国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧三井家下鴨別邸
ふりがな
:
きゅうみついけしもがもべってい
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
しゅおく
旧三井家下鴨別邸 主屋
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
明治
年代
:
明治13年
西暦
:
1880
構造及び形式等
:
木造、建築面積230.02平方メートル、3階建、入母屋造及び宝形造、北面及び東面塀付、桟瓦葺及び銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02574
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2011.06.20(平成23.06.20)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市左京区下鴨宮河町58番2
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
京都市
旧三井家下鴨別邸 主屋
解説文:
詳細解説
旧三井家下鴨別邸は、賀茂(かも)御祖神社の南側に所在する。大正14年に、明治13年建築の木屋(きや)町別邸の主屋を移築し、あわせて玄関棟を増築し完成した。
主屋は、三階に望楼をもつなど開放的なつくりで、簡素な意匠でまとめられている。また玄関棟は、和風意匠を基調としつつ椅子坐式の室内構成として天井を高くするなど、近代的な趣をもつ。茶室は、次の間に梅鉢型窓と円窓を開けるなど特徴ある意匠になる。
旧三井家下鴨別邸は、近代京都で最初期に建設された主屋を中心として、大正期までに整えられた大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されており、高い歴史的価値を有している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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旧三井家下鴨別邸 主屋
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旧三井家下鴨別邸 主屋
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解説文
旧三井家下鴨別邸は、賀茂(かも)御祖神社の南側に所在する。大正14年に、明治13年建築の木屋(きや)町別邸の主屋を移築し、あわせて玄関棟を増築し完成した。 主屋は、三階に望楼をもつなど開放的なつくりで、簡素な意匠でまとめられている。また玄関棟は、和風意匠を基調としつつ椅子坐式の室内構成として天井を高くするなど、近代的な趣をもつ。茶室は、次の間に梅鉢型窓と円窓を開けるなど特徴ある意匠になる。 旧三井家下鴨別邸は、近代京都で最初期に建設された主屋を中心として、大正期までに整えられた大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されており、高い歴史的価値を有している。
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詳細解説
旧三井家下鴨別邸(京都府京都市左京区)三棟 主屋、玄関棟、茶室、土地 旧三井家下鴨別邸は、下鴨神社の社叢・糺の森の南端、高野川と鴨川の合流地点の北岸に所在する。この地一帯は、明治三一年(一八九八)、三井家が購入し、同四二年、同家の祖霊社である顕名霊社を遷座した、三井家にとって格別意味のある土地であった。 旧三井家下鴨別邸は、大正一一年(一九二二)の本祖霊社造替ののち、その南方に、鴨川下流の木屋町別邸の主屋を移築し、これに増築を加えて、同一四年竣工した。戦後は、昭和二四年(一九四九)に国有化され、京都家庭裁判所の所長宿舎として使用された。 旧三井家下鴨別邸は、南庭を望むように、望楼を有する主屋を中心に、西に玄関棟、東に茶室を配する。 主屋は、明治一三年(一八八〇)木屋町三条の地に木屋町別邸として、鴨川に東面して建築されたもので、大正一四年(一九二五)現在の地に移築された。木造、建築面積二三〇・〇二平方メートル、三階建、入母屋造及び宝形造、桟瓦葺及び銅板葺である。 一階平面は、南庭に面して、八畳の主座敷と六畳の次の間を東西に並べ、両室の北側に四畳と三畳をそれぞれ配し、これらの室の周囲に縁を廻らす。三畳北の茶の間を挟んで北半は内向きの八畳、炊事場、便所等を配する。庭に面した八畳の主座敷東面縁の北東に接して、客用の洗面所、浴室及び便所と二階への階段を設ける。主座敷は、床・棚・書院を構え、次の間とともに棹縁天井を張る。庭に面する南面と西面の縁は化粧屋根裏とする。 二階は、南面して一四畳の座敷を構え、北側の東西両側に各三畳を配し、周囲に縁を廻らす。北東には、中三階への木製シャッターを有する⑺階段室を接続する。また、北に廊下を延ばし西半に内向きの四畳と八畳を南北に並べて配する。主室の一四畳は、床・棚を構え、棹縁天井を張る。庭に面する南面と西面の縁には、特徴ある手摺りを廻し、天井は化粧屋根裏とする。 中三階は、五畳の一室で、さらに矩折れに階段を上って三階の物見台へ通ずる。中三階の五畳は、西妻の屋根勾配に合わせて北面半間分に掛込天井を張り、西面に段違いの開口を穿つ。北面に押入、東面に中敷居付押入を備え、主人の書斎の様相を呈する。 物見台は、一間半四方で、四面にガラス戸を建て、雨戸を二段に腰壁内に納める。天井は合板を用いた格天井を張る。 外観は、鼠漆喰仕上とし、一、二階の南面、西面は眺望のため開け放つ。 軸部を檜材とし、内外とも簡素な意匠でまとめた主屋は、古写真によりほぼ木屋町別邸の姿のまま移されたことが判る。 玄関棟は、主屋西側に接続し、大正一四年(一九二五)に竣工した。木造、建築面積一〇五・八九平方メートル、入母屋造、西面車寄入母屋造、西南隅袖塀付、桟瓦葺である。 平面は、西面中央に車寄を構えた式台付の表玄関、その南北にそれぞれ広間、応接室を配し、背後に廊下を通し、主屋との間を中庭を挟んで南北二棟の廊下で繋ぐ。南側は主屋主座敷に繋がり、北側は主屋内玄関に接する。 軸部には、良質の米国産檜を用い、表玄関と応接室では内法長押、広間では内法長押と蟻壁長押で角柱を固め、開口にはガラス戸を建てる。広間は格天井、応接室は棹縁天井を張る。表玄関正面に舞良戸を建て、車寄の天井は格天井を張るなど書院風につくる。 外観は、真壁造の漆喰仕上とするが、建ちが高く、腰を竪羽目板張とし、鬼瓦には三井家の四ツ目紋をみせる。 内外とも和風の意匠を基調として主屋との調和をはかるが、天井高を高くとり、椅子坐式の構えとするなど洋風の要素を取入れた近代的な趣をもつ。 茶室は、建築年代は詳らかではないが、主屋の現在地への移築前にこの地にあった建物で、木造、建築面積三五・五九平方メートル、入母屋造、桟瓦葺及び銅板葺で、西南の渡廊下を介して、やや軸を振って主屋と繋ぐ。 平面は、南庭に面して三畳次の間付きの四畳半、その北側に一畳台目の小間、一畳大の水屋を並べ、北方に便所を延ばす。 四畳半は、北面の床構えを踏込床のみとする簡素なつくりとしながら、三畳次の間は、北面に梅鉢形窓、対面に丸窓を穿つ奇想の構成になる。一畳台目小間は、北面に躙口を開き、大節の床板、皮付きの赤松を床柱とする。西面廊下を化粧屋根裏とするほかは、各室に棹縁天井を張る。茶室周囲の軒下には、黒石を敷き並べ沓脱石を配る。 敷地内には、門柱、築地塀風に仕上げた煉瓦塀及び石積、ひょうたん形の池、滝口、石橋、石灯籠などが保存されている。 旧三井家下鴨別邸は、望楼が特徴的な主屋をはじめ、和洋の各要素をもつ接客空間や独創的な意匠の茶室からなり、近代京都における貴顕(きけん)の別邸建築を知ることのできるものとして、貴重である。建築年代が明治初期に遡る主屋は、これらの中で最古に属するものであり、歴史的に価値が高い。主屋からの眺望を意識した南庭には、池、石橋などの工作物も良く残り、鴨川の周辺環境に馴染んだ良好な風致を創出しており、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『三井八郎右衛門高棟伝』(三井八郎右衛門高棟傳編纂委員会 一九八八年) 『京都府近代和風建築総合調査報告書』(京都府教育委員会 二〇〇九年)