国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
八幡宮
ふりがな
:
はちまんぐう
棟名
:
本殿
棟名ふりがな
:
ほんでん
八幡宮 本殿
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
室町後期
年代
:
永禄11年
西暦
:
1568
構造及び形式等
:
三間社流造、向拝一間、向唐破風造、こけら葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02578
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2011.11.29(平成23.11.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
島根県
所在地
:
島根県鹿足郡津和野町鷲原
保管施設の名称
:
所有者名
:
宗教法人八幡宮
所有者種別
:
神社
管理団体・管理責任者名
:
八幡宮 本殿
解説文:
詳細解説
八幡宮は、津和野城跡の南西麓に鎮座する神社で、鷲原八幡宮とも呼ばれる。現在の社殿は、16世紀中頃に再建された社殿を基本として、18世紀初頭に手が加えられたものである。
社殿の構成は、本殿、拝殿、楼門を一直線上に並べ、拝殿と楼門の間に池を設けて橋を架ける。本殿と楼門は、室町時代の永禄11年(1568)の建築で、細部の様式や技法に室町時代後期の特徴をよく示す。拝殿は、江戸時代の正徳元年の建築で、南面に楼門から渡る潔斎橋を付属する。
八幡宮は、本殿と楼門が永禄年間まで遡る数少ない社殿であるとともに、社殿の構成や翼廊をもつ楼門の形式に顕著な地方的特徴を有しており、中国地方西部における神社建築の展開を理解する上で重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
八幡宮 本殿
八幡宮 本殿 南西より
八幡宮 本殿 内観
写真一覧
八幡宮 本殿
写真一覧
八幡宮 本殿 南西より
写真一覧
八幡宮 本殿 内観
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
八幡宮は、津和野城跡の南西麓に鎮座する神社で、鷲原八幡宮とも呼ばれる。現在の社殿は、16世紀中頃に再建された社殿を基本として、18世紀初頭に手が加えられたものである。 社殿の構成は、本殿、拝殿、楼門を一直線上に並べ、拝殿と楼門の間に池を設けて橋を架ける。本殿と楼門は、室町時代の永禄11年(1568)の建築で、細部の様式や技法に室町時代後期の特徴をよく示す。拝殿は、江戸時代の正徳元年の建築で、南面に楼門から渡る潔斎橋を付属する。 八幡宮は、本殿と楼門が永禄年間まで遡る数少ない社殿であるとともに、社殿の構成や翼廊をもつ楼門の形式に顕著な地方的特徴を有しており、中国地方西部における神社建築の展開を理解する上で重要である。
詳細解説▶
詳細解説
八幡宮 三棟 本殿、拝殿、楼門 八幡宮は、津和野町の南部、津和野城跡の南西麓に所在する。嘉慶元年(一三八七)に石見国地頭職吉見頼直により鶴岡八幡宮から勧請され、応永十二年(一四〇五)に現在地へ遷座したと伝えられる。古くより鷲原八幡宮とも称し、現在の社殿は、天文二十三年(一五五四)の陶晴賢による津和野城攻めによる焼失後、永禄十一年(一五六八)に吉見正頼により再建されたもので、正徳元年(一七一一)に津和野城主の亀井茲親により、拝殿が建てられるなど大規模な改修が行われた。 境内は南面し、本殿、拝殿、楼門が一直線上に建ち並ぶ構成で、拝殿と楼門の間には方形の池を設けて潔斎橋を架ける。本殿は石垣上に建ち、拝殿との間を石階で繋ぐ。 八幡宮の建物のうち、本殿と楼門が昭和四十七年三月三十一日付で島根県指定有形文化財となっている。また、境内南側の全長二五〇メートルの流鏑馬馬場は昭和四十一年五月三一日付で島根県指定史跡となっている(同四七年七月二八日付で境内地を追加指定)。 本殿は、永禄十一年の建立で、三間社流造、向唐破風造の向拝一間が付き、木部を赤色に塗り、屋根をこけら葺とする。身舎を内陣とし、庇は周囲を間仕切り外陣とする。正側面に刎高欄付の切目縁を廻し、背面柱筋に脇障子を建てる。向拝に登高欄付の木階と浜縁を設ける。軒は、二軒繁垂木で、正面では打越垂木を入れ、地垂木とともに反り増しをつける。妻飾は豕叉首で、猪の目懸魚を吊る。 身舎は、丸柱を貫と長押で固め、組物を三斗組とする。中備は中央間を鳩の彫刻、両脇間を蟇股とする。内部は一室で、床を板敷とし、棹縁天井を張る。柱間装置は、身舎と庇境の各間に板扉を吊り、他は板壁とする。 庇は、柱を面取の角柱とし、正面中央間は身舎より柱間を広くする。組物は出三斗で、正面両端は連三斗とする。身舎とは、両端柱は虹梁で繋ぎ、中央二本の柱上には手挟を飾る。肘木、桁、打越垂木、飛檐垂木は面を取る。床は板敷、天井は化粧屋根裏とし、柱間装置は、正面中央間を両折格子戸とする他は蔀とする。 向拝は、角柱を立て、頭貫を用いず四方に木鼻を飾り、柱上に三斗組を組み、水引虹梁、菖蒲桁を組み合わせ、水引虹梁上に蟇股を置き菖蒲棟を受ける。庇柱とは海老虹梁で繋ぐ。破風尻に絵様を彫り、輪宝紋の兎毛通しを飾る。 拝殿は、正徳元年の建立で、桁行三間、梁間二間、入母屋造、鉄板葺であり、南側に潔斎橋を附属し、東側に神饌所を接して建てる。拝殿、潔斎橋、神饌所とも木部を赤色に塗る。土台を廻して角柱を立て、貫と長押で固め、桁を受ける。背面中央間は、虹梁を一段高く架け天井を受ける。内部は、畳敷の一室とし、棹縁天井を張る。柱間装置は、正面中央間と東面北半間は格子戸、背面は中央間を開放とし、他は格子窓とする。軒は、一軒疎垂木で、妻飾は大斗肘木で虹梁を受け、さらに大斗肘木を置き、化粧棟木を受ける。破風は猪の目懸魚を吊る。 潔斎橋は、擬宝珠高欄付の太鼓橋で、拝殿と楼門の間に両下造の屋根を架ける。神饌所は、桁行二間、梁間二間、切妻造、鉄板葺である。 楼門は、本殿と同じ永禄十一年頃の建築とみられ、一間一戸楼門、入母屋造、茅葺で、正面に檜皮葺の向拝一間を付け、左右に桁行二間、梁間二間、切妻造、こけら葺の翼廊を延ばす。楼門、翼廊とも木部を赤色に塗る。下層は、土間で開放とし、軸部は丸柱を貫で固める。組物は出三斗とし、内側では、巻斗上に通肘木を格子状に組み、各間に組入天井を受け、外側では通肘木を張出し縁を受ける。向拝は、木製礎盤上に立てた丸柱を冠木状の材で繋ぐ。組物は、出三斗とし、中備は蟇股とする。軒は二軒繁垂木とし、本屋柱側は挿肘木に巻斗と実肘木で垂木掛を受け、向拝柱では手挟を飾る。 上層は、桁行三間、梁間二間で板敷とし、周囲に刎高欄付の榑縁を廻す。軸部は、縁板上に井桁に組まれた柱盤上に丸柱を立て、長押と貫で固める。内部には柱を立てない。組物は、木鼻付出組とする。柱間装置は、中央間は正背面とも板唐戸を吊り、両脇間は横連子窓、両側面は二間とも竪連子窓とする。軒は、二軒繁垂木で、妻飾は竪板張りとし、梅鉢懸魚を吊る。 左右翼廊は、同じ平面、構造形式とする。軸部は、丸柱を貫で固め、組物は舟肘木とする。中備は蟇股とする。平面は門境を開放するが、側柱筋は正面二間を格子窓⒁、妻面及び背面を板壁とし、内部を梁行に格子戸で二室に仕切る。床は板敷で、天井は化粧屋根裏とし、奥の室の随神像は門に向かって対向して安置する。軒は一軒半繁垂木、妻飾は豕叉首で、梅鉢懸魚を吊る。楼門は、翼廊をもつ形式で、山口市周辺に分布する形式に通ずるが、翼廊の側面を板壁とし、随神像を祀るなど特異な形式を示す。 八幡宮は、本殿と楼門が建築年代の明らかな永禄年間まで遡る数少ない神社建築の遺構として貴重であり、細部意匠に室町時代後期の時代的特徴をよく現しており価値が高い。また、社殿構成や翼廊をもつ楼門の形式に顕著な地方的特徴を有しており、中国地方西部における神社建築の展開を理解するうえで重要である。 【参考文献】 『鷲原八幡宮総合調査事業報告書』(津和野町教育委員会 二〇一一年)