国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧常田館製糸場施設
ふりがな
:
きゅうときだかんせいしじょうしせつ
棟名
:
三階繭倉庫
棟名ふりがな
:
さんがいまゆそうこ
旧常田館製糸場施設 三階繭倉庫 外観
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
明治
年代
:
明治36年
西暦
:
1903
構造及び形式等
:
木造、建築面積170.81㎡、三階建、東面切妻造、西面寄棟造、桟瓦葺、南面下屋附属、鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02588
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2012.12.28(平成24.12.28)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
長野県
所在地
:
長野県上田市常田一丁目
保管施設の名称
:
所有者名
:
笠原工業株式会社
所有者種別
:
法人
管理団体・管理責任者名
:
旧常田館製糸場施設 三階繭倉庫 外観
解説文:
詳細解説
旧常田館製糸場施設は、岡谷出身の実業家笠原房吉が明治33年に創業した機械製糸工場で、現在は主にスチロール製品を製造する。
工場内には創業時から大正時代にかけて建設された繭倉庫群を中心に、製糸場時代の諸施設が残される。三階繭倉庫と五階繭倉庫は、多窓式と呼ばれる自然乾燥を前提とした繭倉庫の形式になる。一方、四階繭倉庫と五階鉄筋倉庫は密閉式の繭倉庫で、大正時代以降、乾燥機の発達により通風による乾燥が必要なくなったことを物語る。
旧常田館製糸場施設は、長野県で発展した多層の木造繭倉庫群を有する近代機械製糸工場の遺構として貴重であるとともに、わが国の製糸業の中心地の一つであった長野県の近代化を示す施設として高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧常田館製糸場施設 三階繭倉庫 外観
旧常田館製糸場施設 三階繭倉庫 内部
写真一覧
旧常田館製糸場施設 三階繭倉庫 外観
写真一覧
旧常田館製糸場施設 三階繭倉庫 内部
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
旧常田館製糸場施設は、岡谷出身の実業家笠原房吉が明治33年に創業した機械製糸工場で、現在は主にスチロール製品を製造する。 工場内には創業時から大正時代にかけて建設された繭倉庫群を中心に、製糸場時代の諸施設が残される。三階繭倉庫と五階繭倉庫は、多窓式と呼ばれる自然乾燥を前提とした繭倉庫の形式になる。一方、四階繭倉庫と五階鉄筋倉庫は密閉式の繭倉庫で、大正時代以降、乾燥機の発達により通風による乾燥が必要なくなったことを物語る。 旧常田館製糸場施設は、長野県で発展した多層の木造繭倉庫群を有する近代機械製糸工場の遺構として貴重であるとともに、わが国の製糸業の中心地の一つであった長野県の近代化を示す施設として高い価値が認められる。
詳細解説▶
詳細解説
旧常田館製糸場施設 七棟 三階繭倉庫、四階繭倉庫、五階繭倉庫、五階鉄筋繭倉庫、撰繭場、事務所兼住宅、文庫蔵 旧常田館製糸場は、長野県上田市の市街南方を西流する千曲川右岸に敷地を構える。岡谷出身の実業家笠原房吉が明治三十三年に設立した機械製糸工場で、昭和五十九年まで操業した。 明治三十六年に三階繭倉庫、同三十八年に五階繭倉庫が完成し、この頃までに生産体制が整えられた。明治四十一年に事務所兼住宅と文庫蔵、同四十五年に四階繭倉庫を新築するなど明治時代を通じて施設の拡充が図られ、明治末年には県内屈指の製糸工場に成長した。 現在の敷地は、公道を挟んで東西に分かれ、東に三階繭倉庫、五階繭倉庫、五階鉄筋繭倉庫、撰繭場の四棟、西に四階繭倉庫、事務所兼住宅、文庫蔵の三棟が残る。 このうち三階繭倉庫、四階繭倉庫、五階繭倉庫の三棟は、大規模な多層の木造建築で、外壁を漆喰塗の大壁とし、各階の境に庇をまわすなど、長野県を中心に広く普及した繭倉庫の特徴をもつ。 このほか製糸場時代の建物には、社長室、倉庫、風呂場、食堂、繰糸工場、守衛所の六棟が残るが、繰糸工場と守衛所の二棟は笠原工業の事務所として内部が大きく改修されている。また社長室、倉庫、風呂場、食堂の四棟は敷地南面を通る道路の拡幅に伴い平成十九年に曳屋され、その際に内部の造作が除却された。旧常田館製糸場施設の各建物は、平成二十二年二月十七日付けで上田市指定有形文化財となっている。 三階繭倉庫は、東の敷地の北西隅に南面して建つ。木造、桁行二三・六メートル、梁間七・二メートル、三階建、東面切妻造、西面寄棟造、桟瓦葺で、南面に鉄板葺の下屋をつける。二階、三階の正背面にそれぞれ五ヶ所、各階の西側面にそれぞれ二ヶ所の窓を開く多窓式の繭倉庫で、一階の南面中央に出入口を開く。外壁は漆喰塗の大壁とし、軒を塗込め、二階と三階の境に庇をまわす。内部は、板敷、根太天井で、中央部北寄りに階段と貨物用リフトを設ける。軸部は梁間中央に通柱を二間ごとに立て、側まわりを管柱とする。小屋組はキングポストトラスである。 四階繭倉庫は、西の敷地の西南隅に北面して建つ。木造、桁行二一・九メートル、梁間一一・〇メートル、四階建、寄棟造、桟瓦葺、妻入である。各階の妻面中央にのみ窓を開いた密閉式の繭倉庫で、一階の北面中央に出入口を開き、各開口部の外側に鉄扉を備える。外壁は漆喰塗の大壁とし、軒を塗込め、各階の境に庇をまわす。内部は、板敷、根太天井で、北端の中央部に階段と貨物用リフトを設ける。軸部は通柱を用いず、梁間を三分割して桁行方向に一間間隔で柱を立てる。小屋組はキングポストトラスである。 五階繭倉庫は、三階繭倉庫の東側に南面して建つ。木造、桁行四三・六メートル、梁間九・二メートル、五階建、寄棟造、桟瓦葺で、南面に鉄板葺の下屋をつける。各階の正背面にそれぞれ九ヶ所または十ヶ所、両側面にそれぞれ二ヶ所または三ヶ所の窓を開く多窓式の繭倉庫で、一階の南面中央西寄りと東端に出入口を開く。外壁は漆喰塗の大壁とし、各階に庇をまわす。内部は、板敷、根太天井で、中央部西寄りに階段と貨物用リフトを設ける。軸部は梁間中央に一間ごとに柱を立て、四間ごとに通柱とする。側まわりと桁行の入側筋には一間ごとに管柱を立てる。小屋組は敷梁の上に組んだ擬似的なキングホストトラスである。 五階鉄筋繭倉庫は、三階繭倉庫の南側に東面して建つ。大正十四年十月に焼失した繭倉庫を再建したもので、翌十五年に完成した。鉄筋コンクリート造、桁行一四・六メートル、梁間九・〇メートル、五階建、寄棟造、鉄板葺である。三階以上では正面一ヶ所、背面二ヶ所にのみ窓を開く密閉式の繭倉庫で、一階の東面南端と二階の北面東端に出入口を開き、各開口部の外側に鉄扉を備える。内部は、一階と二階は梁間中央に一間ごと、三階以上は中央一ヶ所に柱を立てる。西南隅に鉄筋コンクリート造の階段、東南隅に貨物用リフトを設ける。 撰繭場は、五階鉄筋繭倉庫の南側に接し、東面して建つ。繭倉庫から取出す繭を選別するための施設で、五階鉄筋繭倉庫の建設とあわせて大正十五年に新築された。木造、桁行一三・六メートル、梁間九・一メートル、二階建、切妻造、鉄板葺で、外壁を漆喰塗とし、軒先まで塗込める。各階の正背面にそれぞれ二ヶ所または三ヶ所の窓を開き、一階と二階の東面北端にそれぞれ出入口を開く。内部は、板張、根太天井で、小屋組はキングポストトラスである。 事務所兼住宅は、西の敷地の東北隅、前面道路に接して東面して建つ、常田館製糸場の事務所と社長の居宅を兼ねた建物である。木造、桁行一三・六メートル、梁間一〇・一メートル、二階建、寄棟造、桟瓦葺で、南面と西面に下屋をつける。外壁は二階を下見板張の洋風に仕上げるほかは真壁造とし、庇や格子を付すなど和風に仕上げる。内部は、東面中央に設けた玄関を挟んで北側に事務室、南側に勝手を設け、庭に面した背面の南面から西面にかけて縁をまわし、二間続きの座敷を設ける。二階は四二畳敷の大広間を中心に四室を設ける。 文庫蔵は、事務所兼住宅に附属する土蔵で、事務所兼住宅の西側に南面して建つ。桁行五・四メートル、梁間四・五メートル、二階建、切妻造、桟瓦葺で、東面に附属屋を設けて事務所兼住宅と接続し、風呂と便所を設ける。また南面に吹放しの下屋を付け、附属屋と一連で切妻造、桟瓦葺の屋根をかける。外壁は漆喰塗とし、軒を蛇腹に塗込める。内部は、板敷、根太天井で、東側に階段を設ける。小屋組は登梁である。 旧常田館製糸場施設は、長野県で発展した多層階の木造繭倉庫群を有する近代機械製糸工場の遺構として貴重であるとともに、我が国の製糸業の中心地の一つであった長野県の近代化を示す施設として高い価値が認められる。 【参考文献】「長野県の近代化遺産」長野県教育委員会、二〇〇九年