国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
河本家住宅(鳥取県東伯郡琴浦町)
ふりがな
:
かわもとけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
河本家住宅 主屋
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸中期
年代
:
貞享5/宝永4
西暦
:
1688/1707
構造及び形式等
:
居室部及び客間部からなる、居室部 桁行17.1メートル、梁間15.0メートル、寄棟造、茅葺・桟瓦葺及び鉄板葺、客間部 桁行10.9メートル、梁間7.5メートル、切妻造、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02567
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2010.12.24(平成22.12.24)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
鳥取県
所在地
:
鳥取県東伯郡琴浦町篦津393
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
河本家住宅 主屋
解説文:
詳細解説
河本家は日本海沿岸の旧伯耆往還沿いにある旧家で、近世には大庄屋などの要職を務めた。
主屋は、豪壮な梁組をもつ貞享5年 (1688)建築の居室部と、数寄屋風で洗練された意匠の宝永4年(1707)建築の客間部で構成される。江戸中期の山陰地方における農家の住宅形式をよく伝え、かつ建築年代の明らかな民家としては山陰地方で最古に属し、貴重である。
主屋の周囲には、江戸後期以後に建てられた蔵などの付属建物が並び建ち、豪農の屋敷構えをよく留めており、高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
河本家住宅 主屋
河本家住宅 主屋内観(客間部)
写真一覧
河本家住宅 主屋
写真一覧
河本家住宅 主屋内観(客間部)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
河本家は日本海沿岸の旧伯耆往還沿いにある旧家で、近世には大庄屋などの要職を務めた。 主屋は、豪壮な梁組をもつ貞享5年 (1688)建築の居室部と、数寄屋風で洗練された意匠の宝永4年(1707)建築の客間部で構成される。江戸中期の山陰地方における農家の住宅形式をよく伝え、かつ建築年代の明らかな民家としては山陰地方で最古に属し、貴重である。 主屋の周囲には、江戸後期以後に建てられた蔵などの付属建物が並び建ち、豪農の屋敷構えをよく留めており、高い価値が認められる。
詳細解説▶
詳細解説
河本家住宅(鳥取県東伯郡琴浦町) 五棟 主屋、離れ、味噌蔵及び米蔵、新蔵、土蔵、土地 河本家住宅は、勝田川が日本海に注ぐ河口西側の箆津集落中心に所在し、旧伯耆往還の北側に屋敷を構える。 河本家は尼子氏の家臣であった弥兵衛隆任を初代とし、寛文年間(一六六一~七三)、五代弥三右衛門のときに当地に移り住んだとみられ、以後、代々大庄屋などの要職を務めた。 敷地正面東寄りに門及び納屋を構え、門の奥に主屋が南面して建つ。主屋は東側の居室部と、西側の客間部からなり、さらに西側に附属屋を介して南北棟の離れを建てる。主屋背後の庭を囲んで、東から、味噌蔵及び米蔵、米蔵、土蔵、新蔵が建ち並び、土蔵北側に大工小屋を配する。また主屋の客間部の前後に庭を築き、各々塀で囲う。この主屋は昭和四九年三月二九日付で鳥取県有形保護文化財に指定された。 主屋の居室部は貞享五年(一六八八)の建築で、規模は桁行一七・一メートル、梁間一五・〇メートル、寄棟造、茅葺で、正面の下屋を桟瓦葺、背面の張出し部を鉄板葺とする。 平面は、東寄りの土間を大黒柱筋で前後に分け、土間東端間はフロバなどに間仕切る。床上部は東西二列で、東列は、手前よりゲンカンノマ、ヒロマとして、後方の張出しを食堂とする。ゲンカンノマとヒロマの東側に畳敷の上り段を、食堂東側に台所を設ける。また西列は手前より板間、ブツマ、イマとして、後方に二畳二室を張出す。ブツマ北面は半間幅の畳敷として後方に仏壇を安置し、イマ北面に釣床を備える。またイマとその前後の部分は、ヒロマより床高を一段高くつくる。 軸部は、土間とヒロマは差鴨居で柱を固め、ほかは長押を廻らし、棹縁天井を張る。特にブツマとイマでは柱や長押、天井棹縁に面皮材を用いて数寄屋風につくる。 小屋組は扠首組で、棟は桟瓦葺の箱棟に棟石を載せる。 客間部は、宝永四年(一七〇七)の建築で、桁行一〇・九メートル、梁間七・五メートル、切妻造、桟瓦葺で正背面を下屋とする。 平面は、オクノマとツギノマよりなる主体部とヒカエノマを、主屋前面より半間ずつ後退させて雁行させ、屈曲した縁でつなぐ。オクノマ西面に床・違棚・付書院を構え、ヒカエノマ北面に床をつくる。三室とも軸部に面皮材を使い、オクノマ・ツギノマ境に牡丹唐草の透彫欄間を、また付書院には蔦模様の透彫欄間を入れるなど、洗練された意匠になる。 離れは、文政三年(一八二一)の建築で、桁行一〇・九メートル、梁間六・四メートル、切妻造、桟瓦葺で、周囲を下屋とする。 平面は、北より八畳の主室、六畳、二畳二室とし、周囲を縁や土間とする。主室に床・棚・付書院、六畳に床と床脇を備え、室境に花弁を図案化した透彫欄間をいれる。軸部は、面内を黒漆塗とした面皮材を用い、天井は棹縁天井とする。 味噌蔵及び米蔵は、文化三年(一八〇六)の建築である。桁行一八・〇メートル、梁間四・一メートル、土蔵造一部二階建の本体部の北側に、桁行三・七メートル、梁間三・一メートルの平家建の土蔵を附属した形式になり、屋根は置屋根式で切妻造、桟瓦葺とし、西面に庇を付ける。 本体部の内部は三分され、南室は土間で二階建の味噌蔵、残る二室と北側に附属する蔵は床張で、いずれも米蔵として使用された。 新蔵は、天保一三年(一八四二)の建築で、桁行六・〇メートル、梁間四・七メートル、土蔵造二階建、切妻造、置屋根形式の桟瓦葺とし、東面に庇を付ける。東面は腰を海鼠壁とし、他の面は簓子下見板張とする。 土蔵は、安永八年(一七七九)の建築で、桁行八・二メートル、梁間四・四メートル、土蔵造二階建、切妻造、置屋根形式の桟瓦葺である。東面は、庇を付けて腰を海鼠壁とし、二階に窓を穿つ。 門及び納屋は江戸末期頃の建築とみられ、桁行一四・一メートル、梁間四・八メートル、二階建の納屋の西側に、間口四・六メートルの門を構え、物入を附属し、屋根は切妻造、桟瓦葺である。 米蔵は、明治八年の建築である。桁行一二・九メートル、梁間五・一メートル、土蔵造二階建、切妻造、置屋根形式の桟瓦葺で、南面に庇を付け、内部を東西に二分する。 大工小屋は、棟札により明治一六年の建築で、桁行一二・九メートル、梁間五・九メートル、二階建、切妻造、桟瓦葺で、西面半間を吹放しとする。 河本家住宅の主屋は、江戸中期の山陰地方における上層農家の住宅形式をよく伝える大型民家であり、かつ建築年代の明らかな民家としては山陰地方で最古に属し、貴重である。また蔵などの附属建物は年代が明らかで、その宅地構成は、当家に伝わる嘉永期の家相図とよく符合し、豪農の屋敷構えをよく留めるものとして価値が高く、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『河本家住宅建造物調査報告書』(琴浦町教育委員会 二〇〇五年)
関連情報
附指定
門及び納屋
米蔵
大工小屋
家相図
関連情報
附指定
附名称
:
門及び納屋
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
米蔵
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
大工小屋
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
家相図
附員数
:
1枚