国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧高野口尋常高等小学校校舎
ふりがな
:
きゅうこうやぐちじんじょうこうとうしょうがっこうこうしゃ
棟名
:
棟名ふりがな
:
旧高野口尋常高等小学校校舎全景
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員数
:
1棟
種別
:
近代/学校
時代
:
昭和
年代
:
昭和12年
西暦
:
1937
構造及び形式等
:
木造、建築面積3,543.72㎡、寄棟造、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02608
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2014.01.27(平成26.01.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
和歌山県
所在地
:
和歌山県橋本市高野口町名倉字西大木芝226番
保管施設の名称
:
所有者名
:
橋本市
所有者種別
:
市区町村
管理団体・管理責任者名
:
旧高野口尋常高等小学校校舎全景
解説文:
詳細解説
旧高野口尋常高等小学校校舎は、紀の川北側の平野部に建つ。現在の校舎は、昭和12年に建設された。平成23年に耐震補強を含む改修工事が完了し、現役の小学校として使用されている。校舎は、敷地東の南北棟を正面とし、背後に4棟の東西棟を櫛形に配置しており、その規模は3,500平方メートルを超える。鉄筋コンクリート造の布基礎や、15センチメートル角のヒノキの柱を用い、要所を火打、筋交い、方杖で固めるなど堅牢な構造である。旧高野口尋常高等小学校校舎は、複数の長大な平屋建校舎を櫛形に配置した大規模な木造校舎である。その構造は堅牢であり、大正12年の関東大震災や昭和9年の第一室戸台風などの災害を経て発展、改良された戦前期の木造校舎建築の到達点というべき特徴を良く示しており、歴史的価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
旧高野口尋常高等小学校校舎全景
旧高野口尋常高等小学校校舎廊下
旧高野口尋常高等小学校校舎図工教室
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旧高野口尋常高等小学校校舎全景
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旧高野口尋常高等小学校校舎廊下
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旧高野口尋常高等小学校校舎図工教室
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解説文
旧高野口尋常高等小学校校舎は、紀の川北側の平野部に建つ。現在の校舎は、昭和12年に建設された。平成23年に耐震補強を含む改修工事が完了し、現役の小学校として使用されている。校舎は、敷地東の南北棟を正面とし、背後に4棟の東西棟を櫛形に配置しており、その規模は3,500平方メートルを超える。鉄筋コンクリート造の布基礎や、15センチメートル角のヒノキの柱を用い、要所を火打、筋交い、方杖で固めるなど堅牢な構造である。旧高野口尋常高等小学校校舎は、複数の長大な平屋建校舎を櫛形に配置した大規模な木造校舎である。その構造は堅牢であり、大正12年の関東大震災や昭和9年の第一室戸台風などの災害を経て発展、改良された戦前期の木造校舎建築の到達点というべき特徴を良く示しており、歴史的価値が高い。
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詳細解説
旧高野口尋常高等小学校校舎 一棟 旧高野口尋常高等小学校校舎は、和歌山県北東部、紀の川北側の平野部に位置する。高野口町は、古くは大和街道沿いの宿場町であったが、明治三四年の紀和鉄道名倉駅開業後は、同駅からの高野山への登山口として栄えた。昭和初期には織物業が主要産業に発展し、隆盛期を迎えた。 高野口尋常高等小学校は明治八年に開設された村学に始まる。明治四四年に高野口尋常高等小学校と改称した。昭和一一年一月、建物の老朽化と入学児童の増加に伴い小学校の移転が決定し、同年二月一五日に地鎮祭が挙行され、翌一二年七月に新校舎が落成、七月三日に移転した。昭和二二年に高野口小学校と改称、平成二一年から二三年に改修工事が実施され、現役の小学校として使用されている。旧高野口尋常高等小学校校舎は平成一六年五月二一日付けで高野口町指定文化財となり、平成一八年三月一日橋本市と合併以降は橋本市指定文化財となった。 校舎は、敷地東半に東面して建つ。木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺で、建築面積は三、五四三・七二平方メートルと大規模である。正面の南北棟は東面中央に玄関を構え、その後方に直交方向に東西棟四棟を突出させ、全体として櫛形の平面とする。南北棟は桁行九八・三メートル、梁間九・五メートルで、職員室、校長室などの部屋を配す。東西棟のうち北から三棟は普通教室を並べ、桁行は北からそれぞれ六八・一メートル、六二・六メートル、四九・九メートルで、梁間はいずれも九・五メートルとする。南の一棟は特別教室及び準備室を並べ、桁行六八・六メートル、梁間一一・三メートルとする。東西棟の南と北の各二棟は二箇所の渡廊下で接続され、昇降口を七箇所に設ける。敷地の北東南面は石垣と生垣で囲み、東面の中央に正門と東面北寄り、北面中央に脇門を設ける。 平面は片廊下型を基本とし、採光を考慮して南もしくは東面に教室及び特別教室を置く。床はスギ縁甲板張り、天井高は三・四メートルと高く、窓は採光のため欄間付きガラス窓引違とする。天井は棹縁天井とし方杖を現す。外観は腰縦板張とした下見板張を標準とする。正面玄関は入母屋造、妻入で破風に懸魚を吊り、正面開口は両開き板戸、天井は格天井とし、いずれも化粧ベニヤを用いる。 基礎は、鉄筋コンクリート造の布基礎を側廻り及び部屋境に配す。布基礎上に土台を据え、一間毎に五寸角のヒノキ材の柱を立て、貫三段及び桁で固める。開口部は鴨居や窓台を柱に大入に組み込む。小屋組は一間毎にキングポスト・トラスを架ける。壁及び内法壁、腰壁には筋交いを入れ、各部屋隅部の土台位置で火打を入れ、柱上部は方杖で固める。小屋内も水平方向及び垂直方向に筋交いを入れて固める。土台は基礎にアンカーボルトで固定され、各接合部もボルトで緊結されるなど耐震、耐風に配慮した堅牢な構造を持つ。 石垣は総延長三五六・六メートルで、敷地の南東北面を取り囲む。河原石を空積とし、石垣上はウバメガシの生垣とする。東面中央と北寄り、北面中央に門を開き、東面中央と北面中央には石段を付す。門柱は東面二所は花崗岩角石を積み、北面一所は花崗岩の石柱とする。 旧高野口尋常高等小学校校舎は、複数の長大な平屋建校舎を櫛形に配置した、極めて大規模な木造校舎である。その構造は堅牢であり、大正一二年の関東大震災や昭和九年の第一室戸台風などの災害を経て発展、改良された戦前期の木造校舎建築の到達点というべき特徴を良く示しており、歴史的価値が高い。 【参考文献】 『和歌山県の近代化遺産』(和歌山県教育委員会 二〇〇七年) 『橋本市指定有形文化財高野口小学校建築改築・改修報告書』(NPO法人環境創造サポートセンター、和歌山大学システム工学部 二〇一二年)
関連情報
附指定
門
石垣
関連情報
附指定
附名称
:
門
附員数
:
3所
関連情報
附指定
附名称
:
石垣
附員数
:
1基