国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧鈴木家住宅(愛知県豊田市足助町)
ふりがな
:
きゅうすずきけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
おもや
旧鈴木家住宅主屋
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸後期
年代
:
安永5年
西暦
:
1776
構造及び形式等
:
桁行15.2メートル、梁間11.0メートル、一部二階、切妻造、西面便所、茶室及び渡廊下附属、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02598
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2013.08.07(平成25.08.07)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
愛知県
所在地
:
愛知県豊田市足助町本町20番、21番、山王6番、7番、8番
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
旧鈴木家住宅主屋
解説文:
詳細解説
旧鈴木家住宅は豊田市の東部、豊田市足助伝統的建造物群保存地区内に位置する。鈴木家は、近世は紙問屋、近代は土地経営などで財をなした。主屋は、足助の安永の大火後、安永5年(1776)の建設で、敷地を拡張しながら座敷や土蔵を順次増築し、明治時代までに現在の建物が整備された。旧鈴木家住宅は、足助において最大級の敷地をもち、主屋は地区内で最古の遺構である。近世から近代にかけての建物が良好に残り、足助の大規模商家の発展過程を示すものとして価値が高く、重要伝統的建造物群保存地区の核として重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
旧鈴木家住宅主屋
旧鈴木家住宅主屋 内部
写真一覧
旧鈴木家住宅主屋
写真一覧
旧鈴木家住宅主屋 内部
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
旧鈴木家住宅は豊田市の東部、豊田市足助伝統的建造物群保存地区内に位置する。鈴木家は、近世は紙問屋、近代は土地経営などで財をなした。主屋は、足助の安永の大火後、安永5年(1776)の建設で、敷地を拡張しながら座敷や土蔵を順次増築し、明治時代までに現在の建物が整備された。旧鈴木家住宅は、足助において最大級の敷地をもち、主屋は地区内で最古の遺構である。近世から近代にかけての建物が良好に残り、足助の大規模商家の発展過程を示すものとして価値が高く、重要伝統的建造物群保存地区の核として重要である。
詳細解説▶
詳細解説
旧鈴木家住宅(愛知県豊田市足助町) 一六棟 主屋、仏間座敷、新座敷、本座敷、井戸屋形及び釜屋、旦過寮、離れ、上蔵、米置場、新蔵、飾物蔵、米蔵、大蔵、味噌蔵、門屋、大工小屋、土地 旧鈴木家住宅は、豊田市足助伝統的建造物群保存地区の中央、旧伊那街道に面して所在する。鈴木家は屋号を「紙屋」と号し、かつては紙問屋を営み、後に金融業、土地経営などで財をなした足助を代表する商家であった。 敷地は街道と南の足助川の間に位置し、街道から川に向かって緩やかに下り、扇形に広がって川側を畑地とする。街道に北面して主屋が建ち、主屋の南面中央から南へ仏間座敷と上蔵が、南面東端から南へ井戸屋形及び釜屋、米置場、新蔵が並ぶ。主屋の西には北から本座敷、旦過寮、離れが並ぶ。仏間座敷、上蔵と本座敷に挟まれて新座敷を建てる。離れから東へ味噌蔵、門屋、米蔵、大蔵が建ち、大蔵の北に飾物蔵、南に大工小屋が建つ。離れの南には祠があり、南の畑地は石積で段差を付け、要所に石段を付す。敷地内には水路があり、川に向けて排水する。平成二四年三月三〇日付けで建物が豊田市指定有形文化財になっている。 各建物の建設年代は、主屋が足助の安永大火後、安永五年(一七七六)に再建されたもので、仏間座敷は主屋より少し前の建設、味噌蔵は主屋と同時期の建設とみられる。文化七年(一八一〇)に主屋西の土地を購入し、同一四年に本座敷を、文政一一年(一八二八)に旦過寮を建設した。井戸屋形及び釜屋もこの頃の建設とみられる。その後敷地南半の整備が行われ、門屋及び米蔵が弘化三年(一八四六)、新蔵が同四年に、米置場が嘉永元年(一八四八)に建てられた。飾物蔵、大工小屋もほぼ同時期の建設とみられる。明治前期に離れ、上蔵が建設され、明治二九年に新座敷が整えられた。明治後期に敷地東に大蔵が建てられ、現在の屋敷構えがほぼ整った。 主屋は桁行一五・二メートル、梁間一一・〇メートル、一部二階建で屋根は切妻造桟瓦葺、平入とし、正面の梁間一間半の屋根を錣葺状に一段下げる。西面には便所、茶室及び渡廊下を附属する。平面は復原すると東側が通り土間で、二列六室の部屋となるが、現在表側二室は床を撤去し土間としている。正面は大戸口と蔀の構えを残す。文化七年の敷地拡張に伴い、西面に部屋を一間程度拡張し、北西にコウシノマを設けたが、主体部は改変は少なく当初の形式を良く留める。 仏間座敷は、桁行九・二メートル、梁間四・六メートル、切妻造桟瓦葺で、南北棟として主屋南面に接続する。平面は北からブツマ八畳、ザシキ八畳と半間幅の縁を並べ、ザシキ西面にトコとトコ脇を設ける。東面は半間幅の濡縁を設け、濡縁上まで軒をせり出す。柱は面取角柱で、一部面皮柱を用いる比較的簡素な書院座敷である。 新座敷は、桁行八・七メートル、梁間四・七メートル、切妻造桟瓦葺で、東面に仏間座敷と上蔵間の渡廊下、北面に本座敷への渡廊下を附属する。平面は北から縁付の次の間六畳と南にトコとトコ脇を持つ座敷八畳を配し、南に縁が付く。柱は面皮柱とし、部屋境の欄間は桐の一枚板引違戸とし、障子腰を網代組とする。縁の鴨居上部には弓欄間を設け、外部壁面は弁柄大津壁とし下部に杉皮を張るなど数寄屋の意匠を凝らした書院である。 新座敷の南には切妻造桟瓦葺の便所があり、塀を廻らせて、新座敷と本座敷の前庭を囲む。塀は桟瓦葺屋根を載せた網代垣である。 本座敷は、桁行一四・一メートル、梁間六・六メートル、切妻造桟瓦葺で、南、北面に銅板葺の庇を付し、南西に切妻造桟瓦葺の湯殿及び便所を附属する。北面は塀で囲まれた前庭とし、北の街道に門を開いて本座敷への入口とする。平面は北から式台、一間幅畳敷の玄関、一〇畳三室を並べ、南面から東面へ縁を廻らす。一〇畳北室にはトコ、南室にはトコとトコ脇を設ける。欄間は板の透彫とし、北室中室境は「鼓」、中室南室境は「松原」の意匠とする。 井戸屋形及び釜屋は、主屋との間を風呂で接続する。北の井戸屋形は桁行九・一メートル、梁間三・七メートル、二階建、切妻造で、南の釜屋は桁行三・八メートル、梁間四・三メートル、切妻造で、屋根は桟瓦葺である。井戸屋形の西面南半には便所が附属し、便所から米置場を経て新蔵まで一連の庇を付す。井戸屋形の一階は北を六畳室とし南の井戸廻りを石敷土間とする。二階は北を八畳とし、南の井戸上部は吹き抜けとする。釜屋は土間とし、屋根に煙出しを付す。 旦過寮は、檀那寺であった曹洞宗香積寺の僧侶を寄宿させる施設である。桁行九・三メートル、梁間五・〇メートル、切妻造桟瓦葺で、東面下屋を付す。南側は延長八・八メートルの土塀で囲み、北西角から北へ土塀を延ばして切妻造桟瓦葺の便所を設ける。平面は八畳間を二室並べ北に半間幅の土間廊下であるニワを付し、八畳への出入口とする。東は板間とする。 離れは、桁行八・一メートル、梁間七・四メートル、切妻造桟瓦葺で、西面に便所、東面に塀を附属する。平面は北に東から幅一間の土間であるニワと、五畳を配し、南に東から上の間八畳、次の間六畳を並べ、南面から西面に縁を廻らす。トコ脇の火灯口や炉、丸竹の棹縁天井、下地窓、縁の網代天井など数寄屋趣味の強い隠居屋である。 上蔵は、土蔵造、桁行七・三メートル、梁間四・六メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、北面に縁と庇を付し、北面の東端から北へ蔵前を仕切る塀を延ばし門を開く。什器などを納める道具蔵である。 米置場は、土蔵造、桁行五・七メートル、梁間四・七メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、西面に井戸屋形から新蔵まで一連の庇を付す。一階南一間半を板間の米置場とし、北一間を踏込土間付の板間とし物置とする。二階は九畳室とする。 新蔵は、土蔵造、桁行七・二メートル、梁間四・五メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、西面に庇を付す。二ノ蔵とも呼ばれ、上蔵同様什器などを納める。 飾物蔵は、土蔵造、桁行五・四メートル、梁間三・六メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、北面に出入口を開いて庇を付し、入口周囲を矩折の土塀で区画する。 米蔵は、土蔵造、桁行七・二メートル、梁間五・四メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、北面に庇を付し、東面に塀を附属する。 大蔵は、土蔵造、桁行八・二メートル、梁間七・二メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、西面に庇を付し、東、西面に塀を附属する。南面に庇屋根付きの格子窓を八箇所付け、腰を下見板張とする。大型の家財道具を収納する。 味噌蔵は、土蔵造、桁行七・三メートル、梁間五・五メートル、二階建、切妻造桟瓦葺である。一階は土間とし、二階は半割丸太の根太で板敷とする。屋根下地を竹簀子下地とする。 門屋は、桁行七・九メートル、梁間五・五メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、南面に庇を付し、東寄り一間を門口とし、西を板間と土間の部屋とする。二階は東二間が板間で棹縁天井を張り、西二間は竹簀子床とする。 大工小屋は、桁行一〇・〇メートル、梁間五・四メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、南面に下屋が付き、西面は出入口で桟瓦葺の庇を付し、北面には桟瓦葺、東面には鉄板葺の小庇を付し長物置き場とする。北面には東端から北の大蔵へ土塀を延ばし、潜戸を開く。内部は一階を土間とし、二階は竹簀子床とする。入口は大戸、脇間を蔀とし、要所に格子窓を付す。 旧鈴木家住宅は、足助において最大級の敷地を持ち、主屋は安永の大火後に再建された足助最古の遺構であり、多数の蔵とともに江戸後期から明治までの年代の異なる座敷が並んで残るなど、近世から近代にかけての建物が良好に残る。足助の大規模商家の発展過程を示すものとして価値が高く、伝統的建造物群保存地区の核として重要であり、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『足助伝統的建造物群保存対策調査報告書』(豊田市教育委員会 二〇一〇年) 『豊田市指定文化財 旧紙屋鈴木家住宅調査報告書』(豊田市教育委員会 二〇一三年)
関連情報
附指定
屋敷図
たゝみ之図
関連情報
附指定
附名称
:
屋敷図
附員数
:
8枚
関連情報
附指定
附名称
:
たゝみ之図
附員数
:
2冊