国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧西尾家住宅
ふりがな
:
にしおけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
旧西尾家住宅 主屋
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
明治
年代
:
明治28
西暦
:
1895
構造及び形式等
:
玄関部、居住部、計量部屋部からなる
玄関部 木造、建築面積七二・二二平方メートル、桟瓦葺、北面居住部に接続
居住部 木造、建築面積二八五・六一平方メートル、一部二階建、桟瓦葺、渡廊下・浴室棟・客便所棟附属
計量部屋部 木造、建築面積一四〇・八六平方メートル、桟瓦葺、西面居住部に接続
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02550
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2009.12.08(平成21.12.08)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
大阪府
所在地
:
大阪府吹田市内本町二丁目15番11号
保管施設の名称
:
所有者名
:
国(文部科学省)
所有者種別
:
国
管理団体・管理責任者名
:
吹田市
旧西尾家住宅 主屋
解説文:
詳細解説
西尾家は,近世末に仙洞御料の庄屋を務めた家で,現存する住宅は,明治26年から大正年間にかけて建築された。
主屋は明治28年に上棟された大型の建物で,室内意匠の質も高い。また離れ東棟は,数寄屋風を基調に当時最新の洋風意匠を取り入れた軽快で上質な建物である。
旧西尾家住宅は,大規模な主屋をはじめ,瀟洒な意匠になる離れや茶室などが建ち並び,関西地方における都市近郊の大型近代和風建築として価値が高い。また,蔵や納屋などもよく残り,屋敷全体の構成を完存している点も貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧西尾家住宅 主屋
旧西尾家住宅 主屋(座敷)
旧西尾家住宅 主屋(台所)
写真一覧
旧西尾家住宅 主屋
写真一覧
旧西尾家住宅 主屋(座敷)
写真一覧
旧西尾家住宅 主屋(台所)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
西尾家は,近世末に仙洞御料の庄屋を務めた家で,現存する住宅は,明治26年から大正年間にかけて建築された。 主屋は明治28年に上棟された大型の建物で,室内意匠の質も高い。また離れ東棟は,数寄屋風を基調に当時最新の洋風意匠を取り入れた軽快で上質な建物である。 旧西尾家住宅は,大規模な主屋をはじめ,瀟洒な意匠になる離れや茶室などが建ち並び,関西地方における都市近郊の大型近代和風建築として価値が高い。また,蔵や納屋などもよく残り,屋敷全体の構成を完存している点も貴重である。
詳細解説▶
詳細解説
旧西尾家住宅 七棟 主屋、積翠庵、離れ西棟、離れ東棟、戌亥土蔵、戌亥角土蔵、米蔵、土地 旧西尾家住宅は、吹田市の南部、神崎川の北側に位置する。この辺りはかつて渡路洲とも都呂須とも記され、周辺から集積した物資を舟運により京都や大坂に輸送する拠点であった。 西尾家は近世末には仙洞御料の庄屋を務め、明治になると地主また山林業を営む素封家であった。現存する住宅は、西尾家一一代與右衛門義成と、その子一二代與右衛門義雄によって、明治二六年から大正年間にかけて建築された。 敷地は一辺が約六〇メートルのほぼ正方形で、東面南半部以外の四周を道路に接し、南に表門を開く。敷地北半部には、主屋とその北に東より戌亥土蔵、戌亥角土蔵、積翠庵、東に米蔵等を配し、南半部には表門と一体となった離れ東棟、その西に離れ西棟が建つ。 主屋は、明治二八年の上棟で、玄関部、居住部、計量部屋部からなる。玄関部は桁行一二・八メートル、梁間五・九メートル、東西棟の切妻造、桟瓦葺で、東に計量部屋部、北に渡廊下を介して居住部と接する。平面は、東より土間、店の間、玄関の間、床・棚を備えた味々庵と称する茶室を並べ、店の間の北に三畳の茶室が張出す。土間と店の間が根太天井で、他室は棹縁天井である。 居住部は、 桁行二一・九メートル、梁間一四・一メートル、二階建で、東西棟の入母屋造、桟瓦葺である。平面は、東端に南北に延びる通り土間とその西方の床上部からなり、床上部は南北二列に四室ずつの八間取を基本とする。南側は、東から口の間、中の間、次の間、座敷、北側は、居間、東八畳間、奥座敷次の間、奥座敷を配する。口の間は根太天井、他室は棹縁天井を張る。口の間を除く南三室に面して、化粧屋根裏の縁座敷を廻し、北四室に面して化粧屋根裏の槫縁を付す。二階は、南北に各三室を配する。南側は接客用の部屋で、東から長四畳、六畳、床・棚を備えた八畳の座敷、北側は家人用の六畳、長四畳、床を備えた八畳からなり、各室とも棹縁天井を張るが、窓側半間は化粧屋根裏とする。 計量部屋部は、桁行一八・八メートル、梁間六・九メートル、南北棟の切妻造、桟瓦葺で、南妻面には玄関部の下屋庇が延長して取付く。平面は、南に計量部屋、北に台所を配し、計量部屋には男部屋、台所には女部屋が付く。計量部屋には根太天井を張り二階を有し、床は煉瓦敷とする。 積翠庵は明治二六年の建築で、南側の庭に面して、西に燕庵写しの三畳台目茶室、東に雲脚写しの二畳台目茶室を配し、それぞれ北側に水屋を設ける。西の茶室は、桁行五・八メートル、梁間四・〇メートル、南北棟の南妻が入母屋造、北妻が切妻造、桟瓦葺、一部銅板葺で、東の茶室は、桁行四・六メートル、梁間五・八メートル、東西棟の切妻造である。 離れ西棟は、大正一五年の上棟で、敷地南半部ほぼ中央に建つ。桁行一三・七メートル、梁間一二・〇メートル、切妻造、東西及び南に妻面をみせ、北面には小部屋が附属する。桟瓦葺一部銅板葺で、東面中ほどで斜めに延びる渡廊下で離れ東棟と接続する。玄関は北に設けられ、玄関の東に四畳半茶室、南に座敷が続き、どちらも床・棚を構え、棹縁天井で、東に化粧屋根裏の槫縁を通す。座敷南には磚を四半敷とした待合を付し、東面に円形の下地窓を穿ち、腰掛を設える。座敷と待合の西には次の間、その北に水回りを配する。 離れ東棟は、離れ西棟と同時期に建てられたもので、桁行一四・五メートル、梁間七・一メートル、寄棟造及び切妻造、桟瓦葺で、東面南半部に表門を附属する。廊下を挟んで南に書斎、北に撞球室を配し、書斎南にサンルームを付設する。書斎と撞球室はともに格天井の洋間とし、書斎西にステンドグラスの出窓を備え、サンルームを石敷、化粧屋根裏とし、廊下を網代天井とする。 戌亥土蔵は、明治二六年の上棟で土蔵造二階建、桁行九・九メートル、梁間五・九メートル、東西棟の切妻造、本瓦葺である。南を正面とし、戸口を二箇所に設け、内部は一階を板壁で二室に分割するが、二階は一続きとし、二階への階段は西室のみに付す。柱を半間ごとに配し、上下階ともこの柱間に横板を落し込んで内壁とし、外壁は漆喰塗とする。 戌亥角土蔵は、明治三五年の上棟で、土蔵造二階建、桁行四・九メートル、梁間三・九メートル、東西棟の切妻造、桟瓦葺で、南に蔵前を付す。半間を三分割する間柱を配し、各柱間に縦板を落とし込んで内壁とし、外壁は漆喰塗とする。 米蔵は、江戸時代末期とされ、土蔵造、桁行九・九メートル、梁間四・一メートル、南北棟の切妻造、本瓦葺である。西側の主屋に向かって、入口を開き、南妻面と東面中ほどに開口を穿つ。外壁は漆喰塗とする。 このほか敷地内には、北東納屋、米蔵北納屋、東南納屋、庭門、四腰掛、石灯籠、防火水槽、温室基礎部等が保存されている。 旧西尾家住宅は、伝統的な民家形式を発展させた大規模な主屋をはじめ、近代的で瀟洒な意匠になる離れや茶室などが建ち並び、関西地方における都市近郊の大型近代和風住宅として価値が高い。蔵や納屋などの附属屋もよく残り、屋敷全体の構成を完存している点も貴重であり、敷地内の工作物とともに、宅地も併せて保存を図る。 【参考文献】 『大阪府近代和風建築総合調査報告書』(大阪府教育委員会 二○○〇年) 『旧西尾家住宅総合調査報告書』(吹田市教育委員会 二〇〇九年)