国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
萬翠荘(旧久松家別邸)
ふりがな
:
ばんすいそう
棟名
:
本館
棟名ふりがな
:
ほんかん
萬翠荘 本館
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
大正
年代
:
大正11年
西暦
:
1922
構造及び形式等
:
鉄筋コンクリート造、建築面積397.76㎡、2階建、地下1階、寄棟造、東南隅尖塔・西北隅附属屋付、南面車寄附属、スレート葺及び銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02580
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2011.11.29(平成23.11.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
愛媛県
所在地
:
愛媛県松山市一番町三丁目19番地1号
保管施設の名称
:
所有者名
:
愛媛県
所有者種別
:
都道府県
管理団体・管理責任者名
:
萬翠荘 本館
解説文:
詳細解説
萬翠荘は、旧松山藩主の久松家が大正11年に建設したもので、松山城山の南麓に所在し、中腹に本館、平地に面した敷地南面に管理人舎を正門に隣接して建てる。萬翠荘の設計は、建築家の木子七郎が行い、木彫家の相原雲楽や洋画家の八木彩霞、装飾硝子作家の木内真太郎など、当時各分野で活躍していた芸術家の参加を得て建設された。
本館は、マンサード屋根や連続アーチのバルコニーを持つ外観から、内部の装飾まで、フランス・ルネサンス様式を基調とした意匠が用いられ、各部屋の使用方法も含めて一貫した西洋式で計画されたことで、高い統一性をもつ意匠に結実している。
萬翠荘は、本格的なフランス・ルネサンス様式の意匠をもつ様式建築であり、日本人建築家の素養を示す優れた意匠の建築作品の一つとして、高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
萬翠荘 本館
萬翠荘 本館 内観
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萬翠荘 本館
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萬翠荘 本館 内観
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解説文
萬翠荘は、旧松山藩主の久松家が大正11年に建設したもので、松山城山の南麓に所在し、中腹に本館、平地に面した敷地南面に管理人舎を正門に隣接して建てる。萬翠荘の設計は、建築家の木子七郎が行い、木彫家の相原雲楽や洋画家の八木彩霞、装飾硝子作家の木内真太郎など、当時各分野で活躍していた芸術家の参加を得て建設された。 本館は、マンサード屋根や連続アーチのバルコニーを持つ外観から、内部の装飾まで、フランス・ルネサンス様式を基調とした意匠が用いられ、各部屋の使用方法も含めて一貫した西洋式で計画されたことで、高い統一性をもつ意匠に結実している。 萬翠荘は、本格的なフランス・ルネサンス様式の意匠をもつ様式建築であり、日本人建築家の素養を示す優れた意匠の建築作品の一つとして、高い価値が認められる。
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詳細解説
萬翠荘(旧久松家別荘) 二棟 本館、管理人舎 萬翠荘は、松山市の中心部、松山城山の南麓に所在する。当地は江戸時代まで松山藩家老の屋敷地⑵だったところで、明治時代初頭に民間の宅地に転用された後、明治三十年頃に旧松山藩主久松家⑷が別邸の用地として取得した。現在の本館と管理人舎は、大正十年に着工、同十一年十一月に竣工した。建設時の当主は久松定謨で、木子七郎の設計により、内装彫刻に木彫家の相原雲楽、装飾画に洋画家の八木彩霞、ステインドグラスに装飾硝子作家の木内真太郎の参加を得た。 木子七郎(一八八四~一九五四)は、東京出身、宮内省内匠寮技師木子清敬の四男。東京帝国大学建築学科卒業後、明治四十四年から大林組に設計部技師として勤務した後、大正二年に大阪に木子七郎建築事務所を開設し、民間の建築家として活躍した。独立後の主な建築作品として、琴ノ浦温山荘(大正四年、重要文化財)、内藤多仲博士記念館(大正十五年)、愛媛県庁舎(昭和四年)などがある。 敷地は平地から急に立ち上がる傾斜地で、山裾の敷地南辺の東寄りに正門を開く。正門の内側に隣接して門番所にあたる管理人舎を建て、中腹に平地を造成して本館を南面して建てる。正門と本館の間は大きくS字に蛇行する導入路で接続する。萬翠荘の名は、緑豊かな山腹に佇む本館の姿から、昭和十八年に家督を相続した久松定武(さだたけ)が命名したものである。 萬翠荘の土地と建物は、昭和二十九年三月に愛媛県が取得し(土地の一部は未取得)、同六十年二月十五日付で本館が愛媛県指定文化財となっている。 本館は、鉄筋コンクリート造、地上二階建、地下一階、建築面積三九七・七六平方メートル、寄棟造、スレート葺及び銅板葺である。正面中央の玄関を突出して寄棟屋根を立ち上げ、正面東端を張出して尖塔を立てて、左右対称の正面の立面構成に変化をつける。一方、背面は、西端部を張出して階段室を設け、その北側に平屋建の付属屋を接続する。玄関から続く中央部に広間と表階段を配し、一階は、東側をサロンと食堂からなる居室空間、西側を執事室と料理場、配膳室の各部屋からなる家政空間にあて、西北隅に内玄関を西面して開く。地階は調理室として一階の配膳室と広間に接続し、付属屋には浴室と便所を設ける。二階は、東側に加えて正面の南側を居室空間にあて、中央部の玄関上に居間、その周辺に夫人室と書斎、寝室の各部屋を配し、西北部分を侍女居室と物置ほかの小部屋からなる家政空間にあてる。 外部は、マンサード屋根、二階バルコニーの三連アーチなど、フランスルネサンス様式を基調とした西洋建築様式でまとめられる。外壁はタイル張で、基礎部分を花崗岩の張石、腰壁を切石積状に目地を切ったモルタル洗出し仕上げとする。バルコニー、玄関ポーチ、窓廻りはモルタル洗出し仕上げとし、一、二階の境に蛇腹を廻す。軒廻りは、コンソールとデンティルを用いて飾る。小屋組は鉄骨造トラスとし、各面にドーマー窓を開く。 内部は、天井を漆喰塗、居室の壁をクロス張、居室以外の壁を漆喰塗で仕上げ、腰壁を木製として装飾的に仕上げる。居室空間の各部屋の天井には中心飾りをつくり出し、外周にモールディングを廻す。窓は全て縦長の上下窓とし、表階段の踊り場にアーチ形の大窓を設けて帆船をモチーフとしたステインドグラスを嵌め、各部屋の出入口の欄間をアールヌーボー風意匠のステインドグラスで飾る。 各部屋の中でも一階東側のサロンと食堂は特に凝った意匠をもつ。サロンは、北面中央に大理石製のマントルピースを備え、腰壁と柱形を木製として白ペンキ塗の上から金の彩色を施す。壁は木製額縁付のクロス張とし、食堂との間の出入口の欄間には壁画を描く。食堂は、南面中央に大理石製のマントルピースを備え、内法高までの壁と柱形、天井を木製として濃い色付けのニス塗仕上げとし、小壁を漆喰塗、床を寄木張とする。 管理人舎は、木造平屋建、建築面積四三・九一平方メートル、寄棟造、スレート葺で、東面南端を張出し、半円アーチ形の出入口を開く。外部は大壁のモルタル洗出し仕上げ及びタイル張仕上げで、基礎部分を花崗岩の張石、小屋組を木造のキングポストトラスとする。内部には三畳と六畳の座敷を設け、壁を真壁の漆喰塗仕上げ、床を畳敷、天井を棹縁天井とする。 萬翠荘は、本格的なフランスルネサンス様式を用いた密度の濃い意匠に加え、使用方法まで一貫して西洋式で計画された近代の住宅建築である。大正期の日本人建築家の素養を示す優れた意匠になる建築作品の一つであるとともに、わが国における洋風住宅の受容と広がりを示すものとして重要である。 【参考文献】 『萬翠荘調査報告書』(愛媛県教育委員会 二〇一〇年)