国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
尾﨑家住宅(鳥取県東伯郡湯梨浜町)
ふりがな
:
おさきけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
おもや
尾﨑家住宅主屋 正面
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸中期
年代
:
18世紀中期
西暦
:
1701-1800
構造及び形式等
:
桁行19.6m、梁間14.4m、一部二階、寄棟造、茅葺、北西面下屋附属、桟瓦葺、東面旧事務所附属、入母屋造、こけら葺、南面風呂及び便所附属、切妻造、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02601
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2013.08.07(平成25.08.07)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
鳥取県
所在地
:
鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宇野1518番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
尾﨑家住宅主屋 正面
解説文:
詳細解説
尾﨑家住宅は、湯梨浜町の北端、日本海に面した宇野の集落に位置する。尾﨑家は、室町時代に宇野に入り、近世には庄屋を勤め、18世紀中期に現在の敷地に移転し、主屋、仏間、門長屋、土蔵群を新築した。主屋と同時期に作庭された庭「松甫園」は名勝に指定されている。主屋は、土間の独立柱など古い形式を残す一方、庭に面して数寄屋座敷を持つなど新しい要素も見られ、当地方の農家住宅の発展過程を示す。尾﨑家住宅は、18世紀中期に遡る大規模な主屋をもち、仏間、土蔵群、門長屋は当地方の大規模農家の屋敷構えを伝えるものとして価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
尾﨑家住宅主屋 正面
尾﨑家住宅主屋 内部
尾﨑家住宅主屋 内部
尾﨑家住宅主屋 オモテ
尾﨑家住宅主屋 オモテより庭をのぞむ
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尾﨑家住宅主屋 正面
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尾﨑家住宅主屋 内部
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尾﨑家住宅主屋 内部
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尾﨑家住宅主屋 オモテ
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尾﨑家住宅主屋 オモテより庭をのぞむ
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解説文
尾﨑家住宅は、湯梨浜町の北端、日本海に面した宇野の集落に位置する。尾﨑家は、室町時代に宇野に入り、近世には庄屋を勤め、18世紀中期に現在の敷地に移転し、主屋、仏間、門長屋、土蔵群を新築した。主屋と同時期に作庭された庭「松甫園」は名勝に指定されている。主屋は、土間の独立柱など古い形式を残す一方、庭に面して数寄屋座敷を持つなど新しい要素も見られ、当地方の農家住宅の発展過程を示す。尾﨑家住宅は、18世紀中期に遡る大規模な主屋をもち、仏間、土蔵群、門長屋は当地方の大規模農家の屋敷構えを伝えるものとして価値が高い。
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詳細解説
尾﨑家住宅(鳥取県東伯郡湯梨浜町)九棟 主屋、仏間、土蔵、質蔵、南蔵、米蔵、味噌蔵、物置及び薪小屋、門長屋 尾﨑家住宅は湯梨浜町の北部、日本海に面して丘陵に囲まれた宇野集落の最南部に位置する。尾﨑家は中世には宇野に移り住んだと伝える。近世以降は宗旨庄屋や大庄屋を務めた。五代清右衛門の一八世紀中期にそれまでの屋敷が手狭になったため現在地に移り、主屋、仏間、土蔵、質蔵、南蔵、米蔵、味噌蔵、物置及び薪小屋、門長屋を新築した。 敷地は東西約七〇メートル、南北約六五メートルの略方形で、中央に主屋が東面して建つ。主屋の南東に主屋と同時期の作庭とされる庭「松甫園」がある。敷地の西辺南寄りに仏間が建ち、仏間から北へ新蔵、質蔵、南蔵、米蔵が並ぶ。主屋の南には土蔵が、北には味噌蔵が建つ。主屋正面に門長屋を東面して構え、門長屋の北に物置及び薪小屋が並ぶ。主屋前庭の北には板蔵と藁置場がある。庭と敷地は借景の山と合わせて名勝(昭和一二年一二月二一日指定、平成一六年二月二七日追加指定)、建造物は平成二三年三月二三日付けで鳥取県指定保護文化財となっている。 主屋は規模は桁行一九・六メートル、梁間一四・四メートル、寄棟造茅葺で、西背面は茅屋根を大きく切り込んで桟瓦葺屋根の葺下ろしとし、北面に桟瓦葺の下屋を附属する。東面中央には入母屋造こけら葺の旧事務所を突出し、南面中央に切妻造桟瓦葺の風呂及び便所を附属する。平面は北側を土間、南側を床上部とし、土間は北に板間のダイドコロを配す。床上部は東西三列に分かれ、東列は北からゲンカン、ナカノマ、オモテ、中列はイロリノマ、物置、元化粧部屋、西列はショクドウ、六畳、ヘヤが並ぶ。オモテの東面からヘヤの南面までは矩折れに縁を廻らし、特にオモテ廻りは外寄り約五〇センチメートルを一段下げた二段の縁とする。 軸部は、土間と床上部北列は柱を差鴨居で固め、土間床上部境には差鴨居の上にさらに成の高い差物を入れる。土間は天井を張らず豪壮な梁組を見せる。ゲンカンとイロリノマは根太天井で、ナカノマとオモテは棹縁天井である。小屋組は二重梁の上に扠首を組み、棟に煙出しを付す。 平面は元はヒロマ型五間取もしくは六間取であり、明治以降に西三室を増築し、九間取の平面となった。大黒柱筋を中心とした前後対称の平面、土間に三本の独立柱を持つなど古風な特徴を示す一方で、庭側のオモテでは柱や長押に杉の面皮材を用い、トコ、違棚、付書院を持つ数寄屋風書院とし、縁を廻らして庭と一体的な座敷とするなど、進んだ技法も見られる。 仏間は桁行一二・四メートル、梁間一〇・一メートルで東面し、入母屋造桟瓦葺で、南西隅に便所、北東隅に離れ及び渡廊下を附属する。元は敷地の南寄りに北面して建ち、茅葺屋根であったが、昭和四年に現位置に移し、小屋組を改めて屋根を桟瓦葺にするとともに離れ及び渡廊下で主屋背面と接続した。 平面は八畳四室からなり、南面から東面に縁を廻す。北西室がブツマで、北面に仏壇を設ける。仏壇両脇の柱上には出三斗の組物を置く。ブツマ西面の小壁に極彩色の欄間彫刻を取り付ける。南西の部屋には西面にトコと棚、南面に付書院を備える。ブツマは格天井とするほかは棹縁天井とする。 土蔵は家財道具を収める蔵で、土蔵造、桁行五・九メートル、梁間四・九メートル、二階建、切妻造桟瓦葺の置屋根とし、軒垂木まで漆喰塗籠とする。北面に下屋を附属し、主屋南面の風呂及び便所と接続する。 質蔵は、土蔵造、桁行六・〇メートル、梁間五・〇メートル、二階建、切妻造桟瓦葺の置屋根とし、東面に庇を付す。南蔵との間に門を附属する。 南蔵は家財道具や書籍を収める蔵で、土蔵造、桁行五・八メートル、梁間四・五メートル、二階建、切妻造桟瓦葺の置屋根とし、東面に米蔵と一連の柱に曲がり材を用いた庇を付し、米蔵との間に板塀を附属する。当初は平屋であったが、柱を継ぎ二階建に改められた。 米蔵は土蔵造、桁行一〇・三メートル、梁間四・五メートル、切妻造桟瓦葺の置屋根とし、東面に庇を付す。出入口を二箇所設け内部は南北二室とし、床を板張とする。 味噌蔵は土蔵造、桁行七・九ートル、梁間四・九メートル、二階建、切妻造桟瓦葺の置屋根で、西面を出入口とし西面と南面に庇を付し、北面に下屋を附属し物置とする。内部は土間で、二階は一部吹き抜けとする。化粧屋根裏は竹簀子下地を現す。 物置及び薪小屋は、桁行二三・〇メートル、梁間三・八メートル、切妻造桟瓦葺で西面に庇を付し、門長屋との間に門を附属する。内部は南北三室に分かれ、南を物置、中央と北を薪小屋とする。物置は妻入で内部を土間とし、棹縁天井を張る。薪小屋も土間で西面を開放とする。 門長屋は桁行一六・五メートル、梁間四・八メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、西面に庇を付す。中央やや北寄りに門口を開き、北を馬屋、南を大工小屋とする。二階は物置とし、床に土を載せ土敷きとするが、二階は後の増築で元は平屋の建物であった。 新蔵は家財道具を収める蔵で、明治時代中期に現仏間位置に建設され、昭和初期に仏間の移築に伴い現位置に移されたとみられる。土蔵造、桁行五・九メートル、梁間四・〇メートル、二階建、切妻造桟瓦葺の置屋根で東面に格子窓付きの庇を付す。 板蔵は板材などを保管した蔵で、明治時代中期の建設とみられる。土蔵造、桁行五・九メートル、梁間四・九メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、南面に藁置場と一連の庇を付す。北面に厠を附属し、厠の南にハンド(水場)を附属する。 藁置場は一階は肥置場、二階は藁置場として使われた蔵で、明治時代中期の建設とみられる。土蔵造、桁行六・八メートル、梁間四・九メートル、二階建、切妻造桟瓦葺で、南面に庇を付す。一階内部は二室に分かれ西室は土間を掘り下げ肥溜めとする。二階は土敷きとする。 尾﨑家住宅は、一八世紀中期に遡る大規模な主屋を持ち、伯耆地方における近代に至るまでの農家住宅の発展過程を示している。借景を活かした庭を望む数寄屋座敷も質が高い。また、仏間、土蔵群、門長屋は、当地方の大規模農家の屋敷構えを伝えるものとして価値が高い。 【参考文献】 『鳥取県の民家 鳥取県文化財調査報告書』(鳥取県教育委員会 一九七四年) 『尾崎家住宅建造物調査報告書』(湯梨浜町教育委員会 二〇〇七年)
関連情報
附指定
新蔵
板蔵
藁置場
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附指定
附名称
:
新蔵
附員数
:
1棟
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附指定
附名称
:
板蔵
附員数
:
1棟
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附名称
:
藁置場
附員数
:
1棟