国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
片倉館
ふりがな
:
かたくらかん
棟名
:
浴場
棟名ふりがな
:
よくじょう
片倉館 浴場
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近代/文化施設
時代
:
昭和
年代
:
昭和3年
西暦
:
1928
構造及び形式等
:
鉄筋コンクリート造、建築面積649.70平方メートル、2階建、地下1階、一部3階、切妻造、妻入、正面玄関及び八角塔屋附属、八角換気塔2所付、スレート葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02573
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2011.06.20(平成23.06.20)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
長野県
所在地
:
長野県諏訪市湖岸通り四丁目1番9号
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
片倉館 浴場
解説文:
詳細解説
片倉館は、諏訪湖周辺を本拠地として製糸業を営んだ片倉家が公共の福利厚生施設として建設した温泉施設で、昭和3年に竣工した。
森山松之助の設計で、浴場と会館は、急勾配の切妻屋根とタイル張の外壁とし、要所に尖塔をたてるなど変化に富んだ外観になる。
浴場の内部は、大浴室を中心にステインドグラスや彫像などで華やかに飾り、また会館の内部は150畳敷の大広間(おおひろま)を中心とした伝統的な和風のつくりとする。
片倉館の建築は、独創的な意匠をもち、内外装飾の密度も高く、近代におけるわが国建築家による洋風意匠の展開を示す建築のひとつとして重要である。また、実業家の手による最初期の公共の福利厚生施設として、高い歴史的価値を有している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
片倉館 浴場
片倉館 会館(左)及び浴場(右)
片倉館 浴場 大浴室
写真一覧
片倉館 浴場
写真一覧
片倉館 会館(左)及び浴場(右)
写真一覧
片倉館 浴場 大浴室
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
片倉館は、諏訪湖周辺を本拠地として製糸業を営んだ片倉家が公共の福利厚生施設として建設した温泉施設で、昭和3年に竣工した。 森山松之助の設計で、浴場と会館は、急勾配の切妻屋根とタイル張の外壁とし、要所に尖塔をたてるなど変化に富んだ外観になる。 浴場の内部は、大浴室を中心にステインドグラスや彫像などで華やかに飾り、また会館の内部は150畳敷の大広間(おおひろま)を中心とした伝統的な和風のつくりとする。 片倉館の建築は、独創的な意匠をもち、内外装飾の密度も高く、近代におけるわが国建築家による洋風意匠の展開を示す建築のひとつとして重要である。また、実業家の手による最初期の公共の福利厚生施設として、高い歴史的価値を有している。
詳細解説▶
詳細解説
片倉館 三棟 浴場、会館、渡廊下 片倉館は、JR上諏訪駅の西約三〇〇メートル、諏訪湖東岸に広がる温泉街の中心部に位置する。諏訪湖周辺を本拠地として絹糸の製造を行った片倉製糸紡績株式会社の創立五〇周年記念事業として、創業家である片倉家が私財を投じて建設したもので、昭和二年一月に起工、翌三年一○月二八日に竣工式を行い、同年一一月三日に開館した。 片倉館の設立は、片倉製糸紡績株式会社社長二代片倉兼太郎が、欧米諸国の視察旅行で訪れた温泉保養施設から着想を得て一族に提案し、自社社員のみならず地域住民にも開かれた公共の厚生施設として計画された。設計は森山松之助、施工は地元の建設業者が担当し、本体工事を小口工業株式会社、庭園工事を竹柏園が請け負った。森山は、明治三〇年に帝国大学工科大学造家学科を卒業、明治三九年から大正一〇年まで台湾総督府営繕課の技師を務めた後、東京に建築設計事務所を開設し、旧久邇宮邸(大正一三年)、両国公会堂(大正一五年)などの設計を手がけた。 片倉館は、諏訪湖に西面して約三、〇〇〇坪の広大な敷地を構え、敷地中央の北側に浴場、南側に会館がそれぞれ東面して並び建ち、二棟を渡廊下で接続する。湖畔の葦原を埋め立てて敷地を造成し、格子状に打ち込んだ松杭の上にコンクリート基礎を打設する。敷地の東面と北面に石塁を築いて東面二箇所、北面一箇所に門を開き、正面に庭園を整備する。 片倉館の建物は、昭和六三年二月二二日に諏訪市指定有形文化財に指定されている。 浴場は、鉄筋コンクリート造、地上二階建一部三階、地下一階、建築面積六四九・七〇平方メートル、切妻造、スレート葺である。南東角部を隅切りして玄関を開き、続く玄関ホールに受付や便所、階段室などを置き、背面に脱衣所、洗面所、浴室を配して浴場とする。二階は大小の休憩所と厨房を配し、背面の浴室上に諏訪湖の見晴台を設ける。地階は機械室として諸々の機械を設備する他、シャワー室、低温室、高温室からなる蒸風呂を置き、浴場の脱衣室と接続する。 外部は、正面の隅切り部分を三階建とし、この北端に八角形平面の塔屋を建てて正面の立面構成に変化をつける。一方、背面は大屋根を一段低くして階段形の妻壁で飾り、この両端に八角形平面の浴室換気塔を左右対称に建てる。外壁はスクラッチタイル張で、腰壁を切石張、軒まわりと窓まわりをスタッコ塗とし、妻面の頂部や窓の上部など要所をスタッコ装飾で飾る。縦長窓を規則的に並べ、各窓の間を付柱風につくるなど垂直性を強調した意匠とする。小屋組は鉄骨トラスで、南北にドーマー窓を開き、大棟中央に幾何学的な意匠になる棟飾りを載せる。 内部は漆喰仕上げを基本として、玄関の腰壁を切石張、玄関ホールと階段室、二階各部屋の腰壁を羽目板張とする。浴室は、中央に縦七・六メートル、横四・〇メートル、深さ一・一メートルの堀込式の浴槽を設け、槽底に丸石を敷き込む。床と壁は高遠焼のタイル張とし、要所をタイル文様や透彫、ステインドグラス、彫像などで飾る。 会館は、木造、一部鉄筋コンクリート造、二階建、建築面積五七四・六八平方メートル、半切妻造、スレート葺である。東面中央に玄関車寄を突出し、北面東端に脇玄関、西端に階段室を張出し、東南隅に鉄筋コンクリート造の倉庫を組み込む。玄関車寄から続く玄関ホールに受付や階段室などを配し、背面に中廊下を矩折れに通して大小の客間を並べる。二階は、桁行七間半、梁間五間の大広間を中央に置き、その正面にステージと控室を備え、側背面に広縁をまわす。この他に洋間の客室を二部屋設ける。 外部は、浴場に準じた仕様とし、玄関を階段形の妻壁で飾り、また大屋根の半切妻破風の中央を切り欠いて反転曲線をもつ妻壁を立ち上げるなど、妻面を強調した意匠とする。小屋組は木造トラスで、南北にドーマー窓を開く。 内部は、玄関まわりを浴場と同様の仕上げとする他は、基本的に和風意匠でまとめる。客間は四組七部屋の大小の座敷があり、それぞれ格式に応じた座敷飾を備える。二階の大広間は一四三畳敷で格天井を張り、上手三間を折上格天井とする。広縁は畳敷とするが、壁と天井を漆喰仕上げ大壁とし、天井縁に繰形を付け、窓をペンキ塗仕上げの上下窓とするなど洋風意匠でまとめる。 渡廊下は、木造、折曲り延長二七・三メートル、両下造、スレート葺である。意匠、構造とも会館に準じた仕様とし、会館の中廊下から連なって鉤の手に延び、浴場の玄関ホールに接続する。西面に便所、北面中央に事務室、南面東端に地下室付の倉庫を設ける。 片倉館は、西洋の建築様式を咀嚼し、巧みに変形を加えた印象的な立面構成をもつとともに、内部の装飾の密度も高く、我が国建築家による、昭和初期における新しい洋風意匠の展開を示す優れた建築作品の一つとして重要である。また、浴室はもとより複数の客間や休憩所を備えた近代的な温泉施設であり、実業家が建設した最初期の公共の厚生施設として高い歴史的価値を有する。 【参考文献】 『長野県史 美術建築資料編』(長野県 一九九〇年) 『長野県の近代化遺産』(長野県教育委員会 二〇〇九年)
関連情報
附指定
石塁
噴水池
建築関係資料
関連情報
附指定
附名称
:
石塁
附員数
:
1所
関連情報
附指定
附名称
:
噴水池
附員数
:
1所
関連情報
附指定
附名称
:
建築関係資料
附員数
:
425点