松家住宅
ふりがな
:
よしまつけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
旧吉松家住宅 主屋
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
大正
年代
:
大正8
西暦
:
1819
構造及び形式等
:
座敷部、居室部、大広間部、離れ部、台所部、奥座敷部よりなる
座敷部 木造、建築面積134.29㎡、桟瓦葺、北面居室部、南面大広間部に接続
居室部 木造、建築面積106.95㎡、二階建、桟瓦葺、西面台所部に接続
大広間部 木造、建築面積93.13㎡、桟瓦葺、南面離れ部に接続
離れ部 木造、建築面積40.57㎡、桟瓦葺
台所部 木造、建築面積62.73㎡、桟瓦葺、南面奥座敷部に接続
奥座敷部 木造、建築面積104.53㎡、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02538
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2008.12.02(平成20.12.02)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
宮崎県
所在地
:
宮崎県串間市大字西方5509番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
串間市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧吉松家住宅 主屋
解説文:
詳細解説
吉松家は、近世に庄屋をつとめ、明治以降、山林経営により発展した家で、現存する主屋は大正8年の上棟である。木造一部2階建で、接客部や居室部、台所部からなる複雑な平面をもつ。格天井の玄関、折上格天井を有する洋間の応接室、2階へ上る階段、奥座敷の仏間など随所に良材を用いて意匠を凝らす。
旧吉松家住宅の主屋は、良材を用いた上質なつくりで、洗練された優れた意匠を有しており、高い価値が認められる。また大規模な近代和風住宅で、主屋ほか、内蔵、物置、外風呂、外蔵など屋敷全体の構成を完存している点においても価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧吉松家住宅 主屋
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旧吉松家住宅 主屋
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解説文
吉松家は、近世に庄屋をつとめ、明治以降、山林経営により発展した家で、現存する主屋は大正8年の上棟である。木造一部2階建で、接客部や居室部、台所部からなる複雑な平面をもつ。格天井の玄関、折上格天井を有する洋間の応接室、2階へ上る階段、奥座敷の仏間など随所に良材を用いて意匠を凝らす。 旧吉松家住宅の主屋は、良材を用いた上質なつくりで、洗練された優れた意匠を有しており、高い価値が認められる。また大規模な近代和風住宅で、主屋ほか、内蔵、物置、外風呂、外蔵など屋敷全体の構成を完存している点においても価値が高い。
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詳細解説
旧吉松家住宅 五棟 主屋、内蔵、物置、外風呂、外蔵、土地 旧吉松家住宅は、串間市の中心に位置し、日南と志布志を結ぶ旧志布志街道に面する。 吉松家は近世末には庄屋を務め、明治になると山林の取得売買などを重ね、串間のほとんどの山林を所有するに至った。 現存する住宅の建築年代については、着手、竣工年が詳らかではないが、主屋の大正八年の棟札、外蔵の同じく大正八年の棟札、及び「上棟記念寫眞帳」などにより、主屋、内蔵、物置、外風呂及び外蔵等が、ほぼ同時期に建てられたとする。 敷地は南北に長く、東面を旧街道に接し石塀を設け門を開く。敷地中央やや北に東面して建つ主屋には、玄関や応接室などよりなる座敷部を中心に、南の大広間部と離れ部、北の居室部、台所部、さらに西の奥座敷部が配される。台所部の西には内蔵が建ち、北西には渡廊下で物置と接続する。また、物置の東側に外風呂と外蔵が一列に建ち並ぶ。各部の呼称については、便宜的に付したものであり、室名については、製作者、製作年代不明ながら、本住宅に残されていた「住宅間取圖」に記載された呼称による。ただし図面に室名の記載のない室や実際には建築されなかった室等については、室名を付さないか、適宜、一般的な呼称を付す。 座敷部は、桁行一三・〇メートル、梁間一一・三メートル、南妻が入母屋造、桟瓦葺で、北に居室部と接し、東に入母屋造の玄関を張出し、南妻東半で応接室を介して大広間部と繋がる。平面は、玄関奥に玄関ノ間、畳廊下、さらに次ノ間と床、地袋棚を備えた居間が矩折れに続き、玄関ノ間北に小児室、南に洋間の応接室を配する。天井は玄関が格天井、応接室が折上格天井で、他室は棹縁天井である。居間と次ノ間の西及び南側には化粧屋根裏の槫縁を廻す。 居室部は、桁行一六・二メートル、梁間六・六メートル、二階建、入母屋造、桟瓦葺で、南に座敷部、西に台所部と接する。平面は、東から西へ、一階が旧帳場、茶ノ間、内玄関と意匠を凝らした階段を挟んで食堂を並べ、二階が、床、地袋棚を備えた八畳間、これに続く八畳間、階段の踊り場を挟んで八畳間を配す。 大広間部は、桁行一二・六メートル、梁間七・四メートル、入母屋造、桟瓦葺である。平面は、東西に客間と次ノ間を配し、客間には床、棚、書院を構える。両室とも、天井は棹縁天井である。東、西及び南側には化粧屋根裏の切目縁を付す。 離れ部は、桁行八・九メートル、梁間四・九メートル、東妻が寄棟造、半ばで棟を違えて西妻が切妻造、桟瓦葺である。平面は、東側の四畳半間、廊下を挟んで西側に風呂、便所がある。四畳半間には、床と地袋棚を矩折れに構え、北面には円窓を穿つ。 台所部は、桁行七・二メートル、梁間七・四メートル、切妻造、桟瓦葺で、東に居室部、南に奥座敷部と接する。東南部を板敷きにし、その他は土間で、井戸、流し、竈を配する。天井は張られず、キングポストトラスの小屋組を現す。 奥座敷部は、桁行一七・六メートル、梁間六・一メートル、南妻が寄棟造、桟瓦葺で、北に台所部と接する。平面は、北から南へ六畳の二室、仏間、八畳間を配し、西に廊下を挟んで洗面と便所が張り出す。仏間西面に仏壇を備え、格天井を張り、八畳間は床、棚を設え、棹縁天井とする。東及び南側には化粧屋根裏の切目縁が廻る。 内蔵は、土蔵造二階建、桁行四・四メートル、梁間三・七メートル、切妻造、桟瓦葺で、南に蔵前を付す。一、二階とも、西面に窓が穿たれ、外部に繰型を付けた持送りで庇を受ける。小屋は和小屋、外壁は漆喰塗で、軒を鉢巻状とし、大型の鬼瓦が載る。 物置は、桁行一〇・九メートル、梁間六・六メートル、切妻造、桟瓦葺で、主屋台所部と東南方向に斜めに延びる渡廊下で連絡する。外壁は下見板張で、小屋組はキングポストトラスとする。 外風呂は、桁行六・〇メートル、梁間三・九メートル、南妻が入母屋造、北妻が切妻造、桟瓦葺である。内部については、公開活用のため、見学者用の多目的便所に改変されているが、主要軸部及び基礎の瘤出仕上げの凝灰岩切石の一層ないし二層積み、漆喰仕上の真壁及び腰の簓子下見板等は旧規をとどめている。 外蔵は、棟札により大正八年の上棟である。土蔵造二階建、桁行七・三メートル、梁間四・六メートル、切妻造、桟瓦葺で、南面出入口に下屋柱を付す。小屋組はキングポストトラスとし、外壁は漆喰塗で、二階窓の繰型付の庇持送り、下屋の柱、軒を塗込め防火性を高めている。 敷地内には、南方の愛宕神が祀られる小丘を区切る石塀とそこへ上る石段や、街道沿い石塀、門ヘ上がる石段、表門及び愛宕門等が保存されている。 旧吉松家住宅の主屋は、良材を用いた上質な造りで、洗練された座敷飾や応接室の設えは、優れた意匠を有しており価値が高い。大規模な近代和風住宅で、主屋ほか、内蔵、物置、外風呂、外蔵など屋敷全体の構成を完存している点も貴重である。門、石段、石塀等敷地内の工作物を残す宅地も併せて保存を図る。 【参考文献】 『宮崎県の近代和風建築 ―近代和風建築総合調査報告書― 』(宮崎県教育委員会 二○○六年)