国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
牛伏川本流水路(牛伏川階段工)
ふりがな
:
うしぶせがわほんりゅうすいろ(うしぶせがわかいだんこう)
棟名
:
棟名ふりがな
:
牛伏川本流水路(牛伏川階段工)
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員数
:
1所
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
大正
年代
:
大正6年
西暦
:
1917
構造及び形式等
:
石造及びコンクリート造、延長141.2m、旧堰堤取付工及び護岸石積附属
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02584
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2012.07.09(平成24.07.09)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(二)技術的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
長野県
所在地
:
長野県松本市大字内田字内田山
保管施設の名称
:
所有者名
:
長野県
所有者種別
:
都道府県
管理団体・管理責任者名
:
牛伏川本流水路(牛伏川階段工)
解説文:
詳細解説
牛伏川本流水路は、松本市南東部の筑摩(ちくま)山地に所在する牛伏川砂防施設の一部である。大正5年度に施工された石造の流路工で、東西延長141メートルの水路内に19基の床固(段差)を配し、全体が階段状を呈することから、階段工とも称される。
設計は、長野県内務部土木課が行い、内務省技師池田圓男が指導にあたった。階段状の形式は、アルプス渓流砂防の水路を参考として、池田が提案したものである。
牛伏川本流水路は、周辺の地形に応じて選択された独特な階段状の形式を、熟練した石積技術を用いて実現しており、技術的に高い価値を有する。また、緑化による治山を実現した牛伏川砂防施設の基幹となる施設であり、歴史的に価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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牛伏川本流水路(牛伏川階段工)
牛伏川本流水路(牛伏川階段工) 細部
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牛伏川本流水路(牛伏川階段工)
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牛伏川本流水路(牛伏川階段工) 細部
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解説文
牛伏川本流水路は、松本市南東部の筑摩(ちくま)山地に所在する牛伏川砂防施設の一部である。大正5年度に施工された石造の流路工で、東西延長141メートルの水路内に19基の床固(段差)を配し、全体が階段状を呈することから、階段工とも称される。 設計は、長野県内務部土木課が行い、内務省技師池田圓男が指導にあたった。階段状の形式は、アルプス渓流砂防の水路を参考として、池田が提案したものである。 牛伏川本流水路は、周辺の地形に応じて選択された独特な階段状の形式を、熟練した石積技術を用いて実現しており、技術的に高い価値を有する。また、緑化による治山を実現した牛伏川砂防施設の基幹となる施設であり、歴史的に価値が高い。
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詳細解説
牛伏川本流水路(牛伏川階段工) 一所 牛伏川本流水路は、松本市南東部の筑摩山地を水源とする信濃川水系牛伏川に設けられた砂防施設の一部をなす流路工である。水路の中に複数の床固(段差)を取入れた独特の形状から階段工の異名で知られる。 近世以前の牛伏川は、水源地の崩壊により流域の村落に度々水害をもたらす暴れ川であった。牛伏川砂防施設の建設事業は、明治一八年に内務省新潟土木出張所によって始められ、同三一年からは長野県の国庫補助事業「牛伏川砂防工事」に引継がれ、大正七年に一連の本事業が完了した。牛伏川本流水路は、大正五年度の中心をなす工事として建設されたものである。「牛伏川階段工」の名称で、平成一四年八月二一日付けで登録有形文化財(建造物)となっている。 牛伏川本流水路は、牛伏川砂防施設のうち最下流側に設けられた構造物であり、上流の各沢が本流に収束する合流点に所在する。砂防工事の進捗によって下流へ集まるようになった各沢からの水流による河床の浸食を防ぐために計画されたもので、三三年に及んだ事業を締めくくるものであった。 設計は長野県内務部土木課により、内務省土木局技師池田圓男の指導を受け、課長技師西池氏文と技手西村林十が担当した。水路の形式は、段差と緩勾配の連続による水勢の抑制効果と牛伏川砂防施設の建設工事の主流であった石積工法との親和性に着目した池田が、アルプス渓流砂防の石積水路を参考として、長野県に提案したものである。 池田圓男(一八七一~一九三一)は、鳥取県出身。明治三〇年に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業後、内務省に任官して第五区土木監督署に赴任し、主に淀川改修事業に従事した。大正一一年から同一三年まで内務省土木局第一技術課長を務めた。 東西延長一四一・二メートル、現地で採取した野面石を用いた三面空石積の水路で、水路内に一八基の床固を配し、下流側(西側)端部に高さ三・〇メートル、法勾配一割の練石積の床固を設ける。水路内の床固は、高さ〇・八メートル、法勾配五分程度とする。上流側(東側)で三・六メートルの間に三基を連続させて設けるほかは間隔を広く取り、さらに水路上に小段を設けて水路の勾配を平均二〇分の一に抑える。 水路は幅五・六メートル、高さ一・四メートル、床固の下で幅を広げて台形状の水叩きを設け、独特な蛇腹状の平面を形づくる。水路の側壁は勾配八分で立上げ、台形断面を呈する。 谷地を埋立てて造成した右岸に床固から連続する袖壁を延ばすほか、水路上流側の右岸端部に護岸石積、最上流部の床固の左岸には旧堰堤取付工を設ける。 牛伏川本流水路は、近代渓流砂防技術発展の拠点であったアルプス地方において導入されていた先端的な計画及び設計手法に基づき、自然地形との調和を図りながら精緻な石積技術を駆使して建設された、技術的に優れた砂防施設である。また、地盤の安定化と山腹裸地の緑化により、広域にわたる荒廃地の再生に寄与した、信濃川流域を代表する近代砂防工事である牛伏川砂防工事の掉尾を飾る構造物として、歴史的に価値が高い。 【参考文献】 『松本砂防のあゆみ 信濃川上流直轄砂防百年史』(信濃川上流直轄砂防百年史編集委員会 一九七九年) 『長野県の近代化遺産―長野県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書―』(長野県教育委員会 二〇〇九年)