国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
随願寺
ふりがな
:
ずいがんじ
棟名
:
本堂
棟名ふりがな
:
ほんどう
随願寺 本堂
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸中期
年代
:
1692
西暦
:
1692
構造及び形式等
:
桁行七間、梁間六間、向拝三間、背面張出附属、一重、入母屋造、本瓦葺
創建及び沿革
:
姫路市史別編文化財編
・山中に宏壮な伽藍を構える天台寺院の堂舎
県指定(平成14年4月9日)
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02543
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2009.06.30(平成21.06.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
兵庫県
所在地
:
兵庫県姫路市白国
保管施設の名称
:
所有者名
:
随願寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
随願寺 本堂
解説文:
詳細解説
随願寺は奈良時代の創建と伝える天台宗寺院で,慶安2年(1649)頃に姫路藩主榊原家の菩提寺となった。本堂は元禄5年(1692)に建てられた大型仏堂で,境内に建つ開山堂なども江戸時代に整備された。
随願寺本堂は,全体が装飾的で力感ある意匠によってまとめられており,江戸時代中期の大型仏堂として貴重である。
また開山堂などの諸堂宇は,いずれも意匠に優れ,本堂とともに宏壮な山中伽藍を形成しており,高い価値がある。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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随願寺 本堂
随願寺 本堂 附・厨子
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随願寺 本堂
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随願寺 本堂 附・厨子
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解説文
随願寺は奈良時代の創建と伝える天台宗寺院で,慶安2年(1649)頃に姫路藩主榊原家の菩提寺となった。本堂は元禄5年(1692)に建てられた大型仏堂で,境内に建つ開山堂なども江戸時代に整備された。 随願寺本堂は,全体が装飾的で力感ある意匠によってまとめられており,江戸時代中期の大型仏堂として貴重である。 また開山堂などの諸堂宇は,いずれも意匠に優れ,本堂とともに宏壮な山中伽藍を形成しており,高い価値がある。
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詳細解説
随願寺 五棟 本堂、開山堂、経堂、鐘楼、唐門 随願寺は姫路市北東方の増位山に所在する天台寺院で、奈良時代の創建と伝える古刹であり、円教寺や一乗寺などとともに播磨天台六山の一に並び称されている。 天正元年(一五七三)の別所長治の兵火により伽藍を焼失して寺地を移転し、同一三年に旧地を回復し豊臣秀吉により諸堂が整えられたと伝え、中世以前の境内の様相は詳らかでない。その後、近世を通じて伽藍の再興がはかられ、慶安二年(一六四九)の榊原忠次の姫路入府を機に藩主榊原家の菩提寺ともなった。 尾根上の境内入口に鐘楼が建ち、参道の西側に観音堂と文殊堂が並び、また東側には経堂が西面し、境内下段を構成する。境内奥の石段上に本堂が南面し、その西側の一郭が榊原忠次の墓所で、正門として唐門を構え、さらに北西の境内奥寄りに山王社と開山堂を配する。このうち本堂、開山堂、経堂が平成一四年四月九日付で兵庫県指定重要有形文化財に、鐘楼と唐門が平成元年二月二八日付で姫路市指定重要有形文化財に、それぞれ指定された。 本堂は、鬼瓦銘により元禄五年(一六九二)の建立とみられる。桁行七間、梁間六間、正面三間向拝付、入母屋造、本瓦葺で、背面に一間通の張出を設け、周囲に擬宝珠高欄付の切目縁を廻す。堂内は床張で、結界で前後に二分して外陣及び内陣とし、内陣後方に三間幅の須弥壇を構え、厨子を安置し、薬師如来坐像などを祀る。 軸部は、亀腹基壇上の礎石に円柱を立て、貫、内法長押、台輪で固める。組物は禅宗様尾垂木付二手先組物を詰組に配る。向拝は礎盤上に几帳面取の角柱を立て、三斗と蟇股を載せる。 外陣の中央部では各間に架けた虹梁上に出組と蟇股を置き、通肘木上に巻斗を密に配る。天井は鏡天井を張り、天女や鳳凰等を描き、特に中央間では二手先組物で折上げた鏡天井を張り、龍図を描く。外陣周囲では繋虹梁を二重に架けて蟇股を挟み、尾垂木尻や懸鼻等と巧みに組上げて桁を受け、化粧軒を表す。内陣内部では須弥壇前面筋の柱を梁まで立て登らせ、挿肘木で三斗を組み、折上格天井を受け、さらに厨子上部には折上小組格天井を張る。 柱間装置は、正側面の中寄りに桟唐戸を吊り、正面両端間と側面前端間は花頭枠を造り出した板壁とする。内外陣境は、両端間を舞良戸引違、他を腰付障子引違とする。 軒は二軒繁垂木で、妻飾は二重虹梁大瓶束とし、鰭付の三花懸魚を吊る。 須弥壇は漆塗で、羽目板に独特な意匠の格狭間と木鼻様の持送りを付し、壇上に禅宗様高欄を組む。 厨子は、桁行三間、梁間一間、入母屋造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、板葺である。組物は四手先詰組、軒は二軒扇垂木とする。正面三間に双折桟唐戸を吊り、羽目板に羅漢像や仙人像を彫刻する。内部も台輪上に二手先詰組を配し、内外とも漆塗とし、羽目板彫刻を極彩色で荘厳する。 開山堂は、墨書により承応三年(一六五四)建立とわかる。桁行三間、梁間三間、寄棟造、本瓦葺で、背面に半間通の張出を設け、三方に切目縁を廻す。軒は一軒繁垂木である。 内部は一室で、四天柱を半間後退させ、来迎壁前面に須弥壇を設けて厨子を安置し、行基像を祀る。背面の張出は各間を位牌壇とし、西側面北端間にも位牌壇をつくり、天井は格天井を張る。 軸部は、円柱を貫と長押で固め、柱上に平三斗を置き、中備は、外部では中央間に蟇股、脇間に蓑束を配り、内部では間斗束とする。 柱間装置は、正側面中央間を桟唐戸、他は格子窓及び横板張とする。 厨子は棟束墨書により寛永一八年(一六四一)の造立と判り、一間厨子、寄棟造、板葺である。禅宗様を基調とし、組物は三斗詰組、軒は一軒繁垂木で、全体を黒漆塗とする。 経堂は、桁行六間、梁間三間、撞木造、本瓦葺で、前半部を礼堂、後半部を正堂とし、礼堂の正側面に切目縁を廻らし、正面に一間向拝を付ける。鬼瓦銘や痕跡等によれば、宝暦一三年(一七六三)に礼堂が竣工し、ほどなく正堂が増築されたとみられる。 礼堂内部は畳敷の一室で、軸部は、亀腹基壇上の布石基礎に土台を伏せ、円柱を貫と長押で固め、台輪上に出組を詰組におく。天井は格天井を張り、軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁大瓶束である。 正堂は前後に二分し、前室の中央間後方を四半敷の土間とし、仏壇下に石碑を納める。後室は物入である。軸部は、面取角柱を小屋梁まで立て登らせ、挿肘木で出組を組む。前室は格天井、後室は棹縁天井を張り、軒は板軒とする。 鐘楼は鬼瓦銘により享保三年(一七一八)の建立とみられる。低い石積基壇上に建ち、桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺である。柱を立て登らせて貫と長押で固め、台輪上に出組をおく。腰組は挿肘木と通肘木で三手分持出して縁葛を受け、逆蓮柱の高欄と切目縁を廻らす。軒は二軒繁垂木で、妻飾は木連格子とする。 唐門は、桁行一間、梁間一間、向唐門、本瓦葺で、様式から江戸中期頃の建築とみられる。石製礎盤に粽付円柱を立てて貫と台輪で固め、組物は出三斗で中備蟇股、虹梁上に簑束を立てる。軒は二軒繁垂木とし、正面柱間に桟唐戸を吊る。各部材は唐戸面を取り、彩色を施すが、かつては全体が錺金具で飾られ、藩主墓所の正門に相応しい外観であった。 随願寺本堂は、堂内に伝統的な密教系本堂の空間秩序を留めつつ、近世的な構造手法や禅宗様細部様式を用いて、装飾的で力感ある造形による荘厳がはかられており、近世の大型密教系本堂として完成度が高い。また開山堂などの江戸期に順次整備された堂宇は、いずれも意匠に優れ、森厳な山中にある藩主菩提寺に相応しい宏壮な伽藍を創出しており、価値が高い。 【参考文献】 『姫路市史 別編文化財編2』 (姫路市 一九九九年)
関連情報
附指定
厨子
鬼瓦
関連情報
附指定
附名称
:
厨子
附員数
:
1基
関連情報
附指定
附名称
:
鬼瓦
附員数
:
1個