国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
柞原八幡宮
ふりがな
:
ゆすはらはちまんぐう
棟名
:
本殿
棟名ふりがな
:
ほんでん
柞原八幡宮 本殿
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
江戸後期
年代
:
嘉永3年
西暦
:
1850
構造及び形式等
:
後殿及び前殿(1棟)
後殿 桁行5間、梁間2間、切妻造、銅板葺
前殿 桁行5間、梁間2間、切妻造、向拝1間、銅板葺
造合及び花堂を含む
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02576
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2011.06.20(平成23.06.20)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
大分県
所在地
:
大分県大分市大字八幡
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
柞原八幡宮 本殿
解説文:
詳細解説
柞原八幡宮は大分市西部に所在し、寛延2年(1749)の火災後に、社殿が順次再興された。
本殿は桁行(けたゆき)五間の後殿と前殿からなる八幡造形式の社殿で、嘉永3年(1850)に上棟した。内部は内陣と外陣からなり、外部は彩色(さいしき)などで荘厳している。また本殿の周囲には、楼門や申殿、宝殿などが、特徴的な配置で建ち並んでいる。
柞原八幡宮の本殿は、類例の少ない八幡造本殿であるとともに、楼門や申殿を軸線上に並べるなど、宇佐神宮を範とした独特の本殿形式と社殿配置をもつ。また本殿は、縁に「花堂」と呼ばれる小建築を設け、楼門は下層に軒唐破風付の庇を付すなど特異な形式で、顕著な地方的特色を示している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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柞原八幡宮 本殿
柞原八幡宮本殿
柞原八幡宮本殿
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柞原八幡宮本殿
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柞原八幡宮本殿
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解説文
柞原八幡宮は大分市西部に所在し、寛延2年(1749)の火災後に、社殿が順次再興された。 本殿は桁行(けたゆき)五間の後殿と前殿からなる八幡造形式の社殿で、嘉永3年(1850)に上棟した。内部は内陣と外陣からなり、外部は彩色(さいしき)などで荘厳している。また本殿の周囲には、楼門や申殿、宝殿などが、特徴的な配置で建ち並んでいる。 柞原八幡宮の本殿は、類例の少ない八幡造本殿であるとともに、楼門や申殿を軸線上に並べるなど、宇佐神宮を範とした独特の本殿形式と社殿配置をもつ。また本殿は、縁に「花堂」と呼ばれる小建築を設け、楼門は下層に軒唐破風付の庇を付すなど特異な形式で、顕著な地方的特色を示している。
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詳細解説
柞原八幡宮 一〇棟 本殿、申殿、拝殿、楼門、東宝殿、西宝殿、東回廊、西回廊、西門、南大門 柞原八幡宮は大分市の西部、高崎山から南東に派生する尾根上に鎮座し、天長七年(八三〇)の創建と伝える。中世には豊後国守護大友氏の、近世には府内藩の庇護を受けて栄えたが、寛延二年(一七四九)の火災により社殿を焼失し、現在の社殿はそれ以後の再建になる。 南面する境内の最上部に中心社殿を構え、本殿の前方に、申殿、拝殿、楼門を配し、本殿の東西に宝殿を祀る。また申殿北面から東西に瑞垣を廻らして本殿域を画し、瑞垣の東西宝殿前面に棟門を開く。楼門は石垣上に建ち、東西に回廊をのばして中心社殿を囲み、西回廊西端の授与所北側に西門を構える。本殿西側の瑞垣内には八王子社と宝蔵を、本殿域の東側には権殿などを配置し、楼門南側の参道中段に、南大門を建てる。これら本殿をはじめとする主要な社殿は、平成二二年三月三〇日付で大分県指定有形文化財となった。 本殿は嘉永三年(一八五〇)に上棟され、大工棟梁は矢野治郎右衛門、引頭を利光房右衛門が務めたことが墨書などによりわかる。後殿と前殿からなる八幡造で、両殿の間を造合とし、後殿は桁行五間、梁間二間、切妻造、前殿は桁行五間、梁間二間、切妻造、向拝一間で、全体を銅板葺とする。また三方に縁を廻らし、西縁後端部に「花堂」を付す。 内部は、後殿を内陣として五室に仕切り、中央間と両端間を御神座、御神座に挟まれた二室を祭器庫とする。前殿と造合境は床高を揃えて一室の外陣とし、内陣より地長押分床を下げる。前殿は内部の柱四本を前方に寄せて室内を広く取り、前端間の床を一段低める。 軸部は円柱を長押と頭貫で固め、三斗組で梁と桁を受け、前殿正面の中備を蟇股とする。造合は後殿前面柱と前殿背面柱の上部を貫で繋ぎ、両端間の貫と蟇股で支持する木樋を両側面に突出させて「鯉の瀧登り」を彫刻した竪樋に繋ぐ。 軒は、前殿正面は二軒繁垂木、後殿背面と造合は一軒繁垂木とし、妻は前殿・後殿とも虹梁大瓶束とする。天井は、内陣の御神座と外陣前端間を小組格天井とし、外殿後半は格天井、造合を化粧屋根裏とする。 柱間装置は、前殿正面に蔀を吊り、後殿正面と前殿両側面前端間に板唐戸を建て、他を板壁とする。 外観は、軸部や縁、板唐戸は朱塗、壁は胡粉塗を基本として蔀を黒漆塗とし、内法長押から上部の組物や妻飾などを極彩色で飾る。内部は格天井を漆塗とするほかは素木である。 西縁の「花堂」は、桁行一間、梁間一間、切妻造、銅板葺である。四周に縁を廻らし腰組を二手先とし、軸部は角柱に三斗を載せ、正面を開放して輪垂木形の虹梁を架ける。軒は一軒繁垂木で、妻飾は虹梁蟇股とし、破風に懸魚を吊る。 このように本殿側面縁の後方に小建築を付加する例としては、大分県南部に四件、宮崎県北部に三件確認されており、このうち高千穂神社本殿が重要文化財に指定されている。 申殿は宝暦二年(一七五二)頃の建立とみられ、府中大工町の高山弥平治らが造営にあたった。桁行三間、梁間一間、切妻造段違、銅板葺で、正側面に縁を廻らす。 円柱を長押で固め、外部三斗、内部出組とし、柱間装置は、正面を吹放し、本殿側を格子引違とし、両側面に舞良戸を建てる。内部は拭板敷で格天井を張り、側面小壁に武内社を祀る。妻飾は二重虹梁大瓶束で、大虹梁上に板蟇股を置き、軒は二軒繁垂木である。 拝殿は楼門と同じ頃の建築とみられ、桁行二間、梁間一間、切妻造、銅板葺である。内部は楼門と床を揃え、申殿側に木階五級を設ける。軸部は円柱上に三斗を置き、天井は化粧屋根裏とする。妻飾は虹梁上に束・梁を組み、軒は二軒疎垂木である。 楼門は棟札などにより宝暦九年の上棟、翌一〇年の完成とわかる。三間一戸楼門、入母屋造で、下層南面及び両側面前方に庇を付け、正面軒唐破風付で、全体を銅板葺とする。大工は矢野重定、引頭は利光重房である。 下層平面は、前面を四半石敷とし、両脇間に床を張って随身像を祀り、背面側は東西回廊と一連の拭板敷の床を張る。上層は板敷で、周囲に縁を廻らし禅宗様高欄を設ける。 軸部は、円柱を貫で固めるが、背面側には柱を立てず、棟通柱から拝殿正面柱に渡した虹梁上に大瓶束を立てて上層を支持する。組物は、下層は二手先、上層は禅宗様三手先の詰組とし、肘木や尾垂木尻を柱に鼻栓差として固める。上層軒は二軒繁垂木で、妻飾は虹梁大瓶束である。下層は、正面側に付けた庇の中央に軒唐破風を付ける独特な形式とする。 東宝殿及び西宝殿は、宝暦七年の建立で、ともに桁行三間、梁間一間、切妻造、向拝一間、銅板葺で、正側面に廻らす縁の背面柱筋に脇障子を建てる。 内部は方立と長押で前後に二分し、後方を内陣とする。妻飾は虹梁大瓶束で、軒は正面二軒繁垂木、背面は一軒繁垂木である。 東回廊及び西回廊は寛政一〇年(一七九八)の建築とみられ、東回廊は、桁行八間、梁間二間、切妻造、桟瓦葺である。 軸部は、円柱を貫や梁で繋ぎ、正面柱間に高欄を設け、軒は一軒疎垂木である。 西回廊は桁行五間、梁間二間、両下造、桟瓦葺で、軸部構成は東回廊と同様とする。 西門は江戸末期の建築とみられ、四脚門、切妻造、銅板葺である。本柱を円柱、控柱を几帳面取角柱として、腰長押、頭貫、冠木で固める。三斗上に虹梁を架けて両妻及び棟通中央の蟇股で棟木を受ける。軒は二軒繁垂木で、妻に鰭付懸魚を吊る。 南大門は、棟札により明治三年の建築で、四脚門の前後に突出部、左右に脇門を付す。屋根は入母屋造で、前後の突出部は唐破風造、脇門は切妻造で、総銅板葺である。大工は矢野重祥、引頭を利光重照が務めた。 石製礎盤に立てた円柱を長押・頭貫で固め、台輪上に禅宗様三手先詰組を載せ、内部は出組で鏡天井を張り、中央間に桟唐戸を吊る。軒は二軒扇垂木で、妻飾は、三斗で支持した虹梁上に「波に鶴」の彫刻を飾り、破風に鰭付懸魚を吊る。 南北の突出部は、円柱を長押と貫で固めて三斗を受け、天井は折上小組格天井を張る。正背面に虹梁と頭貫を三段に架け、上段虹梁上の鳳凰彫刻で唐破風の化粧棟木を受ける。東西脇門も円柱を長押と貫で固め、棟通りに冠木を渡し、組物三斗とする。門口は開放で、軒は一軒疎垂木である。 要所を、彫刻化した蟇股や花鳥などの透彫彫刻で飾り、また各柱間には二十四孝や日本武尊の彫刻を嵌めるなど、建物全体を濃厚な彫刻で飾る。 宝蔵は、江戸後期頃の建築とみられ、桁行六・〇メートル、梁間四・〇メートル、土蔵造、二階建、切妻造、置屋根式の桟瓦葺である。内部は上下階とも一室で、下階北側に物入をつくる。また八王子社は明和七年(一七七〇)の建立で、一間社流造、銅板葺である。これらの宝蔵と八王子社を附指定とする。 柞原八幡宮の本殿は類例の希少な八幡造本殿であるとともに、楼門や申殿を軸線上に並べるなど宇佐神宮を範とした独特の社殿構成をもつ。また、本殿は縁に花堂を設け、楼門は下層に軒唐破風付の庇を付すなど特異な形式をもつ社殿によって構成されており、顕著な地方的特色を示している。 これらの社殿は、いずれも寛延火災後の再興において府内藩を中心に多数の社寺建築を手がけた大工により造営されたものであり、九州地方の江戸後期以降における神社建築の展開を理解するうえで重要である。 【参考文献】 『柞原八幡宮建造物調査報告書』(柞原八幡宮 二〇一〇年)
関連情報
附指定
宝蔵
八王子社
絵図面
棟札
関連情報
附指定
附名称
:
宝蔵
附員数
:
1棟
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附指定
附名称
:
八王子社
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
絵図面
附員数
:
4枚
関連情報
附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
1枚