国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
石谷家住宅
ふりがな
:
いしたにけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
石谷家住宅 主屋
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
昭和
年代
:
昭和3
西暦
:
1928
構造及び形式等
:
木造、建築面積三五〇・七七平方メートル、二階建、入母屋造、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
『近代和風建築智頭の石谷邸』(平成13年4月発行、調査は平成12年度に実施)
『鳥取県近代和風建築総合調査報告書』
(平成18年3月発行、調査は平成16,17年度に実施)
指定番号
:
02551
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2009.12.08(平成21.12.08)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
鳥取県
所在地
:
鳥取県八頭郡智頭町大字智頭396番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
智頭町、石谷樹人、石谷正樹
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
石谷家住宅 主屋
解説文:
詳細解説
石谷家住宅は,山林経営を主として営んでいた旧家の住宅で,大正8年から昭和4年にかけて屋敷全体の造営が行われた。
広大な敷地の中央に建つ主屋は昭和3年の竣工で,敷地内には, 主屋を中心に座敷や米蔵などが並び建っている。
主屋は,智頭地方特産の良質な杉材などの銘木を用い,高度な架構技術により宏壮な土間空間を創る大型の建物で,座敷の細部意匠も洗練されたつくりになる。
石谷家住宅は,優れた意匠をもつ大型の近代和風建築として重要であるとともに,質の高い土蔵などの附属屋や庭園がよく残り,豪壮な屋敷構えを伝えている点でも価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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石谷家住宅 主屋
石谷家住宅 主屋(内部)
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石谷家住宅 主屋
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石谷家住宅 主屋(内部)
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解説文
石谷家住宅は,山林経営を主として営んでいた旧家の住宅で,大正8年から昭和4年にかけて屋敷全体の造営が行われた。 広大な敷地の中央に建つ主屋は昭和3年の竣工で,敷地内には, 主屋を中心に座敷や米蔵などが並び建っている。 主屋は,智頭地方特産の良質な杉材などの銘木を用い,高度な架構技術により宏壮な土間空間を創る大型の建物で,座敷の細部意匠も洗練されたつくりになる。 石谷家住宅は,優れた意匠をもつ大型の近代和風建築として重要であるとともに,質の高い土蔵などの附属屋や庭園がよく残り,豪壮な屋敷構えを伝えている点でも価値が高い。
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詳細解説
石谷家住宅 八棟 主屋、座敷棟、家族棟、一号蔵、二号蔵、三号・四号蔵、五号・六号蔵、七号蔵、土地 石谷家は、鳥取と姫路を結ぶ智頭往来智頭宿のほぼ中央に所在する。元禄年間(一六八八~一七〇四)に鳥取城下から移転したとされ、「塩屋」と号して米や醸造品を扱った商家で地主経営も行っていたが、明治以降林業経営を拡大した。 石谷家住宅は、大正八年から昭和四年にかけて既存建物の一部を再利用しながら屋敷全体の造営が行われ、設計監督は鳥取市出身の田中力蔵が務めた。山裾の広大な敷地の中央に主屋を南面して構え、座敷棟と家族棟を、主屋東側の和風庭園を臨むように配している。また主屋後方や敷地西辺に土蔵が並び建ち、東辺では外塀や門などを廻らして敷地を区切る。 敷地内の大工小屋、炭置場、裏門は平成九年七月一五日付で登録有形文化財(建造物)に、他の主な建物は、平成一二年六月一二日付で智頭町指定文化財となっている。また敷地内の庭園が、平成二〇年三月二八日付で登録記念物(名勝)となっている。 主屋は大正一三年に立柱し、昭和三年竣工した。桁行二三・二メートル、梁間一三・八メートル、木造二階建、入母屋造、桟瓦葺で、四周に下屋を廻らし、南面に座敷を張出す。西半の土間は長大な梁を高く縦横に架け渡し、力強く宏壮な空間を創る。土間正面中央を出入口とし、この東西の室を床張として、受付及び事務室とする。土間奥寄りは東側に竈を築き、西側を女中部屋とする。床上部は、南端を畳廊下とし、後方は三列構成で、土間境を広間、中央列を次の間と食堂、東列を主人の間及び書斎とする。南面座敷は床・床脇・平書院を備え、庇は丸太垂木とし、南東に落縁を付けて中庭を臨む。 二階は階段で東西に二分され、東側が家人の居室で、西側は座敷を配する。東側の居室は、北東隅の座敷、その西の次の間、さらに南に三の間を矩の手に続け、三の間東には神殿を配す。室境には宝相華唐草や鳳凰、飛龍の透彫欄間を入れ、神殿は格天井を張り、祭壇に宮殿を祀る。また三の間の前面は吹抜けとし、太鼓橋を架けて連絡する特異な構成とする。 また主屋正面には玄関棟を接続し、式台付の応接と内玄関を設け、桟瓦を葺く。 座敷棟は、既存の古座敷や仏間を利用して昭和初期に新建と茶室を建てたもので、L字形の平面をもつ。木造平屋建、入母屋造及び切妻造、桟瓦葺で、周囲に下屋を廻らす。 北端の仏間は三畳で、北奥に仏壇を祀り、仏壇廻りや棹縁天井、長押を漆塗とする。この南に続く新建は座敷二間と東西縁からなり、南室に座敷飾を備える。 古座敷は数寄屋風意匠になり、座敷二間の北東面に縁を廻らして庭を臨み、主室に床・違棚・平書院を備える。違棚は、海老束を扇子形として後壁に櫛形窓を穿ち、平書院には猪目形の框を付けるなど、独特で洗練された意匠とする。古座敷の東には、四畳半茶室が池に張出して接続する。 家族棟は主屋と同時に建てられたとみられ、桁行二〇・三メートル、梁間六・〇メートル、木造二階建、入母屋造、桟瓦葺である。主屋書斎後方に厨房、子供部屋、化粧室、婦人部屋二室を直列させ、各室を西側の廊下で繋ぐ。子供部屋と婦人部屋の主室には座敷飾を備え、婦人部屋二室の境には、「柳に鴛」の透彫欄間を入れる。 二階は階段の南北に二室ずつを配する。北側は八畳間と次の間からなり、室境や平書院の欄間に源氏香紋の透彫や月字をあしらい、北縁に卍崩し高欄を組むなど、瀟洒な意匠とする。南側は床を備えた二室を並べ、欄間は烏瓜の透彫とする。各室の透彫欄間は、智頭出身の彫刻家國米元俊(一八七八~一九五七 号泰石)の作で、國米は屋根鬼瓦の意匠も考案した。 一号蔵はもと米蔵で、大正九年に上棟された。桁行九・八メートル、梁間五・九メートル、土蔵造、切妻造、桟瓦葺で、北面に出入口を開く。花崗岩切石積基礎に建ち、柱を密に立て並べ、小屋は垂木構造とし、外壁は竪板を高く張る。 二号蔵ももと米蔵で、大正九年に上棟された。桁行一一・八メートル、梁間四・六メートル、土蔵造二階建、切妻造、桟瓦葺で、東面に開口を設け、庇を付ける。軸部構成は一号蔵と同様であるが、内部は二階を設ける。 三号・四号蔵は、大正一一年の建築で、明治一三年に建築された四号蔵を再利用し、その南側に三号蔵を新築して一体としたものである。桁行一〇・五メートル、梁間五・九メートル、土蔵造二階建、切妻造、桟瓦葺で、東面に開口を設け庇を付ける。 五号・六号蔵は道具蔵で、明治前期に池の北側に建てられた土蔵を大正一二年頃に移築したものである。五号蔵と六号蔵の軸部は別構造だが、外壁と屋根は一体に作られ、各々の東側を出入口とし、廊下で繋ぐ。桁行一二・八メートル、梁間四・九メートル、土蔵造二階建、切妻造、桟瓦葺である。 七号蔵はもと衣装蔵で、現在地のやや南側にあった土蔵を大正一三年頃に移築された。桁行七・五メートル、梁間六・八メートル、土蔵造二階建、切妻造、置屋根式の桟瓦葺で、南面に出入口を開き、蔵前を設ける。 大工小屋は大正一一年の建築で、桁行二〇・一メートル、梁間五・八メートル、木造二階建、切妻造、桟瓦葺である。また炭置場は大工小屋と一連で、桁行一〇・九メートル、梁間六・一メートル、木造二階建、切妻造、桟瓦葺である。 この他、敷地東面の裏門は大正一五年建築で、一間薬医門、切妻造、桟瓦葺である。また正面西寄りの車庫は昭和三年頃に建てられ、敷地正面の塀と一体構造で門番所を附属する。これらの、裏門と大工小屋及び炭置場、車庫の各棟を附指定とする。 石谷家住宅は、智頭地方特産の良質な杉材など銘木を用いて、山陰地方有数の林業家によって建築された質の高い住宅である。特に主屋は、高度な架構技術により宏壮な土間空間を創るとともに、各座敷の細部意匠も洗練されており、優れた意匠をもつ大型の近代和風住宅として価値が高い。豪壮な屋敷構えを構成する土蔵などの附属屋も質が高く、宅地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『近代和風建築智頭の石谷邸』(智書房 二〇〇一年) 『鳥取県近代和風建築総合調査報告書』(鳥取県教育委員会 二〇〇七年)
関連情報
附指定
玄関棟
大工小屋
炭置場
裏門
車庫
普請関係文書
関連情報
附指定
附名称
:
玄関棟
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
大工小屋
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
炭置場
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
裏門
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
車庫
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
普請関係文書
附員数
:
15冊