国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
木幡家住宅(島根県松江市宍道町)
ふりがな
:
こわたけじゅうたく
棟名
:
新座敷棟
棟名ふりがな
:
しんざしきとう
木幡家住宅 新座敷棟
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
明治
年代
:
明治5
西暦
:
1872
構造及び形式等
:
桁行一二・四メートル、梁間一〇・六メートル、入母屋造及び切妻造、西面仏間及び茶室附属、南西面主屋に接続、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
01736
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2009.12.08(平成21.12.08)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
島根県
所在地
:
島根県松江市宍道町宍道1335番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
木幡家住宅 新座敷棟
解説文:
詳細解説
木幡家は,江戸時代には酒造業を営んでいた商家で,享保18年(1733)に建築された主屋が重要文化財に指定されている。
主屋背後の座敷群は,主に明治時代に整えられた上質なつくりの接客施設で,主屋と一体となって屋敷構えを構成しており,価値が高い。
また,江戸末期にさかのぼる土蔵などの附属建物や宅地も旧態をよくとどめ,山陰地方における商家の特徴を理解する上で重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
木幡家住宅 新座敷棟
木幡家住宅 新座敷棟(右)飛雲閣(左)
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木幡家住宅 新座敷棟
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木幡家住宅 新座敷棟(右)飛雲閣(左)
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解説文
木幡家は,江戸時代には酒造業を営んでいた商家で,享保18年(1733)に建築された主屋が重要文化財に指定されている。 主屋背後の座敷群は,主に明治時代に整えられた上質なつくりの接客施設で,主屋と一体となって屋敷構えを構成しており,価値が高い。 また,江戸末期にさかのぼる土蔵などの附属建物や宅地も旧態をよくとどめ,山陰地方における商家の特徴を理解する上で重要である。
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詳細解説
木幡家住宅 七棟 座敷棟、新座敷棟、奥座敷棟、飛雲閣、米蔵、三階蔵、新蔵、土地 木幡家は宍道湖西端の山陰道沿いに所在する。江戸時代は酒造業を営んだ商家で、藩主の領内巡視などの際に休泊所とされた。また明治四〇年の皇太子山陰行啓にあたっては御昼餐所に選定された。屋敷内の他の建物は、江戸後期から明治期にかけて整備された。主屋は享保一八年(一七三三)に建築されたもので、昭和四四年六月二〇日付で重要文化財に指定されている。 主屋は西面して建ち、正面左方の板塀に御成門と行啓門を開く。主屋北東方には新座敷棟と飛雲閣を雁行させ、主屋北東隅から後方に延びる廊下の左右に新奥座敷棟と奥座敷棟を、背後に新蔵を配し、裏通りに面して資材蔵と裏門を建てる。また主屋の南東方には、米蔵や三階蔵などが建ち並ぶ。このうち飛雲閣は、昭和五六年四月一日付で松江市指定文化財となった。 新座敷棟は、松江藩家老朝日家から建物の一部を移して再利用しつつ建築され、明治五年に上棟した。棟梁は松江の渡部彦七、副棟梁を宍道の伊藤徳右衛門が務めたことが知られる。 桁行一二・四メートル、梁間一〇・六メートル、入母屋造及び切妻造、桟瓦葺で、南西の居間を張出し、さらに二畳台目茶室と仏間を附属する。平面は、八畳の主室を中心に、その南北及び西に座敷を配し、主室は古木を床柱として床・棚を備え、西面に組子欄間を入れる。また北西隅の五畳半は面皮柱や竹の床柱、網代天井などを用いて、数寄屋風意匠とする。 飛雲閣は、皇太子行啓に備えて明治三五年に建てられ、大工棟梁を松江の川島徳次郎が務めた。桁行八・九メートル、梁間八・二メートル、入母屋造、東西面軒庇付、桟瓦葺で、北東隅に便所を附属する。主室は十畳で、床・床脇・付書院を備え、格天井を張る。前室は九畳で、主室との室境に木象嵌の板欄間を入れる。 新奥座敷棟は文久四年(一八六四)の建築とみられ、桁行七・六メートル、梁間六・七メートル、二階建、入母屋造及び切妻造、桟瓦葺とし、北側廊下で新座敷棟と奥座敷棟に接続する。床を備えた八畳間の西面と北面に前室を配し、二階は座敷二間を備える。 奥座敷棟は、飛雲閣とともに計画されて明治三三年頃に建てられ、皇太子行啓の際には侍女の居室として使用された。桁行一一・一メートル、梁間五・八メートル、二階建、入母屋造、桟瓦葺で、北東に三畳茶室、北西に六畳間を附属する。二階主室は八畳間で、北西隅に、床・琵琶床を配し、床脇に丸窓を穿つ。 新蔵は奥座敷棟から南に延びる廊下に接して建ち、明治中期頃の建築とみられる。桁行九・八メートル、梁間五・一メートル、土蔵造二階建、切妻造、桟瓦葺で、上下階の内部は床張とし、南面に窓を穿つ。地元産の島石を用いた切石積基礎に建ち、四隅を海鼠壁とする。 米蔵は江戸末期の建築とみられ、桁行一一・四メートル、梁間四・九メートル、土蔵造、切妻造、桟瓦葺である。四隅と西面庇上部を海鼠壁とし、基礎、石段、内部敷石、棟石に、地元産の来待石を用いる。 三階蔵も江戸末期の建築とみられ、桁行九・一メートル、梁間五・〇メートル、土蔵造三階建、切妻造、桟瓦葺である。 御成門と湯殿も、江戸末期の建築とみられる。御成門は、棟門、桟瓦葺で、桟唐戸を内開きに吊り、棟と鬼を来待石で作る。湯殿は、桁行四・二メートル、梁間三・九メートル、切妻造、桟瓦葺で、南面の廊下で主屋に接続する。現在は内部を畳敷としている。行啓門は明治行啓の際に建てられた、間口二・九メートルの冠木門である。 屋敷地背面の資材蔵と裏門は江戸末期の建築とみられる。資材蔵は、桁行一四・六メートル、梁間七・〇メートル、土蔵造、切妻造、桟瓦葺である。裏門は、桁行八・〇メートル、梁間三・九メートル、木造平屋建、両下造、桟瓦葺で、南半部を畳敷の居室とする。これらの御成門、湯殿、行啓門、資材蔵、裏門を附指定とする。 木幡家住宅の座敷群は、主に明治時代になって整えられた上質なつくりの接客施設で、江戸時代に建てられた主屋と一体となって屋敷構えを構成しており、価値が高い。宅地の形状や、江戸末期に遡る土蔵などの附属建物もよく旧態をとどめ、山陰地方における商家の特徴を理解する上で重要であり、併せて保存を図る。 【参考文献】 『重要文化財木幡家住宅調査報告書』(松江市教育委員会 二○○九年)