国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
住吉大社
ふりがな
:
すみよしたいしゃ
棟名
:
幣殿及び渡殿(四棟) (第一殿)
棟名ふりがな
:
へいでんおよびわたりでん
住吉大社 幣殿及び渡殿(第一殿)
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
江戸後期
年代
:
文化7
西暦
:
1810
構造及び形式等
:
幣殿 桁行五間、梁間二間、一重、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、 檜皮葺、渡殿 桁行二間、梁間一間、両 下造、檜皮葺、鳥居付
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
01943
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2010.12.24(平成22.12.24)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
大阪府
所在地
:
大阪府大阪市住吉区住吉二丁目
保管施設の名称
:
所有者名
:
住吉大社
所有者種別
:
神社
管理団体・管理責任者名
:
住吉大社 幣殿及び渡殿(第一殿)
解説文:
詳細解説
住吉大社は古代に起源をもつ古社で、本殿4棟が国宝、ほか4棟が重要文化財に指定されている。
幣殿及び渡殿は、本殿と同じく文化7年(1810)の建築で、割拝殿形式の幣殿と、本殿との間を繋ぐ渡殿からなる。摂社大海神社の幣殿及び渡殿も同様の形式で、宝永5年(1708)頃の建築とみられる。これらは、中世から近世にかけて住吉大社の建築が整えられた過程を伝える社殿として重要である。
南高蔵、北高蔵、摂社大海神社西門、末社招魂社本殿は桃山~江戸初期の建築で、近世の住吉大社の社殿の構成を伝える遺構として価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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住吉大社 幣殿及び渡殿(第一殿)
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住吉大社 幣殿及び渡殿(第一殿)
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解説文
住吉大社は古代に起源をもつ古社で、本殿4棟が国宝、ほか4棟が重要文化財に指定されている。 幣殿及び渡殿は、本殿と同じく文化7年(1810)の建築で、割拝殿形式の幣殿と、本殿との間を繋ぐ渡殿からなる。摂社大海神社の幣殿及び渡殿も同様の形式で、宝永5年(1708)頃の建築とみられる。これらは、中世から近世にかけて住吉大社の建築が整えられた過程を伝える社殿として重要である。 南高蔵、北高蔵、摂社大海神社西門、末社招魂社本殿は桃山~江戸初期の建築で、近世の住吉大社の社殿の構成を伝える遺構として価値が高い。
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詳細解説
住吉大社 九棟 幣殿及び渡殿(四棟)、南高蔵、北高蔵、摂社大海神社幣殿及び渡殿、摂社大海神社西門、末社招魂社本殿(旧護摩堂) 住吉大社は、淀川と大和川が大阪湾に注ぐ、水陸交通の要衝の地に鎮座し、古代に創建がさかのぼる名社である。 境内中央の本殿四棟からなる本社は、第一殿、第二殿、第三殿が西向きに三棟直列に建ち、第四殿が第三殿の南側に並立するという特異な構成になる。本殿群の西側に反橋の架かる表参道を伸ばし、南側に東西楽所や石舞台などからなる一郭を構え、東背後に高蔵および摂末社を配し、北側には摂社大海神社を祀る。また本殿域と大海神社の間は、明治初頭まで神宮寺の境内地であった。 このうち、本殿四棟は昭和二八年一一月一四日付で国宝に指定され、摂社大海神社本殿は同三九年五月二六日付で、南門、東西楽所、石舞台は四九年五月二一日付で重要文化財に指定された。また南北の高蔵と末社招魂社本殿は、平成一一年二月五日付で大阪府指定有形文化財に指定された。また神宮寺に建てられていた西塔は、明治維新後に徳島県の切幡寺に売却、移築され、現在切幡寺大塔として重要文化財に指定されている。 本殿は四棟ともほぼ同型同寸の住吉造、檜皮葺の社殿で、各本殿の前面に渡殿を介して幣殿を付属する。各幣殿及び渡殿は、本殿ともに享和二年(一八〇二)焼失後の文化七年(一八一〇)再建にかかるものであるが、第一殿の幣殿は中世には存在していたとみられ、他の三殿の幣殿は慶長度造替以後に設けられたとみられる。 第一殿の幣殿は、桁行五間、梁間二間、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺で、甍棟を積む。平面は割拝殿形式で、正面中央間を拭板敷の馬道とし、左右に二間四方の部屋を配する。両室の三面に切目縁を廻らし、背面に脇障子を建てる。 軸部は、角柱を長押で固め、舟肘木で桁、梁を受け、豕扠首で棟木を受ける。柱間装置は、正面中央に格子戸を開き、両脇は半蔀を吊り、両側面に板戸と舞良戸を建てる。天井は、中央間を化粧屋根裏として左右室に棹縁天井を張り、軒は二軒疎垂木である。 渡殿は「間ノ廊下」とも呼ばれ、桁行二間、梁間一間、両下造、檜皮葺で、幣殿の馬道を伸ばして廊下とし、中間に角柱の鳥居を建てる。 第二殿・第三殿・第四殿の幣殿は、桁行三間、梁間二間、切妻造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺で、甍棟を積む。幣殿の左右室が狭くなるほかは、渡殿も含めて第一殿と同様の構成になる。 摂社大海神社の幣殿及び渡殿は、本殿の宝永五年(一七〇八)の造替時に、本社に倣って新たに設けられた建物とみられる。 幣殿は桁行三間、梁間二間、切妻造、檜皮葺で、甍棟を積む。平面構成は、本社第二殿以下の幣殿と同形式になるが若干小振りで、幣殿正面に千鳥破風や軒唐破風を付けない点が異なる。 摂社大海神社西門は、様式手法より江戸初期の建築とみられ、四脚門、切妻造、本瓦葺である。 軸部は、親柱は円柱、控柱は面取角柱として、腰を貫と長押、上部を冠木、貫、虹梁で固める。 組物は、柱上に三斗を置き、中備は、正背面は蟇股とし、棟通りは笈形付の間斗束を立て、妻虹梁上の板蟇股とともに棟木を受ける。 南高蔵と北高蔵は、慶長一二年(一六〇七)の造営になり、昭和四五年に境内地内で移築された。いずれも桁行三間、梁間二間、板倉、寄棟造、本瓦葺で、北高蔵がやや大きい。 内部は一室で、西面を出入口として板扉を吊り、木階五級を設ける。 軸部は円束上に台輪を組んで壁板を組上げ、上部の壁板や腕木を差し出して出桁を受ける。軒は一軒半繁垂木である。 末社招魂社本殿は、本社東背後にあった旧護摩堂で、鬼瓦銘により元和五年(一六一九)の建立とみられ、桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺で、正面に向拝一間を付ける。 内部は一室で、奥寄りに設けた壇上を内陣とし、天井は、中央を折上げた小組格天井を張る。 軸部は、円柱を貫と長押で固め、組物は三斗で、中備は中央間を蟇股、脇間を間斗束とする。 軒は二軒繁垂木で、妻飾は虹梁大瓶束として大瓶束を華やかな笈形で飾り、破風拝みに三つ花懸魚を吊る。 住吉大社の本社と摂社大海神社の幣殿及び渡殿は、中世から近世にかけて大社の礼拝施設が整えられた過程を伝える社殿として重要である。 また境内に残る唯一の仏教建築である末社招魂社本殿をはじめ、南高蔵、北高蔵、摂社大海神社西門の各建物は、いずれも桃山期から江戸初期の建立で保存も良好であり、近世における住吉大社の社頭構成を伝える遺構として、価値が高い。 【参考文献】 『住吉大社歴史的建造物調査報告書』(住吉大社奉賛会 二〇〇九年)
関連情報
附指定
住吉松葉大記
関連情報
附指定
附名称
:
住吉松葉大記
附員数
:
19冊