国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
英勝寺
ふりがな
:
えいしょうじ
棟名
:
仏殿
棟名ふりがな
:
ぶつでん
英勝寺仏殿 南正面
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸前期
年代
:
寛永20年
西暦
:
1643
構造及び形式等
:
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、寄棟造、瓦棒銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02597
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2013.08.07(平成25.08.07)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
神奈川県
所在地
:
神奈川県鎌倉市扇ガ谷一丁目
保管施設の名称
:
所有者名
:
英勝寺
所有者種別
:
寺院
管理団体・管理責任者名
:
英勝寺仏殿 南正面
解説文:
詳細解説
英勝寺は、鶴岡八幡宮の西方、扇ガ谷に位置する徳川家康の側室の英勝院が創建した浄土宗の尼寺である。水戸徳川家とのゆかりが深く、同家の姫が代々の住持を務めた。寛永20年(1643)の英勝院一周忌に向けて建物が整備された。仏殿をはじめとする各建物は、禅宗様と和様を自由に組合せた江戸時代前期らしい意匠を持ち、屋根の弛みも軒の反りもつけない直線的な屋根形状で統一している。山門は、関東大震災後、他所に移築されていたが、平成23年に境内の旧位置に戻された。本堂西には祠堂と祠堂門が建ち、奥には英勝院墓がある。祠堂は方三間宝形造の建物で、内外部ともに漆塗や彩色で飾る。英勝寺は、禅宗様を基調としつつ、屋根や軒を直線で構成するなど独創性のある意匠で、境内全体を統一している。江戸時代前期の主要な堂宇が、墓所と一体となって良好に保存されており、貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
英勝寺仏殿 南正面
英勝寺仏殿 内部
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英勝寺仏殿 南正面
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英勝寺仏殿 内部
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解説文
英勝寺は、鶴岡八幡宮の西方、扇ガ谷に位置する徳川家康の側室の英勝院が創建した浄土宗の尼寺である。水戸徳川家とのゆかりが深く、同家の姫が代々の住持を務めた。寛永20年(1643)の英勝院一周忌に向けて建物が整備された。仏殿をはじめとする各建物は、禅宗様と和様を自由に組合せた江戸時代前期らしい意匠を持ち、屋根の弛みも軒の反りもつけない直線的な屋根形状で統一している。山門は、関東大震災後、他所に移築されていたが、平成23年に境内の旧位置に戻された。本堂西には祠堂と祠堂門が建ち、奥には英勝院墓がある。祠堂は方三間宝形造の建物で、内外部ともに漆塗や彩色で飾る。英勝寺は、禅宗様を基調としつつ、屋根や軒を直線で構成するなど独創性のある意匠で、境内全体を統一している。江戸時代前期の主要な堂宇が、墓所と一体となって良好に保存されており、貴重である。
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詳細解説
英勝寺 五棟 仏殿、山門、鐘楼、祠堂、祠堂門 英勝寺は東光山と号し、鎌倉市扇ガ谷に位置する、徳川家康の側室英勝院が創建した浄土宗尼寺である。寛永一一年(一六三四)に徳川家光より寺地を賜り、開山は徳川頼房の女子玉峰清因で、江戸時代を通じて、水戸徳川家の女子が代々の住持をつとめた。 寛永一九年八月に英勝院が没すると、英勝院一周忌に向けて伽藍が整えられた。境内は源氏山東麓に開き、南の寿福寺と隣接する。山門、仏殿が南北に中軸をなす。山門の東側には扇ガ谷の往還に東面して惣門、その北西に鐘楼を配する。西に石垣を築き、中段に北面して祠堂門、上段に東面して祠堂が建ち、祠堂背後に英勝院墓を祀る。仏殿、鐘楼、祠堂、祠堂門は昭和三一年八月一七日付けで、山門は平成一五年二月一〇日付けで神奈川県指定重要文化財に指定されている。 仏殿は、寛永二〇年の建立で、方三間裳階付の禅宗仏殿形式になり、屋根は寄棟造瓦棒銅板葺である。切石積基壇上に建ち、正面中央三間を桟唐戸両開、両端間を花頭窓、他の三面では中央間を桟唐戸両開、両側面の各脇間を花頭窓とするほか、横張の板壁である。 身舎は、各柱間を等間とし、礎盤上に上下粽付の円柱を立て、内法貫、飛貫、頭貫で固め、中央間柱頭に梁行方向の二本の虹梁を渡し、台輪を廻らす。組物は二手先詰組とし、板支輪に雲紋を施す。軒は二軒繁垂木である。 裳階は、礎盤上に大面取の角柱を立て、腰貫、内法貫、頭貫で固め、台輪を略す。組物は柱頂に出三斗、中央三間中備に蟇股を置く。身舎柱とは海老虹梁で繋ぎ、裳階の四隅には手挟を持送る。軒は一軒繁垂木である。 内部は切石敷とし、身舎後面中央間を来迎壁として須弥壇を設け、阿弥陀如来像を祀る。両脇間には花頭枠を設ける。身舎の上部は、天井桁で九つに割り、板天井とする。柱には金襴巻を施し、小壁に瑞鳥、天井に迦陵頻伽などを描く。裳階の上部は化粧屋根裏とする。 屋根は身舎、裳階とも屋弛みがなく、軒も反りをつけずに直線とする独特の外観を持つ。 山門は、寛永二〇年の建立で、三間一戸二重門である。禅宗様を基調とし、屋根は入母屋造瓦棒銅板葺である。一階の柱間は、棟通りの中央間を両開桟唐戸とし、両脇間と両側面を竪板壁とする。二階は正面中央間に両開桟唐戸を吊り、正面両脇間、両側面各間、背面両脇間に格狭間の形をした木枠を付ける独特な窓を開けるほか、竪板壁とし、四周に高欄付の縁を廻らす。 切石積基壇上を切石敷とし、一階の軸部は礎盤上に上下粽付の円柱を立て、腰貫、内法貫、頭貫で固め、台輪を廻す。棟通り中央二本の柱は二階柱盤まで延ばす。二階は柱盤に円柱を立て、頭貫で固め、台輪を廻す。 組物は、一階では出組を組み、中備は中央間を出組、他を蟇股とする。二階では二手先詰組とし、雲紋を施した板支輪を持つ。軒は下層二軒繁垂木、上層二軒扇垂木とする。屋根は下層、上層とも仏殿同様、直線で構成している。 二階の内部は拭板敷、鏡天井とし、中央後方に須弥壇を設け、釈迦三尊像と十六羅漢像を祀る。 鐘楼は、寛永二〇年の建立で、桁行三間、梁間二間、袴腰付である。屋根は入母屋造とし、瓦棒銅板葺である。袴腰上部に円柱を立てて、内法長押と頭貫で固め、組物を実肘木付の出組とする。軒は二軒繁垂木である。袴腰は、縁高欄を廻らして腰組を出三斗とし、壁は竪板張目板打で、台輪下から直線状に斜に張る。屋根は仏殿や山門と同様、直線で構成している。 祠堂は、様式などから諸堂と同じ寛永二〇年頃の建立と考えられる。 低い切石積基壇上に建ち、方三間平面で、屋根は宝形造銅瓦葺とし、銅製火焔宝珠を載せる。正面と両側面の中央間を桟唐戸、背面の中央間を開口とし、他の各間両脇間を板壁とする。 軸部は礎盤上に上下粽付の円柱を立て、地覆、内法長押と頭貫で固め、台輪を廻す。組物は二手先詰組で、正面中央間中備を蟇股とし、板支輪に雲紋を施す。軒は二軒扇垂木である。屋根は仏殿などと同様に直線で構成している。 内部は一室で、転ばし根太に床を張り、背面中央間を開口として上部に花頭枠を付け、英勝院墓を拝する。組物は出三斗詰組とし、天井は折上小組格天井とする。 内外部とも漆塗や彩色で飾り、要所に錺金具を打つ。 祠堂門は、一間平唐門で、桟唐戸を吊る。屋根は銅瓦葺である。禅宗様を基調としており、細部の意匠から、江戸時代前期の建立と考えられる。礎盤上の本柱を上下粽付の円柱、礎石上の控柱を上部粽付の几帳面取角柱とする。軸部は頭貫で固めて台輪を廻す。組物は出三斗で、組物間の幕板には透彫の彫刻が入る。妻飾りは虹梁大瓶束笈形付である。軒は一軒の吹寄垂木とする。 英勝寺境内の中軸をなす仏殿と山門は、小規模ながら本格的な裳階付仏殿と二重門である。また正統的な禅宗様を基調としつつ、屋根や軒を直線で構成するなど独創性のある意匠をつくり上げて、境内全体を統一し、鐘楼、祠堂及び祠堂門もそれに倣う。これら江戸時代前期に遡る主要な堂宇が墓所と一体となって良好に保存されており、価値が高い。 【参考文献】 『神奈川県文化財図鑑建造物篇』(神奈川県教育委員会 一九七一年) 『鎌倉市文化財総合目録建造物篇』(鎌倉市教育委員会 一九八七年) 『英勝寺鐘楼保存修理工事報告書』(英勝寺 一九九八年) 『英勝寺山門解体調査報告書』(英勝寺 二〇〇二年) 『英勝寺山門復原保存修理工事報告書』(英勝寺 二〇一一年)
関連情報
附指定
棟札
扁額
梁牌
関連情報
附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
4枚
関連情報
附指定
附名称
:
扁額
附員数
:
1面
関連情報
附指定
附名称
:
梁牌
附員数
:
2枚