国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
出津教会堂
ふりがな
:
しつきょうかいどう
棟名
:
棟名ふりがな
:
出津教会堂
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員数
:
1棟
種別
:
近代/宗教
時代
:
明治
年代
:
明治15年
西暦
:
1882
構造及び形式等
:
三廊式教会堂、煉瓦造及び木造、建築面積395.46㎡、切妻造、正面背面塔屋及び左右側面出入口付、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02581
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2011.11.29(平成23.11.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
長崎県
所在地
:
長崎県長崎市西出津町2602番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
カトリック長崎大司教区
所有者種別
:
その他
管理団体・管理責任者名
:
出津教会堂
解説文:
詳細解説
出津教会堂は、長崎市北西部の西彼杵半島の西岸に所在する。現在の教会堂は、フランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ、通称ド・ロ神父によって建設されたもので、明治15年に献堂式が行われ、正面および背面の増築を経て明治42年に現在の姿となった。
尾根上を造成した敷地に建ち、桁行36.3m、梁間10.9m、正面中央に鐘楼、背面中央に小塔を立て、側面に日常の出入口を開く。内部は三廊式の平面で、陽光を背にする南東の身廊側に祭壇を置く。列柱と採光の組合せにより、祭壇への指向性を強調する空間構成は約30年におよぶ建設工事におけるド・ロ神父の一貫した設計思想を示している。
出津教会堂は明治前期に建設された希少な初期教会堂の一つで、後世の増築も、同一の設計者によって均整を保った拡充が図られており、高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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出津教会堂
出津教会堂 内部
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出津教会堂
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出津教会堂 内部
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解説文
出津教会堂は、長崎市北西部の西彼杵半島の西岸に所在する。現在の教会堂は、フランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ、通称ド・ロ神父によって建設されたもので、明治15年に献堂式が行われ、正面および背面の増築を経て明治42年に現在の姿となった。 尾根上を造成した敷地に建ち、桁行36.3m、梁間10.9m、正面中央に鐘楼、背面中央に小塔を立て、側面に日常の出入口を開く。内部は三廊式の平面で、陽光を背にする南東の身廊側に祭壇を置く。列柱と採光の組合せにより、祭壇への指向性を強調する空間構成は約30年におよぶ建設工事におけるド・ロ神父の一貫した設計思想を示している。 出津教会堂は明治前期に建設された希少な初期教会堂の一つで、後世の増築も、同一の設計者によって均整を保った拡充が図られており、高い価値が認められる。
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詳細解説
出津教会堂 一棟 教会堂、土地 出津教会堂は、長崎市の北西部、大小の山々が連なる西彼杵半島の西岸に所在する。出津教会は、明治九年に出津川河口(向井)に設けられた仮聖堂を始めとし、明治十二年に外海地区の主任司祭として出津に赴任したフランス人司祭マルク・マリ・ド・ロ(ド・ロ神父)によって教会堂ほか諸施設の建設が進められた。 ド・ロ神父(一八四〇~一九一四)は、フランスノルマンディ地方の出身で、明治元年に大浦天主堂付の宣教師として来日した。明治十二年から同四十四年まで出津教会の司祭として布教と教務を行い、来日後一度も帰国することなく、大正三年に長崎で没した。 現在の教会堂は、ド・ロ神父の設計により、明治十四年に着工、ド・ロ神父の指導のもと地域住民が施工を手掛け、翌十五年三月に献堂式が挙行された。献堂式の後も、ド・ロ神父の在職中を通じて敷地の造成と教会施設の建設が行われており、教会堂は、明治二十年から同二十九年に背面祭壇部の伸張、また明治四十年頃に正面の整備と鐘楼の付設を経て、明治四十二年に現在の姿となった。 出津教会堂は、昭和四十七年二月四日付で長崎県指定有形文化財となっている。 教会堂は、小田平山から南東に延びる尾根上に造成した平地の中央部に、祭壇を東方において(西方を正面にして)建つ。煉瓦造及び木造、単層構成の三廊式教会堂で、身廊部に和小屋、側廊部に登梁を架け、切妻造、桟瓦葺とし、正面の中央に鐘楼、背面の中央に小塔を建てる。両側面には脇出入口の切妻屋根が各面二箇所に付く。桁行三六・三メートル、梁間一〇・九メートルの長方形平面で、正面から玄関部、礼拝部、祭壇部を並べ、祭壇部の背面に香部屋を配する。玄関部は吹放ちとして下足場にあて、礼拝部との境に「本門」と呼ばれる出入口を開く。脇出入口は「横門」と呼ばれ、通常の信徒の出入口に用いられる。各出入口に引分けの板戸を備える。 外壁は煉瓦造の漆喰塗仕上げとし、正面の中央に大アーチ、両脇に小アーチの開口部を開き、各隅と腰壁に安山岩の切石を用いて正面を整える。鐘楼は身廊と同幅の方形平面で、上部の四面に二連の半円アーチの縦長窓を開き、嵌殺しの鎧戸を付す。鐘楼頂部には聖マリア像を据える。背面は中央に半円アーチの戸口、両脇に半円アーチの小窓、戸口上部にアーチ窓を設ける。小塔は四面に半円アーチの縦長窓と切妻破風を設け、頂部に十字架を据える。側面には背面と同型、同規模の半円アーチの縦長窓を規則的に並べ、内側にガラス戸、外側に鎧戸を片引で備える。 内部は床板張で、礼拝部と香部屋に拭板、一段高くした祭壇部に寄木を張る。身廊と側廊の間に杉材の丸柱を三・八メートル間隔で並べ、胴差を桁行に通して固め、身廊の玄関寄りに中二階で楽廊を設ける。身廊の木部は木目塗仕上げとする。天井は漆喰塗仕上げで、身廊の天井をわずかに上方に反らせた弓状に成形し、規則的に並ぶ列柱、水平に延びる胴差とともに祭壇への指向性を強調する。祭壇部は、身廊部と側廊部にそれぞれ半円形のアプスを形成し、主祭壇、脇祭壇を設ける。身廊部のアプスには半円アーチの縦長窓を二箇所に開き、香部屋を介して陽光が主祭壇の背後から差込むように計画される。 出津教会堂は、キリスト教信仰が盛んな長崎地方における希少な最初期の教会堂の一つで、後世に増築しているが、同一の設計者により均整を保った拡充が図られており貴重である。教会の立地と敷地造成の様子を良好に留める土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『長崎県の近代化遺産』(長崎県教育委員会 一九九八年) 『出津教会保存修理工事報告書』(カトリック長崎大司教区 一九九九年)
関連情報
附指定
石積擁壁
関連情報
附指定
附名称
:
石積擁壁
附員数
:
1所