国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
専修寺
ふりがな
:
せんじゅじ
棟名
:
山門
棟名ふりがな
:
さんもん
専修寺 山門 南西面
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸中期
年代
:
宝永元年
西暦
:
1704
構造及び形式等
:
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、北面三間張出し付
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02599
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2013.08.07(平成25.08.07)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
三重県
所在地
:
三重県津市一身田町
保管施設の名称
:
所有者名
:
専修寺
所有者種別
:
寺院
管理団体・管理責任者名
:
専修寺 山門 南西面
解説文:
詳細解説
専修寺は、津市街の北方に位置する真宗高田派の本山である。正保2年(1645)の伽藍焼失後、順次、諸堂が再建された。このうち境内中央の御影堂と如来堂は重要文化財に指定されている。御影堂前の山門、如来堂前の唐門、御影堂と如来堂を結ぶ通天橋をはじめ、鐘楼や茶所が境内南側を構成する。境内西側には華やかな彫刻で飾られた御廟の諸建築が、東側には大玄関、対面所、賜春館などの上質な殿舎群や、三重の太鼓櫓をもつ太鼓門が建ち並ぶ。専修寺の堂舎群は、いずれも規模雄大で、優れた意匠を持つ。近世の浄土真宗本山寺院にふさわしい格式をもつ壮大な伽藍を創出しており、高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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専修寺 山門 南西面
専修寺山門 正面
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専修寺 山門 南西面
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専修寺山門 正面
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解説文
専修寺は、津市街の北方に位置する真宗高田派の本山である。正保2年(1645)の伽藍焼失後、順次、諸堂が再建された。このうち境内中央の御影堂と如来堂は重要文化財に指定されている。御影堂前の山門、如来堂前の唐門、御影堂と如来堂を結ぶ通天橋をはじめ、鐘楼や茶所が境内南側を構成する。境内西側には華やかな彫刻で飾られた御廟の諸建築が、東側には大玄関、対面所、賜春館などの上質な殿舎群や、三重の太鼓櫓をもつ太鼓門が建ち並ぶ。専修寺の堂舎群は、いずれも規模雄大で、優れた意匠を持つ。近世の浄土真宗本山寺院にふさわしい格式をもつ壮大な伽藍を創出しており、高い価値が認められる。
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詳細解説
専修寺 一一棟 山門、唐門、通天橋、御廟拝堂、御廟唐門及び透塀、鐘楼、茶所、太鼓門、大玄関、対面所、賜春館 専修寺は真宗高田派の本山寺院で、一三世紀に現在の栃木県真岡市高田で創立され、一五世紀に現在地に移転したと伝える。天正八年(一五八〇)の伽藍焼失ののちに再興が図られたが、正保二年(一六四五)に再び焼亡し、万治元年(一六五八)の津藩主藤堂家からの寄進による寺地拡大を契機に、諸堂が順次再建された。境内中央に御影堂と如来堂を東西に並べ建て、両堂を通天橋で結び、御影堂正面に山門、如来堂正面に唐門を構える。如来堂西側の御廟は、廟所の前面に御廟拝堂や御廟唐門などを建てる。また御影堂南東側に鐘楼と茶所を、境内東辺に太鼓門を建て、御影堂北東側に、大玄関、対面所、賜春館を中心とした殿舎群を配置する。御影堂は寛文六年(一六六六)、如来堂は寛延元年(一七四八)の建立で、両堂は昭和三六年六月七日付けで重要文化財に指定されている。山門と唐門は昭和三五年五月一七日付けで、御廟唐門は同四九年三月三〇日付けで三重県指定有形文化財となり、鐘楼が同三二年九月八日付けで、太鼓門が平成一七年四月二〇日付けで津市指定有形文化財となっている。また御廟北側の専修寺庭園が三重県指定史跡及び名勝となっている。 山門は宝永元年(一七〇四)の建立になり、五間三戸二重門、入母屋造、本瓦葺で、背面側の中央三間を一間分張り出す。一階は四半石敷とし、棟通り中央三間に扉を吊り、両脇間と両側面を横板張とする。二階内部は一室で、中央の仏壇に釈迦三尊を祀る。正面中央三間と背面中央間に板唐戸を開き、正面両端間を連子窓とするほかは竪板張とし、四周の縁に禅宗様高欄を廻らせる。軸部は変形礎盤上に立つ円柱を貫で固め、一階の側柱は桁高さまで、内部柱は二階小屋組まで立て登らせ、上下階とも挿肘木を多用した三手先を組む。組物の肘木鼻に大仏様繰形を施し、中備平三斗、軒は上下とも二軒繁垂木で、妻飾虹梁大瓶束とする。背面を張り出す構成や細部に独自性がみられる、大型の二重門である。 唐門は天保一五年(一八四四)に建立され、棟梁を高木作右衛門光規が務めた。四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、檜皮葺である。主柱を円柱、控柱を几帳面取角柱として礎盤上に立て、方立間に桟唐戸を開く。組物出組詰組、軒は二軒繁垂木、妻飾二重虹梁とする。雄大な構えをもつ四脚門で、両側面小壁や小脇板などを牡丹彫刻で満たし、棟通り冠木上に唐獅子、正背面中備に力士像を配するなど、各所を秀逸な彫刻で飾る。 通天橋は寛政一二年(一八〇〇)の建立で、棟梁は伊藤平左衛門吉俊である。桁行九間、梁間一間、唐破風造、本瓦葺である。両側面腰部に絵様付挿肘木で三手先を組み、縁高欄を受ける。柱上は大斗実肘木に虹梁を架け、蟇股で棟木を受ける。軒は二軒疎垂木で、両妻に唐破風を付け、妻飾は虹梁上に雲紋笈形付の大瓶束を立てる。柱通り毎に虹梁の絵様や蟇股の意匠を違え、変化を与えている。 御廟拝堂は安政五年(一八五八)の建立で、桁行五間、梁間四間、入母屋造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、背面千鳥破風付、本瓦葺である。内部は一室で、二本の内部柱から各側柱に虹梁を架ける。正面中央間に両折桟唐戸を、両脇間に桟唐戸を吊り、両端間と側面を漆喰壁とする。組物は、正側面を三斗、背面のみ実肘木とし、二軒繁垂木、妻飾虹梁大瓶束である。正面の千鳥破風や軒唐破風、蟇股などに花鳥や波紋を彫刻し、華やかに装飾する。 御廟唐門及び透塀は、様式などから拝堂と同時期の建立とみられる。 御廟唐門は、四脚平唐門、檜皮葺である。主柱を円柱、控柱を几帳面取角柱とし、組物は出組詰組、軒は二軒繁垂木、妻飾虹梁大瓶束とする。小壁、小脇板、妻壁などに唐草や葡萄紋様の透彫を施し、天井は折上小組格天井を張る。桟唐戸も菊唐草などの彫刻で飾り、錺金具を散らす。 透塀は御廟唐門の東西に折曲りに延び、東方一四間、西方一二間、檜皮葺で、西端間に潜門を開く。実肘木付の腕木で桁を受け、腰長押と内法長押の間を吹寄菱格子とし、腰壁に「波に花」の彫刻を嵌める。また西端間の潜門北側に、正面一間、側面二間、宝形造、本瓦葺の骨堂を建てる。 鐘楼は正徳元年(一七一一)の建立で、精緻な切込矧の石積基壇上に建ち、桁行一間、梁間一間、入母屋造、本瓦葺である。円形の四本柱を内転びに立て、八角断面の脇柱を添わせる。地覆、腰貫、内法貫、頭貫で柱を固め、台輪を廻らす。組物は三手先で、中備に蟇股と間斗束を配し、軒は二軒繁垂木、妻飾虹梁大瓶束とする。脇柱の採用や、貫と肘木鼻の大仏様繰形に、東大寺鐘楼との類似が認められる。 茶所は江戸後期の建設とみられ、桁行一八・五メートル、梁間一三・三メートル、入母屋造、本瓦葺で、西正面に唐破風造の向拝を付ける。側廻りの各柱間に絵様虹梁を架け、組物三斗、一軒疎垂木、妻飾は二重虹梁である。内部中央に二四畳の座敷を配し、座敷の東奥を格天井張の仏間とする。座敷の南側は土間で、土間の東側に執務室を配する。座敷の北側は竈を備えた広い土間の湯沸場で、東側に四畳半二室を並べる。 太鼓門は文久元年(一八六一)の建設とみられる。桁行一九・九メートル、梁間五・五メートル、入母屋造、本瓦葺で、中央に入母屋造で三重の太鼓櫓を載せる。一階は中央を門口として扉を両開きとし、南側に潜戸を吊る。また南北の室を物入として外壁に下見板を張り、出格子窓を設ける。 大玄関は江戸後期の建設とみられる、桁行三二・一メートル、梁間一〇・九メートル、入母屋造、桟瓦葺である。正面中央に、間口四間分の玄関を張り出し、入母屋造軒唐破風付、本瓦葺とする。玄関後方は板敷の大広間で、大広間の西側に三〇畳の座敷を、その前面に内玄関を配する。建物の背面に北廊下を東西に通し、対面所、御影堂、賜春館と接続する。 対面所は天明五年(一七八五)の建設で、棟梁は伊藤平左衛門義房である。桁行二四・五メートル、梁間一九・五メートル、入母屋造、妻入、本瓦葺で、正面に唐破風造の玄関を構える。正面柱上に三斗を配し、ほかは舟肘木で桁を受け、軒は二軒繁垂木、妻飾狐格子である。内部は東西三列、南北五列に室を配し、周囲に入側を廻らす。北端列の西と中央の二室は上々段として折上格天井を張り、接する各室は上段の間として格天井を張る。特に北西隅の上々段の間は仏間とし、前面に花頭枠を設け、黒漆塗や錺金具で荘厳する。また北列中央間は北面壁に「松に鶴」を描き、東面を帳台構とする。規模が大きく、室構成に明確な秩序が窺える接遇施設である。 賜春館は明治一一年頃の建設とみられる。桁行一八・八メートル、梁間一四・二メートル、入母屋造で、屋根は緩やかな起りをもたせた瓦棒銅板葺とし、南西隅の附属屋を桟瓦葺とする。組物は使わず、軒は一軒疎垂木、妻飾は狐格子とする。内部は整型六間取で周囲に幅の広い入側を廻らす。南列西端の主室は一二畳で、間口二間のトコと、違棚、付書院を備え、格天井を張り、壁や襖紙、天井板を金箔押とする。北列西室は吹寄格天井を張り、トコ脇に花頭窓を穿つ。 専修寺境内の堂舎群は、前面に構える山門や唐門のほか殿舎や鐘楼なども、規模雄大で質が高く、また御廟の諸建築も華やかな彫刻で飾られており、いずれも優れた意匠となっている。これらの建物が御影堂と如来堂の両堂を囲むように建ち並び、浄土真宗の本山寺院に相応しい格式をもつ壮大な伽藍を創出しており、価値が高い。 【参考文献】 『重要文化財専修寺如来堂修理工事報告書』(専修寺 一九九〇年) 『三重県指定有形文化財専修寺山門・津市指定有形文化財専修寺鐘楼保存修理工事報告書』(専修寺 一九九七年) 『重要文化財専修寺御影堂修理工事報告書』(専修寺 二〇〇八年) 『三重県近代和風建築総合調査報告』(三重県教育委員会 二〇〇八年) 『津市指定有形文化財専修寺太鼓門保存修理工事報告書』(専修寺 二〇一〇年) 『真宗高田派本山専修寺建造物調査報告書』(専修寺 二〇一一年) 『三重県指定有形文化財専修寺唐門・御廟拝堂及唐門保存修理工事報告書』(専修寺 二〇一二年)