国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
髙島屋東京店
ふりがな
:
たかしまやとうきょうてん
棟名
:
髙島屋東京店
棟名ふりがな
:
たかしまやとうきょうてん
髙島屋東京店
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員数
:
1棟
種別
:
近代/商業・業務
時代
:
昭和
年代
:
昭和8
西暦
:
1933
構造及び形式等
:
鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積七七四三・四六平方メートル、地上八階地下三階建、屋上塔屋四階付
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02539
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2009.06.30(平成21.06.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都中央区日本橋2丁目4番1号
保管施設の名称
:
所有者名
:
株式会社髙島屋
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
髙島屋東京店
解説文:
詳細解説
髙島屋東京店は,日本橋から銀座へ向かう中央通りに西面する街区に建つ。
鉄骨鉄筋コンクリート造,地上8階建,地下3階建で,塔屋を設け,間口約65m,奥行約115m の規模を有する。
髙島屋東京店は,中央通りに面する部分(現在の街区の西方約三分の一)が,高橋貞太郎による建築図案競技一等の実施案に基づき建設され,昭和8年に竣工した。戦後,村野藤吾の設計になる増築によって,一街区全体を占める現在の建物が完成した。
髙島屋東京店は,西欧の歴史様式に日本的な要素を加味した高橋による当初部分と,近代建築の手法を駆使した村野の設計による増築部分からなるが,全体が一体不可分の建築作品として完成度が高く,わが国の百貨店建築を代表するものの一つとして重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
髙島屋東京店
髙島屋東京店(内部)
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髙島屋東京店
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髙島屋東京店(内部)
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解説文
髙島屋東京店は,日本橋から銀座へ向かう中央通りに西面する街区に建つ。 鉄骨鉄筋コンクリート造,地上8階建,地下3階建で,塔屋を設け,間口約65m,奥行約115m の規模を有する。 髙島屋東京店は,中央通りに面する部分(現在の街区の西方約三分の一)が,高橋貞太郎による建築図案競技一等の実施案に基づき建設され,昭和8年に竣工した。戦後,村野藤吾の設計になる増築によって,一街区全体を占める現在の建物が完成した。 髙島屋東京店は,西欧の歴史様式に日本的な要素を加味した高橋による当初部分と,近代建築の手法を駆使した村野の設計による増築部分からなるが,全体が一体不可分の建築作品として完成度が高く,わが国の百貨店建築を代表するものの一つとして重要である。
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詳細解説
髙島屋東京店 一棟 髙島屋東京店は、日本橋の南方、中央通りに西面する街区に位置する。 平面規模は、基準階で間口六四・五メートル、奥行一一四・九メートルの矩形の平面で、建築面積七、七四三・四六平方メートルである。鉄骨鉄筋コンクリート造、地上八階建、地下三階建で、塔屋を設ける。 髙島屋東京店は、昭和五年、中央通りに面する現在の街区の西端およそ三分の一を占める敷地において、建築図案競技が行われ、高橋貞太郎が一等の実施案として選ばれ、昭和五年八月に着工し、昭和八年三月に竣工した。施工は建築を大林組、設備を三機工業が担当した。当時、わが国初の全館冷暖房装置を備え、イタリア製大理石を用いた豪華な内装が話題となった。高橋貞太郎(一八九二年~一九七〇)は、髙島屋東京店のほか、学士会館(昭和三年建築、国登録有形文化財)、旧前田侯爵家駒場本邸(昭和四年建築、東京都指定文化財)などを設計した。 その後、昭和一二年には、現在の敷地のおよそ三分の二まで増築する計画を高橋が担ったが、地下一階二階まで工事が進められたところで、日中戦争勃発のため工事中止を余儀なくされた。 戦後は、予め一体的に計画されていたと考えられる増築が村野藤吾の設計により大きく二期に分けて行われた。第一期の増築は昭和二六年から同二九年に行われ、戦前地下階までで中止された上屋を建設するものであり、第二期は昭和三六年から同四〇年に行われ、一街区全体に拡張する増築であった。村野藤吾(一八九一~一九八四)の代表作は、宇部市渡辺翁記念館(昭和一二年建築、国重要文化財)、世界平和記念聖堂(昭和二九年建築、国重要文化財)などである。 高橋による外部は、三層構成で、基部にあたる一階二階は、花崗岩を張った仕上で、角柱による列柱をコーニスで繋ぎ、さらに、装飾的なバルコニー、持送を加えている。三階から七階の一般階は、柱間を三分割した開口を大きく穿ち、上部では張出の大きい二段の軒蛇腹とそれに挟まれた最上階が、間口約六五メートル、高さ約三〇メートルの巨大な量塊を引締める。上部軒蛇腹の細部は西欧の歴史様式の手法を踏襲しつつも、垂木型を見せるなど和風建築の手法を示し、設計競技時の「東洋趣味ヲ基調トスル現代建築」という要請に応えている。また屋上には、エレベータ塔屋、円形の池、和風庭園、七福神を祀る七福殿が建築当時の状態を保つ。高橋の設計は、百貨店らしい華やかさと老舗の格式を西欧の歴史様式を基調に和風建築の語彙を使って表現している。 これに対して、村野による増築の外部は、半円アーチが連続する開口を有する八階部分など高橋の意匠を継承しつつも、これ以外は西欧の歴史様式から脱し、南面や東面にガラスブロック壁を用いたり、屋上に象を題材とした彫塑的な塔屋を設けたりと、専ら近代建築の語彙を用いている。 内部においては、主に西正面及び南入口から中央階段廻りに高橋により設計された内装がよく残る。ここは、一階二階吹抜で二層分の高さの柱や中央階段脇の柱捲きダクト、吹抜に面する二階床断面の見附等に張られた大理石や、格天井や格天井を支える柱上持送等の石膏彫刻が当初の姿を留める。なお、柱捲きダクトとは、下階の機械室から各階に給気するために柱に沿わせたダクトのことである。柱が太くなる欠点はあるが、各階二重天井にする必要がないため階高を有効に利用できることから考案、採用された。また各階のエレベータホール壁面に張られた大理石も当初のままである。五階の貴賓室においても、現在別の用途に使われているが、天井の石膏装飾や壁に張られた木材、水廻りに当初の姿が残る。村野により設計された内部については、主に階段においてよく特徴が残り、安全上付加された手摺以外は、仕上の大理石など良好な状態である。 髙島屋東京店は、日本橋界隈という立地の重要性に鑑みて行われた建築図案競技一等の高橋貞太郎案を基本とした当初部と、戦後、高橋の意匠を継承しつつ近代建築の手法を駆使した村野藤吾の増築部とともに優れた意匠を示し価値が高い。両者による意匠的対比が鮮明で、かつ新旧が明瞭に位置づけられながらも継承・統合され、一街区に建つ一体不可分の建築作品として完成度が高く、わが国の百貨店建築を代表するものの一つとして重要である。 なお、髙島屋東京店は文化財として保存しつつ、周辺街区と一体的な再開発計画が検討されている。 【参考文献】 『髙島屋百年史』(株式会社髙島屋 一九四一年) 『髙島屋東京店建造物歴史調査報告書』(株式会社髙島屋 二〇〇九年)