国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧馬場家牛込邸
ふりがな
:
きゅうばばけうしごめてい
棟名
:
棟名ふりがな
:
旧馬場家牛込邸 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
昭和
年代
:
昭和3
西暦
:
1928
構造及び形式等
:
木造、建築面積582.86㎡、一部二階建、桟瓦及び銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02609
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2014.09.18(平成26.09.18)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都新宿区若宮町39番
保管施設の名称
:
所有者名
:
国(最高裁判所)
所有者種別
:
国
管理団体・管理責任者名
:
旧馬場家牛込邸 外観
解説文:
詳細解説
旧馬場家牛込邸は,富山で海運業を営んだ馬場家の東京における拠点として,昭和3年に牛込台地の高台に建てられた。昭和22年以降は最高裁判所長官公邸となっている。設計は逓信省営繕技師であった吉田鉄郎である。南の庭園に面して和洋の客間や居間などを雁行形に連ね,和洋の意匠や空間の機能を巧妙な組合せと合理的な平面構成でまとめており,入母屋屋根や下屋庇を駆使した外観も絶妙に庭園と調和している。旧馬場家牛込邸は,東京に残された希少な大規模和風建築である。洗練された比例や精緻な造形,装飾的な細部を押さえつつ上質の良材を効果的に演出した設計手法など,昭和初期を代表する和風建築として高い価値を有している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
旧馬場家牛込邸 外観
旧馬場家牛込邸 客間
旧馬場家牛込邸 広間
旧馬場家牛込邸 食事室
旧馬場家牛込邸 洋風客間
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旧馬場家牛込邸 外観
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旧馬場家牛込邸 客間
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旧馬場家牛込邸 広間
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旧馬場家牛込邸 食事室
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旧馬場家牛込邸 洋風客間
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解説文
旧馬場家牛込邸は,富山で海運業を営んだ馬場家の東京における拠点として,昭和3年に牛込台地の高台に建てられた。昭和22年以降は最高裁判所長官公邸となっている。設計は逓信省営繕技師であった吉田鉄郎である。南の庭園に面して和洋の客間や居間などを雁行形に連ね,和洋の意匠や空間の機能を巧妙な組合せと合理的な平面構成でまとめており,入母屋屋根や下屋庇を駆使した外観も絶妙に庭園と調和している。旧馬場家牛込邸は,東京に残された希少な大規模和風建築である。洗練された比例や精緻な造形,装飾的な細部を押さえつつ上質の良材を効果的に演出した設計手法など,昭和初期を代表する和風建築として高い価値を有している。
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詳細解説
旧馬場家牛込邸 一棟 土地 東京都新宿区若宮町 国(最高裁判所) 旧馬場家牛込邸は、旧江戸城外堀の西、東へ緩やかに下る牛込台地東端の高台に所在している。近世には武家地であったが、明治期から昭和期にかけては良好な住宅地であった。 馬場家は、一八世紀初期に初代与左衛門が越中国新川郡東岩瀬(現 富山市東岩瀬町)に居住したのが始まりで、七代久兵衛が天保四年(一八三三)ころから海運業を営み、明治初期には加越の北前五大船主に数えられた。八代道久により船舶の近代化を進め、明治三十六年(一九〇三)には馬場合資会社を設立して富山を代表する事業家に発展した。一〇代正治は昭和十二年に新たに馬場商事株式会社を設立し、同十九年には馬場汽船株式会社と改称した。 旧馬場家牛込邸は、正治が慶應義塾大学に進学したことを機に、東京における拠点として建設された邸宅である。大正十五年に土地を取得して、昭和二年五月に着工した。竣工は同三年六月とされているが、同年中には完成したと思われる。設計は逓信省技師の吉田鉄郎(一八九四~一九五六)、庭園設計は東京帝国大学教授の田村剛(一八九〇~一九七九)である。吉田鉄郎は、富山県砺波郡福野町(現 南砺市)生まれで、生家は馬場家と姻戚関係のあった福野町の山田家と親しく、設計を委託された。吉田は、欧米出張の間に海外が日本建築に強い興味を持っていることを知り、独国で『Das Japanische Wohnhaus(日本の住宅)』(Ernst Wasmuth, 一九三五年)を出版、鹿苑寺金閣、本願寺飛雲閣、桂離宮等を紹介するとともに、現代の住宅作例として牛込邸の写真多数を掲載した。昭和二十二年からは最高裁判所長官公邸となり、現在に至っている。 敷地は南面と西面が道路に面した台形であるが、その中央に建物を置き、南には池を中心とした庭園をつくる。庭園中央の池は、南西に滝口を設け、飛石、井筒等を配して北東へ延びる。池の南は築山で樹木が鬱蒼と繁り、北はなだらかな起伏のある芝庭である。西の前庭に玄関を開き、庭園と前庭との間には庭門を設ける。道路沿いの西面から南面を塀で囲み、西面の中央北寄りに正門、その北に通用門を開く。南面は逢坂に沿って高い石垣を積み、庭園南東隅では石垣に潜門を設けている。 建物は木造で、建築面積は五八二・五○平方メートルである。西から平屋建の接客部、二階建の洋風居室部、二階建と平屋建の和風居室部を庭園に面して雁行形に配する。入母屋造を組み合わせて桟瓦葺の屋根とし、庇は銅板葺とする。小屋組は平屋建の接客部や二階建部分がトラスであるが、ほかは和小屋とする。外観は洋風居室部も含めた全体を和風としている。 接客部は、西に両折桟唐戸を付けた表玄関を構え、取次の間の奥に南北に通した一間幅の畳廊下に沿って、北に小応接室と内玄関、南に書生室と事務室などが並び、この畳廊下南端に一四畳客間と一〇畳次の間を配する。客間は一間幅のトコと琵琶トコ、棚、附書院で飾り、次の間もトコ、棚、平書院を備える。柱は大きめの面を取り、内法長押下角や鴨居下角にも面を取って柔らかな造形とし、面取した蟻壁長押と廻縁を廻らせて猿頬の棹縁天井を高く張り、広さと調和した内部空間をつくる。客間の東面から南面に廻らせた一間幅の広縁は、外側を板敷、内側を畳敷とし、大判のガラス障子を建て込み、欄間は引違いガラス戸として外側に繊細な格子を入れる。天井は軽快な木舞打ちの化粧屋根裏で、畳廊下との境は竹の節欄間と杉戸で区切る。次の間の西に突出する洋風客間は、床を寄木張とし、北面の張出し部は合板縦張で大理石製の暖炉を設けている。 洋風居室部は、一階が食事室、二階が書斎と寝室で、北に階段を設けた広間を配し、各階とも南面をベランダとする。食事室は全面寄木張の床で、内壁と格天井の格間およびベランダの鏡天井に合板を用い、西面に大理石製の暖炉を設け、ベランダ境や窓には縦長のガラス戸を入れる。階段室は床を市松の寄木張とし、縦板を細い横桟で押さえた内壁と黒塗の格縁を用いた格天井には桐板を用いる。二階のベランダは網代天井で、腰高の窓の外に縁、高欄を廻らす。 和風居室部の一階は、南列が一〇畳居間と八畳次の間、北列が一〇畳着換室と八畳茶の間である。居間は東面をトコ、棚、附書院で飾り、トコ柱と落掛は桐とし、棹縁天井を張る。次の間は西面に押入と造付け戸棚を備え、棹縁天井とする。茶の間は西面に奥行の浅いトコ風のつくりで、違棚と水屋を設けるが、着換室は東面に押入れを設ける。これら四室境の内法小壁には、着換室・茶の間境を除いて、植物の透彫を施した板欄間を入れる。居間の南から東へ廻らせた縁は外側を板敷、内側を畳敷とし、大判ガラス障子を建て込み、欄間はガラス入の無双窓とする。側桁は南面と東面を一木の杉丸太とする。北の縁は接客部の畳廊下まで延び、洋風居室部の北に設けた光庭を西の縁とともに囲む。光庭の北面と西面は腰高まで物入とし、出窓風である。 和風居室部の二階は、東の一〇畳居間と西の八畳次の間からなり、北面の廊下を介して東寄りに化粧室、洗面所、便所を配している。廊下の西半は腰高の物入とした出窓風につくる。居間は東面をトコ、棚、附書院で飾り、トコ柱は絞丸太、地袋棚の奥壁に円窓を開く。次の間は西面に押入を設け、棹縁天井を張り、居間との境には板欄間を入れる。南側の縁は、掃出しのガラス障子、外に縁と高欄を付ける。欄間はガラス入無双窓である。 居間・着換室の東には、縁と階段を介して、南に八畳令嬢室、北に六畳仏間を配する。令嬢室は西にトコ、東に張出しの地袋棚をつくり、明障子付の丸窓を設け、棹縁天井を張る。南の縁には縦長比例の桟を組んだガラス障子を建て込み、欄間はガラス入の無双窓とする。東面は開口部に濡れ縁をつけ、深い軒の土庇になる。面皮付とした内法長押、窓下の腰の網代組、丸太の垂木に吹寄木舞打ちとした庇など、瀟洒な数寄屋風でまとめている。仏間の北面は中央を仏壇、西を棚、東を地袋とし、仏壇の扉は襖仕立ての両開で仕切壁沿いに引き込む仕組みである。扉内面と内部貼付壁には蓮の絵が描かれ、扉上部には天女の彫刻欄間を入れる。 庭門は、間口一・五メートルの腕木門で、切妻造、銅板葺、軒は板軒である。柱は節の多い丸太で、棟木、腕木、軒桁を磨丸太とし、縦板張の両開扉を構え、庭園側に控柱を付ける。銅板葺の袖塀は、壁面に割竹を張り、東は洋風客間の南西隅、西は塀に達する。 正門は木製面取角柱一対を立てたもので、両脇に潜戸を設ける。正門両側の塀は鉄筋コンクリート造、北が折曲り延長一七・六メートル、南が折曲り延長九八・二メートル、石垣に築いた土塀風桟瓦葺とする。石垣は、表面を江戸切仕上げとした方形に近い切石を整層積とし、南面道路では東に向けて高く積む。西面二箇所の通用口は塀を切り明けた潜門、南面の潜門は庭園南東隅から鉄筋コンクリート製階段で降り、石垣を切り明けて片開鉄扉を吊り込む。 旧馬場家牛込邸は、東京に残された数少ない大規模な和風建築である。和洋の意匠や空間の機能を巧妙な組み合わせと合理的な平面構成でまとめ、伝統をよく継承した雁行形配置だけでなく、入母屋造屋根や下屋庇を駆使した外観も絶妙に庭園と調和しており、極めて優れている。さらに洗練された比例や精緻な造形は格調の高い完成度を見せ、装飾的な細部を控えつつ、上質の用材を効果的に演出する設計手法など、昭和初期を代表する近代和風建築として高い価値を有しており、庭園とともに保存を図る。 【参考文献】 『馬場海運史』(馬場汽船株式会社 一九五八年) 『吉田鉄郎建築作品集』(東海大学出版会 一九六八年) 『建築家・吉田鉄郎の『日本の住宅』』(鹿島出版会 二〇〇二年)
関連情報
附指定
庭門
正門
塀及び石垣
関連情報
附指定
附名称
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庭門
附員数
:
一棟
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附名称
:
正門
附員数
:
一基
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附指定
附名称
:
塀及び石垣
附員数
:
二基