国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
ふりがな
:
とうぐうごしょ(げいひんかんあかさかりきゅう)
棟名
:
旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
棟名ふりがな
:
とうぐうごしょ(げいひんかんあかさかりきゅう)
旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
明治
年代
:
明治42
西暦
:
1909
構造及び形式等
:
石造及び鉄骨煉瓦造、建築面積五一五〇・〇〇平方メートル、地上二階地下一階建、銅板葺、車寄及び階段附属
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00226
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
2009.12.08(平成21.12.08)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都港区元赤坂二丁目1番1号
保管施設の名称
:
所有者名
:
内閣府
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
解説文:
詳細解説
旧東宮御所は,皇太子明宮嘉仁親王,のちの大正天皇のための御住居として明治42年に建設された宮殿建築である。
明治期におけるわが国最大の記念建築であり,本格的な西欧の建築様式を採用しつつ,彫刻等の装飾にはわが国独特の主題を用い,精緻な工芸技術が駆使されており,意匠的に高い価値がある。
西欧の建築意匠や技術の習得に始まった明治期の建築界において,意匠的にも,また当時の先端技術を導入している点でも,日本人建築家の設計による建築の到達点を示しており,明治以降,昭和戦前に建設されたわが国の建築を代表するものの一つとして,文化史的意義の特に深いものである。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
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旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
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解説文
旧東宮御所は,皇太子明宮嘉仁親王,のちの大正天皇のための御住居として明治42年に建設された宮殿建築である。 明治期におけるわが国最大の記念建築であり,本格的な西欧の建築様式を採用しつつ,彫刻等の装飾にはわが国独特の主題を用い,精緻な工芸技術が駆使されており,意匠的に高い価値がある。 西欧の建築意匠や技術の習得に始まった明治期の建築界において,意匠的にも,また当時の先端技術を導入している点でも,日本人建築家の設計による建築の到達点を示しており,明治以降,昭和戦前に建設されたわが国の建築を代表するものの一つとして,文化史的意義の特に深いものである。
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詳細解説
旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮) 一棟 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)は、皇太子明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)のための御住居として建設され、明治三二年起工、同四二年に竣工した(竣工年代は『東宮御所御造営誌』による)。設計は、内匠寮技師片山東熊で、片山は、同二九年東宮御所御造営調査委員を経て、同三一年東宮御所御造営局技監として建築工事を総括した。 石造及び鉄骨煉瓦造二階建、建築面積約五、〇〇〇平方メートルの規模を有し、階上に公式の引見、接遇などのための室を配し、階下を両殿下の御常住の部屋にあて、地下室に厨房その他を配する。 戦後、昭和二三年に衆議院に移管され、国立国会図書館や東京オリンピック組織委員会などに使用された。昭和四二年、外国の賓客を接遇する迎賓館に当てることが閣議決定され、昭和四三年より村野藤吾の設計協力、建設省官庁営繕部の設計監理のもと改修工事が行われ、昭和四九年竣工した。 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)は、前庭に北面して建つ。前棟と後棟を中央棟及び東西棟の三棟で連結した左右対称の平面で、前棟の左右翼屋部分は前方に突出させる。南側(主庭側)には、テラス下に噴水池を配した洋風庭園を設ける。 外観意匠は、ネオ・バロック様式を採用し、正面外観は、左右翼屋の内壁面を前方へ湾曲して張出し、中央部と翼屋部の正面は、それぞれコンポジット式とイオニア式の柱で支承したペディメントで強調する。花崗岩の壁面は、一階で水平凸起層を強調してアーチ窓を配し、二階はイオニア式片蓋柱で整然と区画し、アーチ窓・角窓・ペディメント付角窓を配する。中央部軒上両端には、甲冑・弓矢・砲弾を象った青銅製彫刻装飾を飾り、ペディメントのティンパヌムの浮彫や、窓上額面の花綱飾や、玄関二階左右の「芸術・科学」「殖産・興業」の浮彫など、彫刻装飾を多用する。主庭側南立面は、中央部及び両翼屋にそれぞれコンポジット式とイオニア式柱で支承されたペディメントを飾り、両翼屋は、一階は連続アーチのベランダとし、壁面は正面同様水平凸起層とし、二階は複柱式列柱廊ベランダとする。 躯体は耐震のため煉瓦壁体内に鉄骨補強を施す。小屋組は鉄骨トラスが組まれ、鉄骨母屋に檜材を抱き合わせ、これに野地を張ってアスファルトフェルト下葺の上に銅板瓦棒葺とする。暖房設備は、暖炉等による直接暖房のほか、わが国ではじめて自動温度調節装置附の温風暖房装置を採用するなど最新式の方式が導入された。 内部の室構成は、二階を引見、接遇などのための公式の室、一階を両殿下の御常住の室及び事務室、地階には大膳関係、設備関係ならびに倉庫を配す。正面一階中央の玄関を入ると大階段があり、二階大ホールに達する。その突当たりが朝日の間で、階段室を介して正面側には彩鸞の間があり、いずれも来賓の待合室となる。後棟の東側には殿下の引見室、西側には妃殿下の引見室、東・西棟にはそれぞれ接遇のための花鳥の間と羽衣の間を配す。 一階には、後棟の東半分を殿下の御常住の室、西半分を妃殿下の御常住の室に当てる。前棟部は玄関、広間を除いて、主に事務室に当てる。 内部室内装飾は、フランス一八世紀末、一九世紀初頭の様式を主に、各種の様式でまとめられている。とりわけ二階の主要室である朝日の間・彩鸞の間・花鳥の間・羽衣の間等は最高の意匠が凝らされ、純洋風を志向しながら一部には、当時一流の美術家工芸家により日本の伝統的主題が積極的に用いられ、バロック的構成の効果を高めている。 正門は、錬鉄製で、柱門間五・〇メートルの両開扉を吊り、左右に間口三・九メートルの脇門を開き、さらに東西総延長一五九・五メートルの鉄柵を建てる。 東西衛舎は、東西ともに桁行二三・三メートル、梁間六・四メートル、地下一階地上一階、南北棟寄棟造、スレート葺である。平面構成も東西ほぼ同じで、守衛等の休息所及び寝室に供された。中央軒上には、青銅製装飾を飾り、桐の紋章とその左右に武器を象る。 南側の主庭にある噴水池、及び階段は、南北中央軸線上の構成要素として、また南へ下る日本庭園への導入となる。 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)の建築は、片山東熊の代表作で、わが国の明治期における西欧建築受容の一つの到達点を示す建築として重要である。本格的な西欧の建築様式を有する大規模で複合的な宮殿建築であって、彫刻等の装飾にはわが国独特の主題が採用され、精緻な工芸技術が駆使されており、意匠的に高い価値を有している。 【参考文献】 『明治工業史 建築篇』(社団法人工学会 一九二七年) 『迎賓館赤坂離宮改修記録』(迎賓館 一九七七年) 『明治洋風宮廷建築』(小野木重勝 一九八三年) 『皇室建築』(鈴木博之監修 内匠寮の人と作品刊行委員会編 二〇〇五年) 『迎賓館赤坂離宮改修記録』(迎賓館 二〇〇九年)
関連情報
附指定
正門及び塀
東西衛舎
主庭噴水池
主庭階段
関連情報
附指定
附名称
:
正門及び塀
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
東西衛舎
附員数
:
2棟
関連情報
附指定
附名称
:
主庭噴水池
附員数
:
1所
関連情報
附指定
附名称
:
主庭階段
附員数
:
1所