国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧遠江国報徳社公会堂(大日本報徳社大講堂)
ふりがな
:
きゅうとおとうみのくにほうとくしゃこうかいどう(だいにほんほうとくしゃだいこうどう)
棟名
:
旧遠江国報徳社公会堂(大日本報徳社大講堂)
棟名ふりがな
:
きゅうとおとうみのくにほうとくしゃこうかいどう(だいにほんほうとくしゃだいこうどう)
旧遠江国報徳社公会堂正面
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近代/文化施設
時代
:
明治
年代
:
明治36
西暦
:
1903
構造及び形式等
:
木造、建築面積三一五・〇九平方メートル、二階建、入母屋造、正面玄関及び背面便所附属、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02542
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2009.06.30(平成21.06.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
静岡県
所在地
:
静岡県掛川市掛川1176番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
社団法人大日本報徳社
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧遠江国報徳社公会堂正面
解説文:
詳細解説
旧遠江国報徳社公会堂は,掛川城の北東に,二宮尊徳の教えを体系化した報徳思想を普及・啓蒙する中心拠点として建設された。
明治35 年7月に着工し,同年10 月10 日上棟,翌36 年4月5日に竣工した。
公会堂は,正門の奥に東面して建ち,桁行20m,梁間15.8m,木造2階建,入母屋造,桟瓦葺で,伝統的な木造建築の形式・技法によりながら,1階が和風,2階が洋風の特徴ある外観をもつ。内部は81 畳敷で吹抜の大広間を中心に,正面には演壇,2階三方には吊り構造の桟敷さじきを設けている。
わが国近代における大規模で特徴ある形式をもつ和風集会施設として重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧遠江国報徳社公会堂正面
旧遠江国報徳社公会堂内部
写真一覧
旧遠江国報徳社公会堂正面
写真一覧
旧遠江国報徳社公会堂内部
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
旧遠江国報徳社公会堂は,掛川城の北東に,二宮尊徳の教えを体系化した報徳思想を普及・啓蒙する中心拠点として建設された。 明治35 年7月に着工し,同年10 月10 日上棟,翌36 年4月5日に竣工した。 公会堂は,正門の奥に東面して建ち,桁行20m,梁間15.8m,木造2階建,入母屋造,桟瓦葺で,伝統的な木造建築の形式・技法によりながら,1階が和風,2階が洋風の特徴ある外観をもつ。内部は81 畳敷で吹抜の大広間を中心に,正面には演壇,2階三方には吊り構造の桟敷さじきを設けている。 わが国近代における大規模で特徴ある形式をもつ和風集会施設として重要である。
詳細解説▶
詳細解説
旧遠江国報徳社公会堂(大日本報徳社大講堂) 一棟 旧遠江国報徳社公会堂は、明治三六年、旧掛川城北東の敷地のほぼ中央に、二宮尊徳の教えを体系化し、農村改良の必要性を実践的に説く報徳思想を、宣伝普及する中心拠点として建設された。着工は、明治三五年七月で、同年一〇月一〇日上棟、翌明治三六年四月五日に竣工した。着工と竣工式は静岡民友新聞により、上棟は棟札よる。なお、敷地内には、静岡県指定文化財(平成一三年一一月二六日指定)の正門(石造、明治四二年建築)、淡山記念報徳図書館(鉄筋コンクリート造、昭和二年建築)、掛川市指定文化財(平成七年一二月二七日指定)の仰徳記念館(木造、昭和一五年移築)、仰徳学寮(木造、昭和一五年移築)、翼北学舎(木造、明治三二年移築)がある。 公会堂は、正門の正面に東面して建ち、桁行二〇・〇メートル、梁間一五・八メートル、南北棟の木造二階建、入母屋造、桟瓦葺とする。 桁行一六・四メートル、梁間一二・七メートルの二階建主体部の正側面三方に一間幅、背面に四尺幅の下屋が廻り、一階正面中央には間口五・五メートルの式台と車寄からなる玄関を突出させる。また背面中央部の張出部に階段を設け、これにより西に短い廊下を介して便所が付属する。二階正面には、室を突出して二宮尊徳坐像を祀る。 一階は漆喰塗の真壁造で、ガラス戸引違の開口部、腰壁は簓子下見板張であるのに対し、二階は、漆喰塗の大壁で、木製の上げ下げ窓とその上部には半円形のファンライトを穿つ。さらに二階の合計八箇所の出隅には、鼠漆喰仕上の柱型に、柱頭や柱身、柱礎を思わせる装飾を施す。二階東正面の突出部両側の出隅には二本の円柱が作り出され、柱頭にはアカンサス、柱身にはフルーティングが施されている。他の六箇所の出隅は角柱で、トライグリフを思わせる柱頭には三本の縦溝、柱身には洋風扉のパネル文様が施されている。 一階内部は、中央に八一畳敷の大広間を配し、上部を吹抜とする。大広間西面中央に床を構える間口四間、奥行二間半の演壇を有し、その両翼を一五畳大の板敷の脇室とする。大広間は西側を除く三方に幅一間の廊下を廻らし、東正面の南北両端に玄関を配する。演壇背後には北玄関から続く廊下を設ける。 二階中央部は大広間の吹抜で、北・東・南に吊構造の桟敷が廻り、東面両端の廻り階段で一階大広間と接続している。東桟敷中央部には東方に突出部を設け、南北桟敷西端にはそれぞれ一〇畳の和室が配される。天井は大広間をはじめ一階の脇室及び二階の和室を棹縁天井とする。 旧遠江国報徳社公会堂は、明治初期に全国に広まった報徳運動の中心機関の公会堂であり、伝統的な木造建築の形式に則りながら、一階が和風、二階が洋風の特徴ある外観を有し、また大広間には吊り構造の桟敷を設けるなど開放的な空間構成も巧みであり、わが国の大規模な近代和風建築の公会堂の代表として重要である。 【参考文献】 『大日本報徳社建造物群調査報告書』(掛川市教育委員会 一九九五年) 『大日本報徳社大講堂保存修復工事報告書』(社団法人 大日本報徳社 二〇〇八年) 『静岡県近代和風建築総合調査報告書』(静岡県教育委員会 二〇〇二年)