国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
本源寺
ふりがな
:
ほんげんじ
棟名
:
本堂
棟名ふりがな
:
ほんどう
本源寺本堂 南西面
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸前期
年代
:
慶長12年
西暦
:
1607
構造及び形式等
:
桁行25.3m、梁間18.9m、一重、入母屋造、南面唐破風庇付、南面東玄関附属、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02602
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2013.08.07(平成25.08.07)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
岡山県
所在地
:
岡山県津山市小田中
保管施設の名称
:
所有者名
:
本源寺
所有者種別
:
寺院
管理団体・管理責任者名
:
本源寺本堂 南西面
解説文:
詳細解説
本源寺は、津山市街西部に位置する臨済宗妙心寺派の寺院で、津山城主森家の菩提寺として、慶長12年(1607)に現在の境内が整備された。境内中央に本堂が建ち、東に庫裏が並ぶ。本堂北西が森家の墓所で、霊屋と霊屋表門を配す。本堂は、慶長12年上棟の方丈形式の本堂で、六間取を基本として、北西に御座間、位牌壇を配する。正面は改造されているが、柱や梁組などの主要構造は当初の様子をよく留めている。庫裏は本堂よりやや下り、延宝(1673~1681)頃の建築とみられる。霊屋は、寛永16年(1639)建立で正面の向拝に精緻な地紋彫を施し、内部も優美に飾る。本源寺は、桃山時代の本堂を中心として、庫裏、中門、霊屋など、江戸中期までに整備された建物が残されている。地方における大名家菩提寺として建てられた臨済宗寺院建築の初期の遺構として価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
本源寺本堂 南西面
本源寺本堂 内部
写真一覧
本源寺本堂 南西面
写真一覧
本源寺本堂 内部
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
本源寺は、津山市街西部に位置する臨済宗妙心寺派の寺院で、津山城主森家の菩提寺として、慶長12年(1607)に現在の境内が整備された。境内中央に本堂が建ち、東に庫裏が並ぶ。本堂北西が森家の墓所で、霊屋と霊屋表門を配す。本堂は、慶長12年上棟の方丈形式の本堂で、六間取を基本として、北西に御座間、位牌壇を配する。正面は改造されているが、柱や梁組などの主要構造は当初の様子をよく留めている。庫裏は本堂よりやや下り、延宝(1673~1681)頃の建築とみられる。霊屋は、寛永16年(1639)建立で正面の向拝に精緻な地紋彫を施し、内部も優美に飾る。本源寺は、桃山時代の本堂を中心として、庫裏、中門、霊屋など、江戸中期までに整備された建物が残されている。地方における大名家菩提寺として建てられた臨済宗寺院建築の初期の遺構として価値が高い。
詳細解説▶
詳細解説
本源寺 五棟 本堂、庫裏、霊屋、霊屋表門、中門 本源寺は津山市街西部に所在する臨済宗妙心寺派の寺院で、津山城主森家の菩提寺である。津山市神戸にあった安国寺を前身とするが、慶長八年(一六〇三)に森忠政が美作に入封し、小田中の丘陵地へ移転して森家の菩提所に定め、同一二年に現在地へ移転、龍雲寺と改称した。天和三年(一六八三)忠政五〇回忌に際し、忠政の院号より本源寺に改められた。 南の総門から参道が北に延び、中門を開く。中門の奥に本堂が建ち、その東に庫裏が並び、渡廊下で接続する。本堂の北西が森家の墓所で、本堂西の霊屋表門の内に霊屋が南面して建つ。本堂及び庫裏は平成二一年一一月二五日付けで津山市指定重要文化財、霊屋、霊屋表門は森家墓塔、石敷の参道及び石灯籠とともに平成二一年三月一〇日付けで岡山県指定重要文化財になっている。 本堂は慶長一二年(一六〇七)に上棟した。桁行二五・三メートル、梁間一八・九メートルの方丈形式の本堂で、屋根は入母屋造桟瓦葺で軒は一軒疎垂木とする。柱は太さ六寸角で面取が大きく、長押と貫で固め、上部桁を直接受ける。平面は六間取を基本とし、正面は奥行五・九メートルの広縁で北半を畳敷、南半を板敷とする。中央南室を二一畳の室中とし、北の仏間に仏壇を置く。仏壇裏は西半を位牌堂、東半を物置とする。東列は南北に一二畳室を並べ、北室は北面にトコを設け、東面に一間幅の畳縁を付す。西列南室は一二畳で、北室を西に一間ずらして仏間背面への通路をとる。西列北室は御座間とし、奥に上段と位牌壇を設けるなど位牌堂の機能を取り込む。正面西寄りに御成玄関を付し、七畳半、御次を経て御座間へ至る。天井は室中、仏間及び正面広縁北半を鏡天井とし、他は棹縁天井とする。内部の建具は付樋端の鴨居で建て込む。室中は正面中央間と東、北、西の室境に筬欄間を嵌める。正面広縁表側の柱間装置、南面東隅の玄関など後世の改変もあるが、軸部や梁組、平面構成は慶長建立時の位牌堂を取り込んだ方丈形式の本堂の特徴をよく留めている。 庫裏は、延宝(一六七三~一六八一)頃の建設とみられる。桁行二〇・〇メートル、梁間一二・〇メートル、一部二階、切妻造桟瓦葺で、南面妻入とし、出入口に庇を付す。軒は一軒疎垂木、正面妻面は一間毎に柱が立ち、妻桁上に束を立て、中央二間に重梁を載せ、扠首付きの棟束で棟木を支える簡素な意匠を示す。平面は南から二間半が土間で、西から四間の位置で東西に区画し、西土間の東北隅に大竈を据える。土間から北一間半を板間とし、その北の居室は西列が一二畳二室、中列が南から十畳、六畳、八畳、東列は八畳を三室取る。土間は吹抜とし梁組を見せるが、他は棹縁天井または根太天井とし、つし二階を設ける。屋根東面には屋根を切り上げた煙出しを二箇所設ける。本堂と接続する渡廊下は桁行一二・五メートル、梁間五・八メートル、切妻造桟瓦葺で北に東から四畳半二室と六畳の三室を並べ、南側を板敷の廊下とする。庫裏は南面を除く三面に居室、便所及び浴室など居住のための改変があるが、軸部や梁組、平面の構成は建設当初の状態を良く残す。 霊屋は、森忠政の没後五年を経た寛永一六年(一六三九)の建立である。桁行三間、梁間三間、宝形造銅板葺で、軒は一軒疎垂木とし、正面に唐破風屋根の向拝を付す。平面は中央を八畳の上段とし、正側面は一間幅の畳縁、奥は畳敷の仏前とし、位牌壇を背面に張り出す。仏前西脇は小間、東脇は納戸である。南面及び西面に濡縁を廻らす。天井は、上段は折上格天井とし、中央を円形の縁をまわした鏡天井とし龍を描く。仏前は棹縁天井、畳縁は鏡天井とする。正面中央には朱漆塗の桟唐戸を吊り、両脇間には花頭窓を開ける。向拝は柱頭部には金襴巻状の地紋彫、頭貫に亀甲模様の地紋彫を施し、破風や垂木は精緻な彫刻で飾る。 霊屋表門は、霊屋と同時期の建立とみられる。一間一戸の四脚平唐門で屋根を銅板葺とする。本柱を円柱、控柱を角柱とし、石製礎盤上に立て、頭貫及び腰貫で繋ぎ腰長押を廻す。控柱上には台輪を置き、組物は出三斗を置き梁と桁を支える。妻飾りは板蟇股とし、桁下中備えには中央に出三斗、両脇に蟇股二基を置く。扉は桟唐戸である。霊屋同様に頭貫や桟唐戸幕板の地紋彫、蟇股彫刻や冠木先の八双形彫刻など精緻な細工を施す。 中門は、江戸初期の建立とみられる。一間一戸、切妻造桟瓦葺の薬医門である。五平の本柱で冠木を受け、直交して梁を四本渡す。本柱頂部は前後に肘木を出し、皿斗で梁を受ける。妻飾りは板蟇股とし、中間部梁上の大瓶束は頭部四方に拳鼻を付ける。軒は一軒疎垂木とし、垂木は反りを持つ。扉は格子戸で腰を板張とする。 本源寺は、慶長期に遡る方丈形式の本堂を中心として、庫裏、中門や、精緻な彫刻で飾られた森家代々当主を祀る霊屋など桃山時代から江戸中期までに整備された建造物が一体で残されており、地方において大名家の菩提寺として建てられた臨済宗寺院建築の初期の遺構として価値が高い。 【参考文献】 『津山市指定重要文化財本源寺御霊屋保存修理事業報告書』(本源寺 二〇〇八年) 『改訂 本源寺建造物調査報告書』(本源寺 二〇一一年)
関連情報
附指定
棟札
関連情報
附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
1枚