国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
堀家住宅(兵庫県たつの市龍野町)
ふりがな
:
ほりけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
おもや
堀家住宅航空写真
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸中期
年代
:
明和4年
西暦
:
1767
構造及び形式等
:
居室部、オクニワ部、北座敷部、北西座敷部よりなる
居室部 桁行21.8m、梁間13.0m、入母屋造、南面玄関、西面化粧部屋、北面スイジバ及びエンノマ附属
オクニワ部 桁行8.3m、梁間11.0m、切妻造、東面馬屋附属、桁行3.8m、梁間4.9m、東面入母屋造
北座敷部 桁行7.8m、梁間6.5m、切妻造、東面浴室及び北面井戸屋形附属
北西座敷部 桁行10.8m、梁間5.9m、二階建、入母屋造、西面便所附属
総本瓦葺一部桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02600
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2013.08.07(平成25.08.07)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
兵庫県
所在地
:
兵庫県たつの市龍野町日飼字前垣内291番、293番、294番
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
堀家住宅航空写真
解説文:
詳細解説
堀家住宅は、龍野の城下町から揖保川を挟んだ東岸の龍野町日飼に所在する。堀家は旧日飼村の庄屋を務めた豪農で、近世には菜種などの流通で財をなした。主屋は敷地の中心に建ち、主屋の周囲を長屋門や座敷、多数の土蔵がとり囲むように建つ。主屋の東には農作業用のコナシ部屋や牛小屋も残る。主屋は、明和4年(1767)の建設で、周囲の長屋門や土蔵群は幕末までに順次建設された。堀家住宅は、年代が明らかなものとして播磨地方で最古の主屋をもち、近世に成立した屋敷構えが、破格の規模で維持されており貴重である。当地域の大規模農家の代表例として高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
堀家住宅航空写真
堀家住宅主屋 外観
堀家住宅主屋 内部
堀家住宅主屋 内部
堀家住宅主屋 外観
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堀家住宅航空写真
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堀家住宅主屋 内部
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堀家住宅主屋 内部
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堀家住宅主屋 外観
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解説文
堀家住宅は、龍野の城下町から揖保川を挟んだ東岸の龍野町日飼に所在する。堀家は旧日飼村の庄屋を務めた豪農で、近世には菜種などの流通で財をなした。主屋は敷地の中心に建ち、主屋の周囲を長屋門や座敷、多数の土蔵がとり囲むように建つ。主屋の東には農作業用のコナシ部屋や牛小屋も残る。主屋は、明和4年(1767)の建設で、周囲の長屋門や土蔵群は幕末までに順次建設された。堀家住宅は、年代が明らかなものとして播磨地方で最古の主屋をもち、近世に成立した屋敷構えが、破格の規模で維持されており貴重である。当地域の大規模農家の代表例として高い価値が認められる。
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詳細解説
堀家住宅(兵庫県たつの市龍野町) 二三棟 主屋、浜座敷、裏座敷、内蔵、乾蔵、二番蔵、浜蔵、三番蔵、四番蔵、五番蔵、大乾蔵、八番蔵及び九番蔵、六番蔵及び七番蔵、東蔵、十番蔵、味噌部屋、柴小屋及び漬物部屋、コナシ部屋、養蚕部屋、牛小屋、長屋門、西門、オウラ北門、土地 堀家住宅は龍野城下町の東方、揖保川を挟んだ龍野町日飼に位置する。当地は江戸時代前期には龍野領に属したが、延享四年(一七四七)から一橋徳川家領となった。 堀家は明暦元年(一六五五)以来、代々日飼村の庄屋を務めた豪農で、広大な土地所有と揖保川の水運を利用した菜種などの流通を手がけて財をなした。領主一橋徳川家に度々御用金を納めて、帯刀御免、苗字御免など庄屋以上の処遇を得て発展した。 敷地は東西約一〇六メートル、南北約六六メートルの東西に長い不整形とする。中央に主屋を構え、南に長屋門を配す。敷地の周囲には多数の土蔵、座敷などを宅地を取り囲むように配置し、敷地の東北部は菜園とする。主屋の背面に内蔵、二番蔵、乾蔵が建ち、その西に味噌部屋を置く。内蔵の東に六番蔵及び七番蔵、東蔵、柴小屋及び漬物部屋が並ぶ。敷地西辺には、南から浜蔵、浜座敷、三番蔵、西門、四番蔵、五番蔵が並ぶ。敷地北辺は五番蔵と二番蔵の間のオウラ北門で区画し、西から大乾蔵、八番蔵及び九番蔵、裏座敷が並ぶ。主屋の東側は農作業空間で、北のコナシ部屋と養蚕部屋、東の十番蔵、南東隅の牛小屋で囲む。建造物及び菜園を除く土地は、平成二三年三月一八日付けで兵庫県指定重要有形文化財となっている。 各建物の建設年代は家蔵文書や鬼瓦銘からほぼ判明し、主屋が最も古く明和四年(一七六七)の建設で、周囲の建物は幕末までに建設されていった。乾蔵は文化六年(一八〇九)で、内蔵と二番蔵がほぼ同時期とみられ、長屋門は同一三年の建設である。その後、浜蔵は文政五年(一八二二)、三番蔵、四番蔵、五番蔵は同九年で、西門とオウラ北門が同時期、六番蔵及び七番蔵は同一〇年である。敷地東のコナシ部屋は天保九年(一八三八)の建設で、養蚕部屋と十番蔵が同時期である。嘉永三年(一八五〇)に牛小屋、東蔵、浜座敷、同七年に柴小屋及び漬物小屋、八番蔵及び九番蔵が建てられた。安政四年(一八五七)に裏座敷が、同五年に大乾蔵が建てられた。味噌部屋は一九世紀中期とみられる。 主屋は、居室部、オクニワ部、北座敷部、北西座敷部よりなる。当初は居室部のみで、後に東にオクニワ部、北に北座敷部を突出させ、北座敷の西に北西座敷部を増築した。居室部は南面に玄関、西面に化粧部屋、北面にスイジバ及びエンノマを附属する。 居室部は、桁行二一・八メートル、梁間一三・〇メートル、入母屋造で南面し、屋根は本瓦葺で南面と北面に錣葺状の段差を付ける。平面は東を土間とし、床上部は三室を三列に並べる九間取を基本とする。南列は東からゲンカンノマ、ツギノマ、カミノマ、中列はゲンカンノツギノマ、ナカノマ、ブツマ、北列は六畳室、オクノマ、サキノマとする。カミノマは西に突出させトコ、違棚、付書院を付し、南にはツギノマからカミノマ前まで半間幅で畳を敷きサヤノマと称し、南から西に縁を廻す。 オクニワ部は、桁行八・三メートル、梁間一一・〇メートル、切妻造本瓦葺一部桟瓦葺で、東面に入母屋造の馬屋が附属する。北座敷部は、桁行七・八メートル、梁間六・五メートル、切妻造本瓦葺で東面に浴室、北面に井戸屋形が附属する。北西座敷部は、桁行一〇・八メートル、梁間五・九メートル、二階建、入母屋造本瓦葺で、西面に便所が附属する。 主屋と南方の長屋門の間は東に玄関東塀、西に露地塀を設けて区画する。玄関東塀は桟瓦葺の板塀で、南に潜門と中間に厠が付き、露地塀は本瓦葺の土塀で、主屋前庭への潜門が付く。 浜座敷は、桁行七・六メートル、梁間六・七メートル、南面入母屋造、北面切妻造の本瓦葺で、北面に庇を付す。敷地外に面する西面は大壁漆喰塗の土蔵風とする。平面は南面西寄りに玄関を構え、北に二畳を置き、その東にトコ付きの八畳、北には六畳、東に勝手口を設ける。八畳間の南東面に縁を廻らす。浜座敷の南は潜門付きの浜座敷南塀が建つ。 裏座敷は、桁行一二・八メートル、梁間五・九メートル、二階建、東面寄棟造、西面切妻造の桟瓦葺で、東面に土塀が附属する。平面は南面中央西寄りに玄関を、南面西端に勝手口を設ける。一階、二階とも東から八畳、六畳、十畳を並べ、八畳にはトコを設け、八畳と六畳には南面から東面に縁を廻らす。一階八畳はトコの東を付書院とする。二階の八畳はトコの東を円形の下地窓とし、トコ脇は斜めに取り付けた天袋と三段の違棚を置き、脇に火灯口を設ける。外部軒は大きく張り出し、垂木に細丸太を用いるなど数寄屋風の意匠とする。裏座敷の南正面には切妻造桟瓦葺の裏座敷便所が建ち、東に土塀桟瓦葺の裏座敷南塀が伸びる。 内蔵、乾蔵、二番蔵は、いずれも土蔵造、二階建、切妻造本瓦葺である。内蔵は生活用具を入れる蔵で、桁行八・〇メートル、梁間六・〇メートル、乾蔵は文庫蔵で桁行四・八メートル、梁間三・九メートル、二番蔵は接客用の道具を入れる蔵で、桁行八・九メートル、梁間四・一メートルで、東面に土塀が附属する。 浜蔵は、土蔵造、桁行六・九メートル、梁間三・九メートル、二階建、切妻造本瓦葺で、入口は南面で敷地外から使用する米蔵とみられる。妻面に堀家家紋の向かい蝶を飾る。 三番蔵、四番蔵はいずれも土蔵造、切妻造本瓦葺である。三番蔵が桁行九・九メートル、梁間六・〇メートルで南面に土塀を附属し、四番蔵が桁行一〇・〇メートル、梁間五・九メートルである。米蔵で、邸内と外部側両方に入口を持つ。 五番蔵は土蔵造、二階建、東面切妻造、西面入母屋造の本瓦葺で、台形平面とし桁行南面一二・五メートル、北面一一・八メートル、梁間三・九メートルで、南面に土塀を附属する。内部は東西に分かれており、西半は土間部と板敷部があり、東半は板敷で畳を収納していたという。 大乾蔵は、台形平面の土蔵で、桁行南面一二・八メートル、北面九・九メートル、梁間七・九メートル、二階建、東面切妻造、西面入母屋造の本瓦葺で、南面に土塀を附属する。大型の家財道具を入れた蔵で、搬入のため一階から二階へ斜路を設ける。 八番蔵及び九番蔵は、桁行一一・七メートル、梁間三・九メートル、二階建、切妻造本瓦葺の土蔵で、南面に庇を付し、東面西面に土塀を附属する。一階は二室に分かれ、東二間を八番蔵、西四間を九番蔵と呼ぶ。二階は一室で、九番蔵側に階段を付す。いずれも道具蔵で、布団などを収納した。 六番蔵及び七番蔵は、桁行一一・四メートル、梁間四・〇メートル、二階建、切妻造本瓦葺の土蔵で、内部は三室に分かれ、南の一室を六番蔵、北の二室を七番蔵と呼ぶ。六番蔵には棹縁天井が張られ、石臼で粉をひいたという。七番蔵は家族用の米蔵であった。 東蔵は、桁行五・九メートル、梁間三・九メートル、二階建、切妻造本瓦葺の土蔵で南面に庇を付し、西面に土塀を附属する。日常の炊事道具、杵、臼、蒸籠などを入れる。 十番蔵は、桁行一三・八メートル、梁間五・〇メートル、切妻造本瓦葺の土蔵で、西面に庇を付す。米蔵として使われていた。 東門は十番蔵の南面に建ち、桁行五・五メートル、梁間三・一メートル、切妻造本瓦葺で、北の一室を物置とし、南を門とする。 味噌部屋は、桁行四・〇メートル、梁間三・〇メートル、切妻造本瓦葺の小規模な建物で北に土塀を附属する。東面北寄りに入口を設け、内部を土間とし味噌の瓶(かめ)などを置く。オウラ東塀は味噌部屋南に付く桟瓦葺の板塀である。 柴小屋及び漬物部屋は、桁行南面八・九メートル、北面九・九メートル、梁間四・〇メートル、切妻造本瓦葺の土蔵で、西面に土塀を附属する。内部は土間で二室に分かれ、南を柴小屋、北を漬物部屋とする。 コナシ部屋は、桁行一一・六メートル、梁間七・九メートル、本瓦葺で、切妻造の上屋を二階建とし四周に下屋を廻らし、西面に土塀、南西隅に門を附属する。一階は農作業のための土間で、二階に麦藁を収納した。 養蚕部屋は、桁行南面五・四メートル、北面四・〇メートル、梁間二・九メートルの台形平面で、切妻造本瓦葺とする。ヒガシカド北門は養蚕部屋の西に付く切妻造本瓦葺の薬医門である。 牛小屋は、敷地形状に合わせて屈曲する平面で桁行折曲り延長南面二〇・七メートル、北面一九・〇メートル、梁間四・〇メートル、東面入母屋造、西面切妻造の本瓦葺で、北面に庇を付し、東面に土塀を附属する。内部は土間で、根太天井を張り飼料の稲藁を置いた。北面には五箇所の出入口を設ける。出入口上の庇は繰型付き持送りで支える。 長屋門は、桁行三〇・〇メートル、梁間四・〇メートル、二階建、入母屋造本瓦葺の大規模な長屋門で、西の長屋門の東に肥壺部屋と糠小屋が、棟の高さを違えて続く。長屋門は中央に門口を開き、西に門座敷、東に男衆部屋と俵小屋を配す。肥壺部屋は中央に肥壺を配し、竹簀子天井とする。 西門は、桁行三・〇メートル、梁間二・五メートル、切妻造本瓦葺の門で川側の出入口となる。 オウラ北門は、間口三・五メートル、切妻造本瓦葺の棟門で、東面に部屋が附属する。南を正面とし、藁座で両開戸を支える。 南塀は、敷地南の延長三三・一メートルの築地塀で、北塀は菜園北の延長五〇・三メートルの築地塀である。 堀家住宅は、年代が判明するものとしては播磨地方最古の主屋を持ち、主屋を中心として多数の座敷、土蔵に加えて牛小屋、コナシ部屋などの農作業のための建物も一式残存するなど、近世に成立した屋敷構えが破格の規模で維持されており貴重である。播磨地方における近世の大規模農家の代表例として価値が高く、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『兵庫の民家 播磨地区調査概報』(兵庫県教育委員会 一九六九年) 『堀家住宅調査報告書』(たつの市 二〇〇七年)
関連情報
附指定
南塀
北塀
玄関東塀
露地塀
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附名称
:
南塀
附員数
:
1棟
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北塀
附員数
:
1棟
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玄関東塀
附員数
:
1棟
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附名称
:
露地塀
附員数
:
1棟