国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧外川家住宅(山梨県富士吉田市上吉田)
ふりがな
:
きゅうとがわけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
旧外川家住宅 主屋(中門よりみる)
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸後期
年代
:
明和5年
西暦
:
1768
構造及び形式等
:
桁行12.9メートル、梁間7.3メートル、切妻造、妻入、東面下屋附属、南北各面庇付、鉄板葺、式台 桁行1.5メートル、梁間3.7メートル、寄棟造、鉄板葺、勝手 桁行9.1メートル、梁間2.9メートル、切妻造、鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02572
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2011.06.20(平成23.06.20)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
山梨県
所在地
:
山梨県富士吉田市上吉田三丁目503番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧外川家住宅 主屋(中門よりみる)
解説文:
詳細解説
旧外川家住宅は、富士吉田市街に所在する富士山(ふじさん)御師(おし)の住宅である。街路から奥まった敷地に、主屋と離座敷が前後に並び建つ、富士山御師住宅の典型的な屋敷構えをもつ。
主屋は明和5年(1768)の建築で、年代の明らかなものとしては最も古い富士山御師住宅の遺構である。また江戸末期の建築とみられる離座敷は、中央部に神殿を備え、背面に上段の間をつくるなど、富士信仰の流行とともに発展した姿をよくとどめており、この点でも高い歴史的価値が認められる。
このほか中門や水路なども、特徴的な敷地割とともに良好に保存されており貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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旧外川家住宅 主屋(中門よりみる)
旧外川家住宅 主屋
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旧外川家住宅 主屋
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解説文
旧外川家住宅は、富士吉田市街に所在する富士山(ふじさん)御師(おし)の住宅である。街路から奥まった敷地に、主屋と離座敷が前後に並び建つ、富士山御師住宅の典型的な屋敷構えをもつ。 主屋は明和5年(1768)の建築で、年代の明らかなものとしては最も古い富士山御師住宅の遺構である。また江戸末期の建築とみられる離座敷は、中央部に神殿を備え、背面に上段の間をつくるなど、富士信仰の流行とともに発展した姿をよくとどめており、この点でも高い歴史的価値が認められる。 このほか中門や水路なども、特徴的な敷地割とともに良好に保存されており貴重である。
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詳細解説
旧外川家住宅(山梨県富士吉田市上吉田)三棟 主屋、離座敷、中門、土地 旧外川家住宅は、富士山北麓を富士山に向かってまっすぐ延びる富士道(現国道一三九号)沿いに拓かれた富士吉田市の旧市街に所在する。旧市街は山の手から上吉田と下吉田の二地区が並び、このうち上吉田は山の手から上・中・下の三宿に分かれる。旧外川家住宅は上吉田下宿の南端東側に敷地を構える。 上吉田は、富士信仰の神職である富士山御師が集住した町であり、御師の住宅は富士登山に訪れる参拝者の宿としても供された。外川家は塩屋を屋号とし、一七世紀後半に現在地に居を構えて以来、昭和三七年まで当地で御師を務めた。 敷地は、南北約一一メートル、東西約一一三メートルで、富士道に面する敷地前半の南側にタツミチと呼ばれる引込路をもつ旗竿形を呈する。屋敷地はタツミチの突当りに中門を開き、その北側に物置を建てて正面を限る。中門から前庭を挟んで主屋を建て、その背後に渡廊下を介して離座敷が接続し、離座敷の背面は裏庭とする。前庭をヤーナガワと呼ばれる手水(ちようず)を供する水路が南北に貫流し、また中門前のタツミチ脇に塚を築いて講社が寄進した石碑を並べ立てる。裏庭には屋敷神と屋敷墓を配する。 旧外川家住宅の土地・建物は、平成一六年一二月に建物が外川家より富士吉田市に寄贈され、平成一七年一一月に土地を富士吉田市が外川家から買い上げて公有化が図られた。平成一六年一一月一一日に主屋と離座敷が富士吉田市指定有形文化財(建造物)に指定された後、平成二〇年一月三〇日に主屋と離座敷、中門が山梨県指定有形文化財(建造物)に指定されている。 主屋は、明和五年(一七六八)の建築であることが小屋束に打ち付けられた祈祷札から知られる。正面北側に勝手を増築し、離座敷の建設に伴い背面に奥納戸と風呂を増築するなど明治二〇年までに適宜改造が加えられ、現在の姿に整えられた。桁行一二・九メートル、梁間七・三メートル、切妻造、鉄板葺、妻入の建物で、正面南半に寄棟造のゲンカン、正面北半に勝手を切妻造の角屋で出し、ゲンカンと勝手の間に日常の出入口であるナカノクチを開く。背面に下屋を附属し、広縁と奥納戸、風呂を設ける。平面は三部屋を二列に配し、ゲンカンから入る南半にゲンカンノヘヤ、ナカノマ、ザシキ、ナカノクチから入る北半にヒジロ、イマ、ナンドを並べ、両側面に半間の下屋を出して各部屋の棚や押入を設ける。小屋組は折置組を原則とし、二重梁を用いるなど古い形式を残す。 離座敷は江戸時代末期の建築とみられる切妻造、鉄板葺の建物で、主屋の背面に棟を揃えて建つ。桁行一五・五メートル、梁間八・二メートルの規模で、正背面に下屋を附属し、正面北側に渡廊下と便所を突出する。平面は、正面から一五畳のヒロマと一二畳のゴシンゼンの二部屋を並べて一間幅の広縁を鉤の手にまわし、その奥にジョウダンとゲダンからなる八畳二間の座敷を配し、それぞれ東側に四畳の広縁を設ける。北側面に各部屋の床や棚を設け、このうちゴシンゼンの棚には食(じき)行(ぎよう)身(み)禄(ろく)坐像と正面三間の神殿を配する。ジョウダンは他の部屋より床高を一段高くし、床脇の天袋や付書院を備えた座敷構えとする。 中門は江戸時代末期の建築とみられ、本柱間二・四メートル、切妻造、鉄板葺の一間薬医門で、両側面にそれぞれ袖塀一間が取り付き、北袖塀に潜戸を設ける。 物置は大正から昭和頃の建築とみられ、桁行三・六メートル、梁間一・八メートル、切妻造、鉄板葺の建物で、前庭に東面して建ち、南側面を中門の北袖塀と接続する。 旧外川家住宅は、宿泊や居住、祭祀といった御師住宅に求められる機能の充実を図りつつ、格式を整えていく過程を建物の平面形式や配置によくとどめており、富士信仰の興隆に伴い江戸時代後期に発展をみた御師住宅の典型を示すものとして価値が高い。主屋は、建築年代が明らかで当初部材も良好に残存し、富士信仰に係る御師住宅の中で最初期に遡る遺構として貴重である。また敷地には、御師住宅を特徴づける引込路や水路、富士講に由来する石碑や塚が敷地割とともに良好に残されており、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『富士山吉田口御師の住まいと暮らし―外川家住宅学術調査報告書―』(富士吉田市教育委員会 二〇〇八年) 『旧外川家住宅保存修理工事報告書』(富士吉田市教育委員会 二〇一〇年)
関連情報
附指定
扁額
物置
家作萬覚帳
家相図
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附名称
:
扁額
附員数
:
1枚
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:
物置
附員数
:
1棟
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:
家作萬覚帳
附員数
:
1冊
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附名称
:
家相図
附員数
:
1枚