国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
有川家住宅(滋賀県彦根市鳥居本)
ふりがな
:
ありかわけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
おもや
有川家住宅 主屋 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸後期
年代
:
宝暦9年/文化5年増築
西暦
:
1759/1808増築
構造及び形式等
:
店舗及び居室 桁行14.9m、梁間17.9m、一部二階建、入母屋造、北面水屋附属、桟瓦葺
玄関及び書院 桁行7.9m、梁間17.7m、入母屋造及び切妻造、桟瓦葺、湯殿 桁行4.8m、梁間4.0m、南面廊下附属、寄棟造、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02589
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2012.12.28(平成24.12.28)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
滋賀県彦根市鳥居本町四二五番地、同四二六番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
有川家住宅 主屋 外観
解説文:
詳細解説
有川家は、中山道の鳥居本宿に所在する製薬業を営む商家である。18世紀の初めに本家から製薬業を引き継いで分家し、本家の隣地に住宅を構えたと伝わる。
街道に面して建つ主屋は宝暦9年(1759)の建築で、文化5年(1808)に上段の間をもつ良質なつくりの書院を増築した。あわせて二階の一部を増築したため、屋根が重なり合った複雑な外観を呈する。
三棟の土蔵のうち文庫蔵は寛政7年(1795)の建築で、細部に彫刻を施すなど凝った意匠をもつ。粉挽蔵は薬草の製粉、大蔵は丸薬の製造に用いられた。
有川家住宅は、江戸時代に近江の地場産業として発展した製薬業を営む商家の遺構として貴重であるとともに、江戸時代に整えられた屋敷構えを伝える町家建築としても重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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有川家住宅 主屋 外観
有川家住宅 主屋 クチノマからナカノマを見る
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解説文
有川家は、中山道の鳥居本宿に所在する製薬業を営む商家である。18世紀の初めに本家から製薬業を引き継いで分家し、本家の隣地に住宅を構えたと伝わる。 街道に面して建つ主屋は宝暦9年(1759)の建築で、文化5年(1808)に上段の間をもつ良質なつくりの書院を増築した。あわせて二階の一部を増築したため、屋根が重なり合った複雑な外観を呈する。 三棟の土蔵のうち文庫蔵は寛政7年(1795)の建築で、細部に彫刻を施すなど凝った意匠をもつ。粉挽蔵は薬草の製粉、大蔵は丸薬の製造に用いられた。 有川家住宅は、江戸時代に近江の地場産業として発展した製薬業を営む商家の遺構として貴重であるとともに、江戸時代に整えられた屋敷構えを伝える町家建築としても重要である。
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詳細解説
有川家住宅(滋賀県彦根市鳥居本町) 五棟 主屋、文庫蔵、粉挽蔵、薬医門、大蔵、土地 附 普請関係文書 三冊 有川家住宅は、中山道鳥居本宿の北端に所在し、東へ屈曲した街道の北側に間口二一メートル、奥行三二メートルの敷地を構える。江戸時代に街道随一の妙薬として名をはせた健胃薬「赤玉神教丸」を製造販売する薬店の本店で、家伝によれば万治元年(一六五八)に多賀大社の神託を受けて薬の調製販売を始めたという。正徳六年(一七一六)頃に金右衛門が分家して薬種業を引継ぎ、本家の隣地に店を構えた。 宅地の正面西側に主屋が南面して建ち、正面東側を土塀で限って薬医門を開く。背面西側に粉挽蔵と文庫蔵が南面して建ち、宅地の外、粉挽蔵の西側に大蔵が東面して建つ。宅地の側背面は土塀で限り、背面東側に池泉式庭園を築く。分家当初は八メートル程の間口であったが、主屋の建替えや増築に際して隣接する土地を取得し、現在の規模になったと考えられる。 有川家住宅は、平成二十一年十一月二十五日付けで建造物が滋賀県指定有形文化財、庭園が滋賀県指定名勝となっている。 有川家所蔵の普請関係文書から、主屋は宝暦九年(一七五九)の建築で玄関及び書院が文化五年(一八〇八)の増築、粉挽蔵は宝暦十二年、文庫蔵は寛政七年(一七九五)、薬医門は文化七年、大蔵は同十二年の建築であることがわかる。 主屋は、中山道に面して店舗及び居室を配し、その東側奧に玄関及び書院を配する。店舗及び居室は桁行一四・九メートル、梁間一七・九メートルの一部二階建、玄関及び書院は桁行七・九メートル、梁間一七・七メートルの平屋建で、入母屋造や切妻造の桟瓦葺屋根を重合わせた複雑な屋根をもつ。 店舗及び居室の平面は、通りに面してオオニワ、オオミセ、コミセの三室を東西に並べ、土間を通す西端を吹抜けとして台所にあて、その東側に居室を二列三室に配する。台所の背面には水屋(イドバタ)が突出する。台所の東側にカミダイドコ、ブツマ、ナンドの三室を並べ、その東側にオオニワからクチノマ、ナカノマ、ザシキが連なる。二階には、正面にカミダイドコからあがるオトコニカイ、背面にナンドからあがるオンナニカイを設ける。ナカノマからあがるシンニカイは江戸時代末期の増築と考えられる。 玄関及び書院の平面は、南に開くオオゲンカンからゲンカンノマ、ナカノマ、ツギノマが連なり、ツギノマの東側にジョウダンノマを配する。ツギノマとジョウダンノマは、北側にそれぞれ畳縁とサヤノマを設け、さらに板縁を介して庭園に面する。ジョウダンノマは床を一段高くし、トコとトコ脇、附書院を備え、良材をふんだんに用いた上質なつくりになる。このほか東北隅に寄棟造、桟瓦葺の附属屋を出し、湯殿を設ける。 主屋の表構えは、低い二階建で、桟瓦葺の庇を通す。一階を繰形彫刻の持送りや獅子の彫刻で華やかに装飾する一方、二階を大壁造として重厚に仕上げ、三ヶ所に虫籠窓を開く。一階の正面は現在、全面に引違いの建具を入れ、西端のコミセを壁で仕切った閉鎖的な空間とするが、当初はオオニワの正面二間を吊戸、オオミセの正面三間を摺上戸とし、正面を開放できる構えであった。 文庫蔵は、主屋の背面に隣接して建つ妻入の土蔵で、桁行五・五メートル、梁間三・六メートル、二階建、切妻造の桟瓦葺、出入口を開く南面に銅板葺の庇をつける。置屋根とし、扠首組の木鼻に彫刻を施すなど凝った意匠をもつ。 粉挽蔵は、薬草の製粉所と伝えられる妻入の土蔵で、桁行五・九メートル、梁間四・一メートル、二階建、切妻造の桟瓦葺、出入口を開く南面に桟瓦葺の庇をつける。 薬医門は、間口二・六メートル、切妻造、桟瓦葺の一間薬医門で、左右に板塀を附属する。雲紋を彫刻した蟇股や懸魚を用い、豊かに装飾する。 大蔵は、昭和四十九年に新工場が完成するまで製薬所として使われていた土蔵で、桁行二〇・四メートル、梁間五・九メートル、二階建、切妻造の桟瓦葺、出入口を開く東面に桟瓦葺の庇をつける。 有川家住宅は、江戸時代に近江の地場産業として発展した薬種業を営む商家の遺構として高い価値を有する。また、江戸時代に整えられた屋敷構えを伝える建築年代が明らかな町家建築として重要であり、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】「滋賀県の近世民家」滋賀県教育委員会、一九九八年
関連情報
附指定
普請文書
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附指定
附名称
:
普請文書
附員数
:
3冊