国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
荻野家住宅(福井県三方上中郡若狭町)
ふりがな
:
おぎのけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
おもや
荻野家住宅主屋外観
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸後期
年代
:
文化8年
西暦
:
1812
構造及び形式等
:
桁行9.3m、梁間12.9m、2階建、切妻造、南面庇付、北面井戸屋及び座敷便所附属、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02605
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2014.01.27(平成26.01.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
福井県
所在地
:
福井県三方上中郡若狭町熊川38号蔵ノ前17番,22番,23番
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
荻野家住宅主屋外観
解説文:
詳細解説
荻野家住宅は、かつての京都・小浜間の若狭街道の宿場町であった若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区のほぼ中央に位置する。荻野家は代々、人馬継ぎ立ての運送業を行う問屋を営んだ。主屋は、文化8年(1811)頃に建設された熊川宿最古の町家であり、通り土間の表側を広くとる平面構成などに当地方の伝統的な町家の形式を示す。また主屋に隣接して街道に面して建つ荷蔵や、敷地を縦に貫く石敷の通路などは問屋の構えを良く残しており、物資流通で栄えた熊川宿の核となる建物として価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
荻野家住宅主屋外観
荻野家住宅主屋マエニワ内観
荻野家住宅主屋ザシキ内観
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荻野家住宅主屋外観
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荻野家住宅主屋マエニワ内観
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荻野家住宅主屋ザシキ内観
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解説文
荻野家住宅は、かつての京都・小浜間の若狭街道の宿場町であった若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区のほぼ中央に位置する。荻野家は代々、人馬継ぎ立ての運送業を行う問屋を営んだ。主屋は、文化8年(1811)頃に建設された熊川宿最古の町家であり、通り土間の表側を広くとる平面構成などに当地方の伝統的な町家の形式を示す。また主屋に隣接して街道に面して建つ荷蔵や、敷地を縦に貫く石敷の通路などは問屋の構えを良く残しており、物資流通で栄えた熊川宿の核となる建物として価値が高い。
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詳細解説
荻野家住宅(福井県三方上中郡若狭町) 四棟 主屋、表荷蔵、裏荷蔵、文庫蔵、土地 荻野家住宅は、若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区のほぼ中央、中ノ町に位置する。 熊川宿は京都と小浜を結ぶ若狭街道の宿場町で、若狭から近江へ抜ける最後の宿であり、主に物資流通の中継拠点として繁栄した。荻野家は屋号を倉見屋と号し、代々八左衛門を名乗り、江戸時代初期より代々運送業において人馬継ぎ立てを行う熊川宿の主要な問屋の一つであった。 敷地は街道に南面する奥行の深い敷地で、街道に面して主屋が建つ。主屋西には表荷蔵が建ち、表荷蔵北には裏荷蔵が接続する。主屋と表荷蔵の間は付属屋で接続するが、付属屋から北にかけて石敷が残り敷地北へ抜ける通路となり、北端には石段がある。主屋の北には庭を挟んで文庫蔵が南面して建つ。 各建物の建築年代は、主屋が普請文書より文化八年(一八一一)の建築であることがわかる。表荷蔵、裏荷蔵は江戸時代後期の建築とみられる。文庫蔵は、棟札より明治六年の建築である。荻野家住宅の建物は平成二三年三月二五日付けで福井県指定有形文化財となっている。 主屋は、桁行九・三メートル、梁間一二・九メートル、二階建、切妻造、桟瓦葺で平入とし、南面に庇を付す。北面を縁とし、北面西寄りにトオリニワから続く板壁で囲まれた井戸屋、東寄りに座敷便所を附属する。 外観は漆喰塗大壁で軒下を塗込め、正面二階及び背面二階に袖壁を付け、正面前庇両端は戸袋として一筋の土塗戸を収納し、二階正面は大壁で見せかけの虫籠窓を付すなど、防火に配慮した形式を持つ。 平面は大戸口を入るとマエニワと称する間口三間半、奥行二間の広い土間で、東一間半に四畳のミセノマとしダイドコの南まで鉤型に上がり縁を付す。奥は西一間半をトオリニワとし、トオリニワに面して南よりダイドコ、オイエを並べる。トオリニワには西壁沿いに大竈、へっついと縁台を並べる。オイエはトオリニワ側に両側から使う膳棚が付く。東列は客間とし、南からナカノマ、ザシキの八畳二室を並べる。ザシキは東にトコと違棚、北に付書院を設け、面皮材を用いた数寄屋風の意匠とする。マエニワとトオリニワを格子戸で区画し、オイエとザシキを土壁で区画するなど接客空間と私的な空間を明確に区分する。二階はつし二階で土壁で東西に区画し、東は箱階段で上がる畳敷の座敷、西は吹抜から梯子で上がる板間とし、物置や使用人の部屋として使用された。 表荷蔵は、桁行四・五メートル、梁間三・六メートル、二階建、切妻造、桟瓦葺の土蔵で、妻壁を街道側に向け、高い縦板張の腰壁に一階の丸窓と二階の小庇付窓を見せる。内部は板敷で、壁は柱を一尺五寸毎に立て、間を板壁とする。主屋側の東面に出入口を設け、主屋との間は付属屋と称する桟瓦葺の切妻屋根で接続する。付属屋は当初は石敷の土間で、南面と北面は壁がなく開放で、戸袋が付き一筋の雨戸を建てていたとみられる。問屋における荷物の取り回しが行われたと思われる。 裏荷蔵は、桁行六・九メートル、梁間四・五メートル、切妻造、桟瓦葺の土蔵で、南面物置を介して表荷蔵に接続する。北面中央には扉口を付し、内部は土間で二階床をつくらず、半間おきに立つ柱の間には半丸太の荷摺が取り付く。外観は軒下まで縦板張とし、軒廻りのみ漆喰蛇腹を見せる。表荷蔵と一体的に使用され、扱う荷により板敷の表荷蔵と土間の裏荷蔵を使い分けたと思われる。 文庫蔵は、桁行一〇・一メートル、梁間四・八メートル、二階建、切妻造桟瓦葺の土蔵である。文書や道具類を収納する蔵で、一階南面に戸口を開き、正面一間の下屋を漆喰塗大壁で囲まれた蔵前とする。西面には便所を含む下屋を附属する。外観は漆喰塗で正面下屋腰廻りを海鼠壁とし、他は板張あるいは鉄板張とする。屋根は置屋根とし、置屋根の軒廻りも漆喰塗込とする。 荻野家住宅主屋は、年代が明らかな熊川宿最古の町家であり、通り土間の表側を広くとる平面構成などに当地方の伝統的な町家の形式を示している。また主屋に隣接して街道に面して建つ荷蔵や、敷地を縦に貫く石敷の通路は、典型的な問屋の構えを良好に残しており、物資流通で栄えた熊川宿の核となる建物として価値が高く、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『若狭街道の宿場熊川 福井県遠敷郡上中町熊川伝統的建造物群調査報告書』(上中町 一九八二年) 『倉見屋荻野家住宅調査報告書』(若狭町歴史文化課 二〇一〇年)
関連情報
附指定
普請文書
家相図
関連情報
附指定
附名称
:
普請文書
附員数
:
2冊
関連情報
附指定
附名称
:
家相図
附員数
:
1枚