国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧賓日館
ふりがな
:
ひんじつかん
棟名
:
本館
棟名ふりがな
:
ほんかん
旧賓日館 本館
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員数
:
1棟
種別
:
近代/商業・業務
時代
:
明治
年代
:
明治20
西暦
:
1887
構造及び形式等
:
木造、建築面積525.51平方メートル、二階建、入母屋造、桟瓦葺及び銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02555
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2010.06.29(平成22.06.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
三重県
所在地
:
三重県伊勢市二見町茶屋566番2号
保管施設の名称
:
所有者名
:
伊勢市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧賓日館 本館
解説文:
詳細解説
旧賓日館は、伊勢神宮の崇敬団体の神苑会(しんえんかい)によって、景勝地二見浦に、賓客の休泊のために建設され、昭和前期に造神宮技師の鹽野庄四郎の指導監督により改修及び増築が行われ、ほぼ現在の規模となった。
本館の御殿の間は、凝った意匠をもつ座敷で、創建時の姿を残している。昭和前期の大広間棟2階の大広間は120畳敷で、折上格天井を張り、良材を用いて華やかな意匠で設えられている。
旧賓日館は、明治期から昭和前期にかけての建築技術や意匠の進展をよく示している大規模な近代和風建築として高い価値がある。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧賓日館 本館
旧賓日館 本館翁の間
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旧賓日館 本館
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旧賓日館 本館翁の間
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解説文
旧賓日館は、伊勢神宮の崇敬団体の神苑会(しんえんかい)によって、景勝地二見浦に、賓客の休泊のために建設され、昭和前期に造神宮技師の鹽野庄四郎の指導監督により改修及び増築が行われ、ほぼ現在の規模となった。 本館の御殿の間は、凝った意匠をもつ座敷で、創建時の姿を残している。昭和前期の大広間棟2階の大広間は120畳敷で、折上格天井を張り、良材を用いて華やかな意匠で設えられている。 旧賓日館は、明治期から昭和前期にかけての建築技術や意匠の進展をよく示している大規模な近代和風建築として高い価値がある。
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詳細解説
旧賓日館 三棟 本館、大広間棟、土蔵 旧賓日館は、伊勢神宮の崇敬団体の神苑会によって、景勝地二見浦に、賓客の休憩・宿泊のために建設された旅館施設である。この二見浦は、平成一八年七月二八日付で名勝に指定されている。敷地は一辺約六〇メートルの正方形で、二見浦に面する北側に門を開き、その正面に本館が建つ。門と本館車寄の東側を板塀と庭門で仕切り庭園とし、本館の南東に雁行して大広間棟が庭園に北面して建ち、本館の南に土蔵を配す。これらの主屋ほか二棟は、平成一六年三月一七日付で三重県指定有形文化財(建造物)に指定された。 旧賓日館は、英照皇太后の行啓のため明治一九年一二月に建設が決定され、棟札により翌二〇年一月九日上棟、同年二月一九日開館した。当初より管理は西側隣地で旅館を営む二見館に委託され、明治二四年には皇太子明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)が宿泊するなど皇族の利用も少なくない。明治四四年の神苑会解散を機に二見館の所有となり、二見館別館として使用された。昭和二年から昭和一一年にかけて、大規模な改修及び増築が行われ、現在の規模形式となる。この改修及び増築は、造神宮技師鹽野庄四郎の指導監督による。平成一一年二見館の休業に伴い閉鎖され、再開の目処が立たず廃業し、同一五年二見町(現伊勢市)の所有となり、保存整備工事が実施され、一般に公開されることとなった。 本館は、明治二〇年の建築で、木造二階建、建築面積五二五・五一平方メートル、入母屋造、桟瓦葺及び銅板葺とする。中庭を囲むロ字形の配置を踏襲しながら、昭和前期の改修及び増築を経てほぼ現在の規模形式となる。平面は、一階玄関の東に庭に面して矩の手に入側の廻る一五畳と一二畳からなる客室と一五畳の客室、玄関の西には一〇畳の客室(現事務室)と夜具室(現展示室)が並び、二階は東から矩折れに広縁を廻らせた一二畳と一五畳からなる御殿の間、一二畳と一〇畳の千鳥の間、二〇畳と四八畳からなる翁の間を並べ、一階、二階とも中庭の南に渡り廊下を通す。 御殿の間は、精緻な造りの座敷で、明治二〇年の創建時の姿を残している。二見浦を望む北面及び庭園を望む東面に矩折れに広縁を廻らし、天井は主室一五畳が格天井、次の間一二畳が棹縁天井で、特に主室一五畳の格天井は、格間に井桁状にさらに細い格子を組む。床框に螺鈿を施すなど凝った意匠の床・棚・床脇及び付書院を構え、室境は襖、側廻りは腰障子を建て、筬欄間を入れた最上格の客室とする。このほか、昭和前期に改修及び増築された正面東側一階の客室、正面西側二階の翁の間、玄関などの内部意匠や、唐破風造の車寄や正面左右に入母屋破風を見せる複雑な屋根構成の外部意匠にも技能水準の高さがうかがえる。 大広間棟は、創建時平屋の客室棟を昭和一〇年に建替えたものである。桁行二六・七メートル、梁間一四・七メートル、二階建、東西棟の入母屋造、桟瓦葺及び銅板葺で、一階を客室、二階を一二〇畳の大広間とする。一階は明治二〇年の室配置を踏襲し、東西に通る中廊下を挟んで南北にそれぞれ三室を配する。二階の大広間は、折上格天井とし、大空間実現のため洋小屋を組む。東面に床・棚・床脇を、西面に舞台を、ともに良材を用いて近代性を加味した華やかな意匠で設える。大広間南北両面の一間幅の廊下は、ガラス戸を建て、外側半間は化粧屋根裏とする。 土蔵は、明治二〇年の建築で、桁行七・三メートル、梁間三・六メートル、土蔵造二階建、切妻造、桟瓦葺である。旧賓日館における調度品及び展示物などを収納していたとみられ、切石積の基礎の上に建ち、漆喰壁に下見板を張る。 旧賓日館は、明治二〇年に神苑会によって建設され、平面構成を尊重しつつ、昭和前期の改修・増築を経た本館及び大広間棟、また土蔵からなる大規模な旅館施設で、外観、内部とも優れた意匠を有する近代和風建築として価値が高い。また明治期から昭和戦前期にかけての建築技術や意匠の進展をよく示している点でも重要である。 【参考文献】 『神苑会史料』(神苑会清算人事事務所 一九一一年) 『三重県近代和風建築総合調査報告書』(三重県教育委員会 二〇〇八年)