国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
円教寺奥之院
ふりがな
:
えんぎょうじおくのいん
棟名
:
開山堂
棟名ふりがな
:
かいざんどう
円教寺奥之院開山堂外観
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸前期
年代
:
寛文13年
西暦
:
1673
構造及び形式等
:
桁行五間、梁間六間 一重 宝形造 本瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
01350
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2014.01.27(平成26.01.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
兵庫県
所在地
:
兵庫県姫路市書写
保管施設の名称
:
所有者名
:
円教寺
所有者種別
:
寺院
管理団体・管理責任者名
:
円教寺奥之院開山堂外観
解説文:
詳細解説
円教寺は姫路市街北西の書写山の山上にある天台宗寺院で、奥之院は開山性空の廟所である。現在の開山堂は寛文13年(1673)の建立で、永禄2年(1559)建立の重要文化財円教寺護法堂(乙天社及び若天社)や、天正17年(1589)建立の護法堂拝殿とともに奥之院を構成する。開山堂は桁行五間、梁間六間の宝形造で、礼堂風の外陣、中央を敷瓦の土間とした内陣を持ち、外廻りの和様組物間の菱支輪や、禅宗様の須弥壇廻りと宮殿、外陣の海老虹梁など、近世らしい意匠がみられる。護法堂拝殿は護法堂の正面に建つ桁行七間の懸造である。円教寺奥之院の建造物は、開山堂を中心として、まとまりのある開山廟所の空間を形成しており、既指定の護法堂とともに保存を図る。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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円教寺奥之院開山堂外観
円教寺奥之院開山堂内観
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円教寺奥之院開山堂外観
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円教寺奥之院開山堂内観
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解説文
円教寺は姫路市街北西の書写山の山上にある天台宗寺院で、奥之院は開山性空の廟所である。現在の開山堂は寛文13年(1673)の建立で、永禄2年(1559)建立の重要文化財円教寺護法堂(乙天社及び若天社)や、天正17年(1589)建立の護法堂拝殿とともに奥之院を構成する。開山堂は桁行五間、梁間六間の宝形造で、礼堂風の外陣、中央を敷瓦の土間とした内陣を持ち、外廻りの和様組物間の菱支輪や、禅宗様の須弥壇廻りと宮殿、外陣の海老虹梁など、近世らしい意匠がみられる。護法堂拝殿は護法堂の正面に建つ桁行七間の懸造である。円教寺奥之院の建造物は、開山堂を中心として、まとまりのある開山廟所の空間を形成しており、既指定の護法堂とともに保存を図る。
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詳細解説
【追加指定】円教寺奥之院 二棟 開山堂、護法堂拝殿 円教寺は、姫路市街の北西、書写山の山上に伽藍を構える天台宗寺院である。康保三年(九六六)に性空が営んだ庵に始まるという。寛和二年(九八六)には花山法皇の行幸があり、以後、公家らの帰依をうけて発展した。 性空(九一〇?~一〇〇七)は、京の公家橘善根の子で、三六歳のとき比叡山延暦寺で出家し、九州へ赴いて、日向国霧島山、筑前国背振山で修行した。京への帰路、書写山に留まり、円教寺を開いたと伝える。晩年は書写山北方の弥勒寺に隠棲した。円教寺では、天禄元年(九七〇)に如意堂を建立、寛和元年(九八五)に国司藤原季孝の助力で法華三昧堂を建立、花山法皇の参詣を機に永延元年(九八七)に講堂を建立した。 奥之院は、伽藍西奥の西谷に位置し、開山堂が東を正面に建ち、その北東手前に護法堂の若天社と乙天社が南面し、開山堂の南東、護法堂の正面に護法堂拝殿が建つ。開山堂の創建は、性空没後の寛弘四年(一〇〇七)と伝えるが、弘安九年(一二八六)に焼失し、正応元年(一二八八)に再建された。現在の護法堂は永禄二年(一五五九)、護法堂拝殿は天正一七年(一五八九)の建立である。その後、奥之院の再整備により、寛文一三年(一六七三)に現在の開山堂が建立された。内陣須弥壇上の宮殿は、延宝七年(一六七九)に完成している。護法堂前の石造鳥居も寛文期のものである。護法堂は昭和三〇年六月二二日付けで重要文化財に指定されており、護法堂拝殿は昭和三八年八月二四日付けで、開山堂は昭和四三年三月二九日付けで、兵庫県指定重要有形文化財に指定されている。 開山堂は、桁行五間、梁間六間、一重で、屋根は宝形造、本瓦葺で、青銅製の宝珠を載せる。内部は前方二間を外陣、後方四間が内陣で、内陣の中央部を敷瓦四半敷の土間とする。土間の周囲は拭板敷とし、壁際に畳を敷き廻す。内陣の北側面と西背面北寄りには、脇仏壇を張り出す。四面に擬宝珠高欄付の切目縁を廻すが、脇仏壇が付く北面後半と西面北から二間は縁を略している。東正面に木階二級と石階三級を設ける。南側面東寄りには護法堂拝殿へ渡る脇階段があり、西背面南寄りには附属舎への渡廊下が取り付く。 柱はすべて礎石立の円柱で、足固貫、内法貫で固め、切目長押、内法長押を打つ。頭貫木鼻は東側の二隅は獅子鼻、南西隅は拳鼻である。組物は側廻りが和様の三手先で、二手目に入れた菱支輪が目をひく。中備は蟇股であるが、北面の後半と西面の北寄り三間は間斗束としている。軒は二軒繁垂木である。外陣は各間に虹梁を架渡し、大瓶束に拳鼻と出三斗を載せて化粧棟木を支える。外陣は船底形の化粧屋根裏天井で、両端間では大瓶束脚元から三方へ虹梁を架渡している。来迎柱上は、禅宗様出組の詰組とする。内陣天井は、小組格天井で、須弥壇上を折上げる。須弥壇は禅宗様である。 外陣の建具は、正面中央間を両折桟唐戸、その両脇を両開桟唐戸、正面両端間と側面東端間を火灯窓、側面第二間を両開桟唐戸とする。内外陣境は格子引違いで上部は菱欄間である。内陣南面は、東から二間が蔀、第三間を舞良戸引違い、西端間と西面南端間は火灯窓とする。背面中央と北面東寄りは舞良戸引違いである。また、南面の内外陣境位置に脇障子を設け、板戸引違いとする。 外廻りと外陣は素木造であるが、内陣は拭漆、来迎柱は金箔押、来迎壁は金箔下地に雲を描く。蟇股彫刻は花鳥、霊獣のほか二十四孝、列仙伝など中国故事の題材も取り入れる。また、北西隅を除き隅木下に力士像を据えている。 宮殿は、桁行一間、梁間一間で、屋根は入母屋造妻入のこけら葺で、両側面に千鳥破風を付け、三方軒唐破風とする。組物は禅宗様六手先の詰組である。軒は二軒繁垂木とする。 護法堂拝殿は、桁行七間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺である。石垣上に建ち、南面から西面南半を懸造とする。四周に切目縁を廻し、懸造となる南面と西面に刎高欄を付け、上がり口は東妻とする。柱は円柱で、切目長押と内法長押を打ち、柱上に舟肘木を置く。軒は一軒疎垂木とする。西妻面と南面両端間、東妻面の南間が横板壁で、ほかは板戸引違いとするが、法要時には建具を取りはらい、南北両面を開放とする。内部は一室で、床は拭板敷、天井は棹縁天井である。 円教寺開山堂は、礼堂形式の外陣と、土間床の内陣を持ち、外陣架構や組物構成などに江戸時代中期の自由な造形を見せる近世仏堂の好例である。また、護法堂拝殿は、簡素ながら近世初頭以来の奥之院における開山供養の様相を伝える建物として貴重である。既指定の護法堂と併せて円教寺奥之院全体の保存を図る。 【参考文献】 『重要文化財円教寺食堂護法堂修理工事報告書』(重要文化財円教寺食堂修理委員会 一九六三年) 『兵庫県指定重要有形文化財円教寺開山堂修理工事報告書』(圓教寺 二〇一二年) 書』(栃木県教育委員会 二〇〇三年)
関連情報
附指定
宮殿
棟札
柱敷板
関連情報
附指定
附名称
:
宮殿
附員数
:
1基
関連情報
附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
3枚
関連情報
附指定
附名称
:
柱敷板
附員数
:
1枚